2018年9月23日
モリスの仕事
「ラファエル前派」は反アカデミーのグループで、
ジョン・ラスキンを支持していた。
そして、モリスも社会主義を理想としていた。
モリスの社会主義とは、すべての人々が、芸術、工芸、農耕牧畜を
楽しむことができる社会・・・

モリスが最初にデザインした壁紙は、「トレリス」「デイジー」「フルーツ(ザクロ)
多くの色を使い、高価になったが、
今までの低価格の壁紙に満足できなかった市民の注目を集めた。

初期のステンドグラスの作品は、
1859 オックスフォードクライストチャーチ
バーン=ジョーンズとともに製作したが、赤と青が強い、
鮮やかな色の組み合わせで、万華鏡のよう。
そして何が描かれているのか難解でわかりづらい。
後期の作品、
1872ー73 ヴァイナーの窓
赤と青は同じく使われているが、控えめな色合いで、
すっきりしている。
聖人はバーン=ジョーンズが描き、
背景はモリスが担当している。
モリスは「地」の芸術家と言える。
それは「図」の芸術家バーン=ジョーンズと対等の
表現、力を持っている。

「民衆の芸術」を考えるようになるモリスは、
美しくも、実用的な家具を制作するようになっていく。
「サセックス・チェア」
壁紙のデザインも、複数の草花を組み合わせるものに進化。
初期の、背景がないシンプルなものから、
ジャスミン、さんざしの後ろに、細やかな草花を表現している。

このような多忙な日々を送りながらも、仕事が終わると
個人的に「彩色手稿本」に打ち込むようになる。
モリスにとって、絵と言葉は同時にあるもの。
妻ジェイン、絵の師でもあるロセッティ、モリスの複雑な関係の中で、
愛の悩みの年月を生き、手稿本に没頭した。

手稿本のページに「G」の文字が見られるが、
これはバーン=ジョーンズの妻ジョージアナへの思い。
このころ、ジョーンズはギリシア系の女性と親密になっていたことで、
ジョージアナとモリスは同じ悩みを抱えていた。

1871年、73年とモリスはアイスランドへ旅行している。
通常、文化人はギリシアやローマへ旅行していたが、
ケルト系で平等感の強いモリスは、
物質的には豊かでないが、社会的に平等感の強いアイスランドに
親近感を覚えていた。
遥か昔、シンクヴェトリルでは、岩場の前で代表者が演説をして、
全員がそれを聞く、集会(議会)が行われていたという。

1871年、ケルムスコットにロセッティと共同で建物を借りる。
モリスらが、最も美しい村と称したコッツウォルズ地方、
その地の建物、ケルムスコット・マナーと名づけ、
ロセッティとジェインをいっしょに住まわせた。(切ない)
そしてモリスはアイスランドへ・・・

そうした複雑な関係は、1874年ロセッティが去り、終焉。
ロセッティは1882年に死去。

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M家における「トレリス」(モリス)
「プロセルピナ」(ロセッティ モデル*ジェイン)


2018年9月23日

モリスの青年時代
モリスは聖職者を志していた。
が、もっと情熱を注げるものを見つけた。
大学最終年、建築家・ストリートの事務所で徒弟修行をした。

そこで建築家を目指したが、画家ロセッティと出会い師事する。
ロセッティは、モリスに絵の才能があると説得し、絵画の世界に引き入れる。
ロセッティからは女性美の表現を学んだのだが・・・

ロセッティと弟子たちで、
オックスフォードユニオンの討論室の壁画を装飾するという
仕事を獲得した。
アーサー王物語の10場面をそれぞれ担当することになるが、
モリスは人物表現が苦手。
人物を比較的小さく描き、背景を植物で埋め尽くし、さっさと完成。
残りの時間は天井の装飾をほとんどひとりで担当し、やはり植物を描いた。

運命の出会い。
モデルのジェイン・バーデン。
身分の低い、馬丁の娘。
ラファエル前派の女神。ファム・ファタル。
仲間は、美しいモデルとしては認めているけれど、
見下ろしている感はあった。
そして、ロセッティと彼女は恋に落ちていたが、
ロセッティには婚約者がいた。

そんな状況の中、モリスはジェインと結婚する。
ジェインを助けたい、そういう気持ちがあったというが・・・

モリスが描いた絵画『麗しのイゾルデ』
(王妃グウィネヴィア・・・)
顔や首の表現は硬いが、ドレス、布、写本、壺などの描き方は優れている。

結婚式にはモリス家からの出席はなかった。

新婚の家、レッドハウス

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これは、中世の世界に心酔する仲間たちとの共同制作だ。
設計はストリートの助手フィリップ・ウェッブ。
家具の絵付けはバーン=ジョーンズ。
モリスがいままで住んでいたような左右対称の邸宅とは違う。
正面のファサードを重んじるのではなく、
内側、家族や仲間たちと楽しむ庭側に重点をおいたもの。
内装も友人たちと行い、これで共同制作の楽しさを知ったモリスは
モリス。マーシャル・フォークナー商会を設立し、
さまざまな内装、家具などを手がけていくこととなる。

だが、この商売にはロンドンから遠いこの場所は不便だった。
あっさりロンドンに引越し、商会の建物の上階に住むことになる。


2018年9月23日
上田市立美術館
講師:藤田治彦

モリスの少年時代
ウィリアム・モリスの父は株式仲買人で、鉱山開発事業の投資で利益をあげ、
モリス家はたいそう裕福だった。
その当時の、左右対象のモニュメンタルな様式の大邸宅を構えていた。
ロンドン郊外・エピングの森近く、ウッドフォードと呼ばれる地域、
モリス少年は、エリザベスⅠ世の狩猟小屋で
美しいフランドル地方のタペストリーと出会った。
これが、美しい工芸品との最初の出会い。

父は50歳で亡くなり、一家はウォーターハウスに移った。
こちらも左右対称の邸宅・・・

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いまではモリス・ギャラリーとなっています。
(ヒロミが行ったときは大規模なイベントをお庭で開催中)

モリスの父の墓は「三馬蹄馬頭紋」があしらわれ、たいそう立派な墓。
イギリスでは家紋は貴族だけのもの、それを紋章院から購入したという。

モリス少年はモールバラのパブリックスクールで学んだ。
当時新興のいわゆる荒れた学校だったそうだが、
彼は中世の騎士の絵を描いたり、詩を書いたり、編み物をしたり、
ちょっと浮世離れした少年だったようである。
環状列石のあるエイヴベリーを訪ねたこともある。

オックスフォード大学に進学した。
オックスフォードは、30ほどのカレッジからなる大学の総称。
モリスはエクセター学寮に所属し、生涯の友となるバーン=ジョーンズと出会い、
共同生活を始めた。
エクセター・カレッジには美しいステンドグラスの礼拝堂があった。
モリスらは中世の生活、ゴシックを好み、
そのころ台頭していたゴシックリバイバルは嫌いだった。
モリスの最初の志は牧師になることだった。

2018年9月23日
上田市立美術館、新しくできて、1度も行っていませんでした。
だがしかし、何ヶ月か前にチラシミュージアムを見たら、
「ウィリアム・モリス」展で、しかも、藤田治彦先生の講座!

ヒロミはむかーし、大学に行っていて、たぶんいちばん使った教科書
「現代デザイン論」藤田治彦著
なつかしくて、出してきました。
ふせん貼ってあって、下線もたくさん。
でももう忘れているねえ・・・
あの頃は、明治以降の生活・・・衣食住の和洋折衷、和洋併置なんて
やっていたよねえ・・・

で、もちろん、藤田先生のアーツ&クラフツの書籍も読んでいたんだ。

モリスの展覧会はやりやすいと思う。
広く売られて、いまだに普及しているもの。
M家でもできるよ!(言いすぎか?)

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でもすてきな展示でした。
ヒロミは去年イギリス、モリスをめぐる旅に行きました。
レッドハウスの丸い窓、とても印象的な光景でした。
それがいまどきのハイテク?映像を使った
展示で一番最初に表されていました。

モリスの軌跡をたどる展示。
やはり美しい映像で、おおきな画面で紹介。
初期の活動はとても大きな画面だったけど、進んでいくうちに
なんだか縮小されて(場所がない?)ちょっと残念。
モリスの醍醐味は総合芸術。
部屋には美しいと思ったもの以外置いてはならない。
そういう信念がわかる部屋を再現して欲しかったですね。

モリスのデザインのインスピレーションは、すべて、
イギリスの美しい風景、屋外の植物たちから
得られていると言っても過言ではない。
それが、写真とともに展示されていたのはよかったですね。

ときに、ヒロミはサントミューぜまで電車と徒歩で行きました。
アリオはあるけれど、途中に洒落たレストランはなく。
サントミューゼ内のカフェでランチ。
ランチメニューがカレーかサンドイッチしなかくて、ちょっとさみしい。

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施設はとても立派。
コンサートホール、市民の芸術活動の場、憩いの場をかねて、
駅のそばによくもこんなに広い土地がありました、という感じ。
円形の建物、やっぱりいまどきの、木を使ったナチュラルな雰囲気。
シンプル+回廊+効き色のデザインは、ちょっとル・コルビュジエ風。

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2018年9月20日
遅ればせながら、ブライアンジュベールさん、
お誕生日おめでとうございます。

Brian,Joyeux Anniversaire !

ブライアンがコーチをしているアダムくんが、
カナダのジュニアグランプリで3位になりました。
めでたい。

そう、季節はすっかり秋、
あんなに過酷で、一生終わらないかに見えた、夏は、
去ったんですね!
そして今、空気はすっかり入れ替わり、ひんやりして、
キンモクセイの香りに満たされている。

でもまだ、ブエルタ・エスパーニャ見てるんです。
こういうの、スポーツの連続ドラマ。
家では、ずーっとビデオ見ていて、自転車の上で食事して、
トイレもして、着替えもしちゃうような、選手たちと、
ずーっといっしょに、フレンドリーな解説者とともに、
暮らしている。
毎日、おなじみの登場人物、選手に会えるのがいい。

だけど、まだ今シーズンを戦っているのに、すでに
来シーズンのストーブリーグ。
せっかくユニフォーム覚えたのにねえ・・・
さみしい・・・
あたしの、ブエルタももうすぐ終わり。

そして、F1だって、来シーズンは激しいシャッフル。
リカルド→サインツ→ガスリー→ルクレール→ライコネン
と次々とシートが決まって、そして、
アロンソいなくなっちゃうんだあ・・・
自転車に来てくれればいいのに!

そして、世間は世界新体操、
そして、オータム・クラシックなのですね。



2018年9月17日
毎夜眠れません。
早く寝ても、遅く寝ても、2時ころ目が覚めて、
もんもんと、テレビをつけて、横たわっている。

金曜日の夜は幸せ。
土曜日も、日曜日も、ひとりで、何の予定もない、
ふわふわした時間が待っているから。
でも、日曜日の夜は不幸で、月曜日の朝まで、
息を殺して時が来てしまうのを待っている。

3連休は、とってもいいけれど、
きょう、休みの月曜日なのに、日曜日の夜からの
苦しい時間が1日続いているような気持ちになる。

明け方、ふとした拍子に、少しだけ眠れると、
不思議な夢を見る。

グェンダル・ペイゼラーさんが登場しました。
長野20周年記念アイスショーの録画を何度も見返していたから?
そして、近所のフランス料理店、ラ・ランコントルというお店に
お忍びででかけていたという記事を見つけたから?
20年前と全く体型が変わらない、王子様と書かれていました。

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その王子様は、ヒロミの夢の中では、
キオスクのような売店の店員で、カウンターの中にいたのに、
ヒロミが行くと、カウンターからでてきて、
その街を案内してくれる。
(不思議と日本語が通じる設定。何を話したかはまったく覚えていない。)
なにか、細長い棒をつないだようなものを持っていて、
その先に丸いトレイ、そこに食器をのせて引っ張っている。
(どういう状況??)
たぶん、ニース。
(以前、ニースでサインもらったことがあるから・・・)
ああ、こんなに近くにいるんだから、
いっしょに写真とらなくちゃ、でも、いつも一緒にいるなら、
いつでも撮れるか・・・(なんと贅沢なことを思うんだ!)

でも、スマホがない!

そういう夢でした。

病んでいるような気がする。

3連休、ずっと、Heroes&Futureのビデオを見ていました。
1日目がいちばん幸せで、ロロさまとはこんな感じで、

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フィナーレではPさん(いやいやグェンダル王子)から、
りんごのぬいぐるみをもらったのでした。

ああ、一生ひきこもって、ビデオだけ見て暮らしていければいいのにね。



2018年8月27日
「あなたはモネのどこが好き?」と問われたら、なんと答える?
モネに続くそれからの100年。

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アーティストは、少なからずモネの影響を受けている、
そんな展覧会?
無理やり共通点を見つけているか?
それとも素直にうなづけるか?

なんというか、モネよりも、好きなアーティストを見つけられなかった・・・

だからと言って、じゃあ、
モネの、どこが好き?
という問いに戻る。

現代人にとって、モネはわかりやすいと思う。
人は、(日本人は、か?)絵を見ると、何を描いたのかを
すぐ確認するような気がする。
だから、抽象画は理解が進まない。
少なくともわたしにはそういうところがある。

題材が身近な自然の草花、風景。
身近といえるかわからないけど、ヨーロッパの建物、街並み、と
わかりやすい。

なんだけど。
モネはわかりにくいものを表現しようとしていたんだなあ、とも思った。

モネがカンヴァスに写し取ろうとしたものは、
空気
水面
これらの一瞬のきらめき、うつろいゆく時間。
これほどわかりくにいものはないかもしれない。

そういうところが好き。

『セーヌ河の日没、冬』
日の出のほうが有名だけど、意図は同じなのかな?
あかね色のに染まる時間、水面に映る夕日の色。

『ヴェトゥイユ、水びたしの草原』
もやっと白い画面の下半分。
草原というタイトルがなければ、ただの白いカタマリと思ってしまうかも。

『テムズ河のチャリング・クロス橋』
波のきらめきが感じられた。白い絵の具、さざめいていた。

つかみどころのないものを、絶妙な色合いで表している。
そう、もやっとしている色合い。実は近づくと、強烈な色がならんでいたりする。
そういうところが好き。

モネといえば「睡蓮」
だけど、わたしはどの作品が好きかと聞かれると、
言葉に詰まる。
漠然と『睡蓮』が好きだけど、
連作で、たくさんありすぎで、どれと特定できない悲しいわたし・・・
それでいいのか?
モネにとって、うつろいゆく光と影、時間、流れる水、
すべてを連作という方法で表現したのかもしれないし・・・

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2018年8月27日
東京駅前、いままで雑然としていて、駅がせっかく美しくなっても、
なんだかなあの状態だった。
それが、真正面の広場が整備されたらしい・・・

長野~横浜までのJR切符、上野で途中下車、
そして東京で途中下車であります。
灼熱の大都会でしたが、
皇居へ続く東京駅正面はほぼパーフェクトにシンメトリーで、
外に出た甲斐がありました。
ほぼ、というのは後ろに高層ビルがあって、シンメトリーをぶち壊している。
でも、駅の改修に、上空権?を売って費用に充てたんだよね。
だから周囲が高いのは仕方ないか?
(バーレスク!)

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明治時代、このあたりはただっぴろい土地で、三菱の岩崎さんがお買い上げし、
三菱村とか言われていたそうな。
駅前に広がっていた、一丁倫敦。
ロンドンのレンガ街を意識した街並み。

今年は明治150年。
ヨーロッパの建物だったら、平気で200年くらいもちそうなもの。
日本じゃだめなのね・・・
でも三菱一号館へ行く間は、その時代の雰囲気を、うまく復元していて、
ヒロミは好き。
ブラッスリー・バルザックがなぜかなくなってしまって残念ですが。

目的地、三菱美術館。
ナポレオンの皇妃、ジョゼフィーヌのジュエリーも担当した、
ショーメの世界へ。

藤田よりも空いている?と思っていたヒロミは甘かった。
混んでいました。
女性でいっぱい。
しかも、絵画よりは絶対的に小さいものの展示となります。
その、宝石の輝きを、間近で見ようとすると、
混んでいる2列目では全く見えません。

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あうう。
ナポレオン皇帝の戴冠式、皇帝も皇妃も、とってもゴージャスな
ものを身にまとう。
服自体も、装飾する宝飾品も、もちろんティアラ、ネックレス、指輪・・・
絵画に描かれたものと、全く同じで、ヒロミをうならせる。

(それは画家のテクニック?職人のテクニック?

ジュエリーデザインにも、時代の流行というものがあり、
そしてそれは全く革新的であったり、リバイバルされたり、
を繰り返す。

ヒロミが愛するのはどうしても、アール・ヌーヴォー、アール・デコで、
ショーメにおいても、動植物の思いもよらない形や、
日本趣味のなんともいえないものに惹かれます。

そしてこの、小さく、ほんとうは手に取らないと(身につけないと?)
価値がわからないものの展示に、デジタルの新しいプレゼンテーションが
導入されていて、これはなかなかに魅力的でした。

最後の部屋、新しいショーメの日本を意識したジュエリー一式。
部屋のなか全てに、そのコンセプト、空気に包まれるような感触の、
プランタン。


2018年8月27日
藤田嗣治没後50年。
ヒロミが生まれたとき、まだ、フジタは生きていたんだなあ。
遠い、フランスの地で、フランス人として。

『カフェにて』(1949 ポンピドゥー蔵)
この絵を、この目で見たいと思っていました。
ポンピドゥーに行っても、いつも展示されているわけでなく。

バージョンがいくつかあるようですが、
今回来日したこれが、いちばんバランスがいいような気がする・・・


世界でいちばんネームバリューがある画家。
たぶん。
ヨーロッパの美術館に収蔵されている画家ってあまりない。
(明治より前の時代を除いてね)

フジタはものすごい自信家?負けず嫌い?だったのでは?
芸大の卒業制作の自画像は美青年、自身があふれているように見える。
サインは「Foujita」フランス語で「ウ」は「ou」と書く。
日本にいるときから、フランス語読みのサインは普通のことなのかなあ?
フランス(というか世界的に)で通用する画家になるという自信・・・

そんなフジタがパリで、いろんな試行錯誤、自分にしかない画風、
「素晴らしき乳白色」の画家として名声を得た。

1920年ころのフジタの自画像。猫とともに。
おかっぱ頭、丸めがね、ピアス、猫。
表情はナルシスか?
時代の寵児。
これは虚像かもしれないけど、
そんな時代の空気、フジタのキャラが好き。

ジュイ布、白い肌の裸婦、うすピンクの乳首、細い線、猫、
これでフジタ。

それが突然、原色の強烈な色遣いの画風に転じる。
ピカソほどではないけれど、人生転換の節目に女あり?

戦争画を描いて、戦後その責任を追求される。
ヒロミは、あの絵は、あれを見て、戦意高揚するとは思えないのだけど。
戦うことが、切なくなるけれど。

とにかく、日本に嫌気がさして、パリに戻りたくなるフジタ。
日本で唯一世界に通用する画家(と自負)のはずなのに、
こんな扱い!!!
もう日本になんか戻るものか!!!
アメリカに渡って描いたのが『カフェにて』

パリのすてきな雰囲気が詰まっていました。
ほおづえをつくマダム。
このポーズはいわゆる「メランコリ」
シックな黒いドレス、黒いバッグ。
カフェのテーブルにはヴァン・ルージュ。赤ワインの入ったグラス、
インク壺、ペン、便箋と封筒。
でも便箋はインクが滲んで、何が書いてあるのか、
書こうとしているのか、誰かから届いたのか。
そしてバックにはギャルソン、シルクハットをかぶったムッシュウ。
窓の外にはパリの街角、カフェの看板が描かれる。

彼女にはどんな物語があるのでしょうか。

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画集やチラシでは、額縁がわかりませんでした。
フジタの作品は往々にして、額縁も彼の手作りで、
この『カフェにて』もカフェにまつわる品々が、彫り込まれ、
チャーミングなのでした。

もうひとつ、『ビストロ』という作品にも、パリへの愛があふれている、
ような気がしました。

行きますか?
フジタのアトリエ、シャペルに。
フジタはフランス人として、シャンパンの地に眠っています。

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上野の街角、オイスターバーで、フジタを気取ってランチしたあと、
出会ったマダムはやっぱりすてき。
2018年9月1日
ヒロミははずれてしまったけれど、
6月に長野であったトークショー・・・

いまごろやっと、ゆっくり録画を見ましたよ。

キャンデロロさまから、長野の子どもたちへのメッセージ!

Olympians,Olympics is only every 4 years,
and between 4 years,it's long.
But moment of the Olympic is very short.
So it's・・・・you have to live it with like one of the best
moment of your life.

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字幕スーパー

オリンピックは4年に1度しかありません。
その間はすごく長い期間ですが、オリンピック自体は
あっという間に終わってしまいます。
だからその瞬間を一生懸命に生きることが、
スポーツをやっていく上で大事だと思います。
がんばってね!

リレハンメル、長野と2大会連続のオリンピック銅メダリスト、
キャンデロロさまの言葉は重い。

隣でメドベージェワちゃんも耳を傾けていたのが印象的でした。