諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖周辺4か所にある神社で信濃国一宮。全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社である。長野県中央の諏訪湖を挟んで、次の二社四宮が鎮座する。上社(かみしゃ) 本宮(ほんみや)長野県諏訪市中洲宮山、前宮(まえみや)長野県茅野市宮川。下社(しもしゃ)秋宮(あきみや)長野県諏訪郡下諏訪町武居、春宮(はるみや)長野県諏訪郡下諏訪町下ノ原。上社は諏訪湖の南岸、下社は北岸に位置し遠く離れている。なお「上社・下社」とあるが社格に序列はないという。
四社の巡拝の順番に決まりはないが、一般的には上社本宮・前宮、下社秋宮・春宮の順が多いという。そこで、これに倣って5月4日に上社本宮と前宮を、8月25日に下社秋宮と春宮を巡ってきた。なお、上社については、「その1上社本宮と上社前宮巡り【前編】」として別サイトでリポート済み。写真は下社秋宮の神楽殿の大注連縄で、長さは7.5m、最大直径1.4m、重さは約800㎏。令和3年(2021)12月に下諏訪町内の諏訪大社氏子有志でつくる「諏訪大社大注連縄奉献会」により、新調奉納された。
諏訪大社四社まいりのマップ。諏訪大社といえば寅年と申年の6年ごと(7年目ごと)に行われる式年造営御柱祭が有名だが、このうち山出し祭の曳行中に木落し坂と呼ばれる急坂で御柱を曳き落とすのが、山出し祭フィナーレ最大の見せ場である木落しである。上社は茅野市の「木落し公園」、下社は下諏訪町の「木落し坂」の場所がマップ上にプロットされている。
【下社秋宮】
下社秋宮境内案内図。
参道大鳥居前に立つ社標柱。大社通りのゆるい坂道を秋宮へ。大鳥居手前、左手に手水舎がある。
下社秋宮は旧中山道と甲州道中(現在の甲州街道)の分岐点という交通の要所に鎮座し、大鳥居前の地面は洒落た石畳で舗装されている。大鳥居の前の神橋を渡り、なだらかな階段を上って拝殿に向かう。
鳥居を入った右手に珍しい温泉手水「御神湯」がある。その湯口は龍神伝説に因んで龍の口をかたどっている。龍の口から流れる少し熱めの天然温泉は「長寿湯」とも言われご利益があるという。どうやらこの地で湧き出す下諏訪温泉の湯を御神湯として参拝者に提供しているのだろう。正面の神楽殿前に「根入りの杉(寝入の杉とも)」と呼ばれる、推定樹齢600~800年、樹高約35m、外周約5.3mの巨木がある。この老杉には伝説があって、丑三ツ時(深夜2時~2時半ごろ)になると枝先を下げて寝入り、幹に耳を当てるといびきが聞こえ、子供に木の小枝を煎じて飲ませると夜泣きが止まると言われている。
神楽殿はこの舞台で神楽や舞楽を御神前に奉納するための建物で、重厚な造りと注連縄がみごとに調和している(国重文)。青銅製では日本一の大きさと言われる狛犬を両脇に従えた神楽殿は、三方切妻造と呼ばれる様式で天保6年(1835)の落成。この三方切妻造とは、写真右下のように前方が妻入りの切妻で後方が平入りの切妻のため、 棟全体がT字型の橦木造(T字の型が鐘を叩く撞木に似ていることから)建築となっている。彫刻は比較的少なく、華麗な幣拝殿とはまた違った趣となっている。
宝物殿には下社に伝わる銅印で、平安時代の大同年間(806〜810)頃に平城天皇の御下賜と伝えられる大和古印、売神祝印(めがみほうりのいん)が収蔵されている。表面には井桁の透かし彫がなされ、工芸的には大変珍貴なものとされており、昭和25年8月に重文の指定を受けている。二之御柱脇に長屋造の社殿があり、左端が子安社。赤ちゃんが無事に健康で生まれるよう、底抜けの柄杓は水が通りやすいようにお産も楽にということから安産祈願として奉納された柄杓と安産ひしゃく納所の案内立札、子安社の裏側には男女の石をそれぞれに撫でることで、子宝祈願をすることができる「子宝石」と賽銭箱も設置してある。
神楽殿の後ろに回り込むと、立派で煌びやかな幣拝殿が建つ。幣殿と拝殿が一体となった二重楼門造りで、幣殿と左右片拝殿が並ぶ本殿を持たない諏訪造りといわれる独特の様式で、いずれも国重文に指定されている。下社春宮にも同じような幣拝殿と左右片拝殿があるが、春宮は大隅流、秋宮は立川流という流派の異なる宮大工によって、同じ絵図面で技を競うように建てられたという。江戸中期の安永10年(1781)に諏訪高島藩の命により立川和四郎初代富棟の棟梁で落成した。幣殿二階には先の反った跳勾欄を回し、全体に見事な彫刻が施されている。左方片拝殿(向って右側)前に「天覧の松」がある。昭和39年(1964)に昭和天皇皇后両陛下が参拝されたためこのように呼ばれている。幹の色が白い珍しい松で、一般的な松の葉は二葉だがこの木には三葉となっているものがあり、これを財布に入れると金運が上がり、免許証に入れると交通事故に遭わないと云われる。
幣殿は社殿の中央に位置していて二重楼門という造りになっている。一階部分には屋根がなく、二階部分にだけ屋根が乗せられた楼門のことを二重楼門と呼ぶそうだが、いかにも質実剛健な造りになっている。この正面に唐破風を設えた楼門は幅が狭い造りだが、それは左右の片拝殿(写真右上が左方片拝殿、右下が右方片拝殿)を連結する要の役割果たすために、しかも冗長な印象をもたせないためにそうなっているのだという。幣拝殿の彫刻は、唐獅子に牡丹、松に鷹、天へと昇る鯉など中国の故事や縁起の良いモチーフが取り入れられている。
御柱の案内立札には次回の御柱祭は令和10年(2028)に行われると記されている。一之御柱(写真中)は長さ17m余、直径1m余の樅の木で、霧ケ峰高原に続く東俣国有林に於いて伐採され数千人の氏子の奉仕により曳行されたという。右は二之御柱。
幣拝殿の後ろには、御神木(一位[いちい]の木)と二つの宝殿があり、この宝殿は新しい方を「神殿」、古い方を「権殿」と呼び、7年に一度の御柱大祭直前に旧殿を建直して新殿に御遷座するという。御神木、宝殿は目立たない場所にあるので、通常は目にふれることはない。写真は信濃國⼀之宮諏訪⼤社公式サイトから。
旧中山道と甲州街道が合流する下諏訪町一帯は、下社秋宮の門前町として、さらに交通の要衝として栄えた。この歴史を物語るように、風情ある数寄屋造りの家屋なとが連なり、中山道中で最大規模を誇った宿場町・下諏訪宿の面影があちこちに残る。左上から時計回りに、中山道下諏訪宿本陣岩波家、下諏訪宿甲州道中中山道合流之地碑、幕末に皇女和宮お泊りの宿聴泉閣かめや、江戸日本橋から55番目の下諏訪(下ノ原)一里塚跡碑。
御神渡りは真冬の諏訪湖が全面結氷し、その氷が寒暖差によって膨張・収縮を繰り返すことで湖面に筋状の大きな亀裂が入り氷がせり上がる現象で、諏訪湖独特の冬の自然現象である。伝説では、諏訪大社上社(諏訪市)の男神(建御名方命、たけみなかたのかみ)が、下社(下諏訪町)の女神(八坂刀売命、やさかとめのかみ)のもとへ通ったというロマンチックな道筋とされている。地球温暖化などの影響で、直近では平成30年(2018)を最後に7年連続出現していない。写真は2018.2.7の御神渡りの様子で諏訪地域振興局サイトから。下諏訪の中山道と甲州道中の合流点にある綿の湯源泉には、「綿の湯碑と源泉の上に大きな玉が乗っていてふわりと浮いて回っているモニュメント」がある。案内板によると『綿の湯(神の湯とも)として親しまれてきた下諏訪温泉には、神話に彩られた由来があります。はるか昔、諏訪明神の祭神「建御名方神」のお妃「八坂刀売神」が、上社の地から下社の地にお移りの時、日頃ご愛用の温泉を綿に湿し、「湯玉」にしてお持ちになった。無事、下社にお着きになったとき、手にしていた湯玉を置いた所から、温泉が湧き出した。 湧き出した場所が下諏訪温泉で、その神話に基づいて「綿の湯」と名付けられた。神様の湯ですから神聖で、やましい者が入ると神の怒りに触れて、湯口が濁ったといい、「湯口の清濁」は下社七不思議の一つに数えられている。現在の綿の湯は、老朽化のため取り壊されたが、源泉はそのまま残り、その跡地にモニュメントが設置され残されている。』と記されている。
【下社春宮】
下社春宮境内案内図。境内ガイド図は下諏訪町地域開発公社観光振興局「おいでなしてしもすわ」より。
春宮の鳥居前から表参道を振り返ると、南へ800m離れた場所に下社春宮大門(一の鳥居)がある。一の鳥居は万治2年(1659)に建立された御影石製の大鳥居で、高さ8.2m、柱の周囲は2.1mある。この鳥居は春宮の入口に位置し、このまま真っ直ぐ南進すると諏訪湖に至る。下馬橋は春宮の鳥居の南側にあるアーチ状の橋で、室町時代に建立された下社最古の建造物で、かつては身分の高い者も含め全ての参拝者が馬や駕籠から降りて渡った神聖な橋である。現在は、年に2回行われる遷座祭やお舟祭りの際に、御霊代を運ぶ神輿のみが渡ることができる。長さ約10m、幅約3mで銅瓦葺きの屋根が特徴で、室町時代の建立と伝えられているが、鎌倉時代の建築様式で建てられており、昭和48年(1973)に下諏訪町の有形文化財に指定されている。
鳥居の左手前に手水舎がある。鳥居の外からは二の鳥居、神楽殿、幣拝殿が同一線上に並んでいるので、神楽殿がブラインドとなり幣拝殿やご神木は見えない。二の鳥居をくぐると、スロープの半分を「正中=神様の専用道」に当てており、凸凹を造って歩きにくくしている。
参道を神楽殿へ向かう石畳の中に、一つだけ丸い穴がたくさん空いた石がある。いぼ石と呼ばれ窪みに溜まった水をいぼに塗りつけるといぼが治るという。参道の右脇に聳える「結びの杉」は、幹周約4m、樹高約30mの杉の巨木で、地上約10m付近で二股に分かれているが根元は一つに繋がっているのが特徴である。このユニークな形状から縁結びの杉とも呼ばれ、縁結びの御利益があるとされるご神木である。恋愛だけでなく結婚や仕事などあらゆる良縁を結ぶパワースポットとして信仰されていという。
神楽殿は、御神前にお神楽を奉奏したり祈祷を行う場所で、幣拝殿と並んで春宮の主要な建物の一つである。天和年間(1681~84)に大隅流「柴宮/伊藤長左衛門」によって上棟され、国重文に指定されている。
鳥居を入った左手に欅の巨樹がある。目通り幹囲 8.7m、樹高30m、 推定樹齢 1,000年、根本の瘤が特徴で 諏訪市指定天然記念物。筒粥殿は、下社特殊神事の一つである筒粥神事の神粥炊上げが行われる建物で、一年間の農作物の豊凶、世相を占う伝統の神事が小正月の14日夜から15日早朝にかけて行われる。境内末社の子安社は、お諏訪さまの御母神である高志沼河姫命(こしのぬなかわひめのかみ)をお祀りする。昔からお産の守り神として親しまれ、底の抜けた柄杓は水が通りやすいようにお産も楽にと願いを込めて奉納されたものである。
幣拝殿と左右片拝殿は、祭祀や拝礼を行うための建物で国の重文に指定されている。幣拝殿は中央に位置する楼門造りの建物で、その左右に片拝殿が配置されている。春宮、秋宮は同じ絵図面が与えられたと伝えられ、大きさこそ違うが構造は同じで、二社の建築は彫刻の技が競われている。秋宮の立川和四郎に対して春宮は柴宮(伊藤)長左衛門が請負い、後から着工して一年早く安永9年(1780)に竣工している。
幣拝殿は「御門屋(みかどや)」とも呼ばれ、幣殿と拝殿が一棟になった楼門形式の社殿で、秋宮の幣拝殿とほぼ同じ設計図で建てられ、当時の名工たちが技を競い合った逸話が残されている。幣拝殿の数々の彫刻は美的構成が全体に見事で、唐破風にも龍や獅子のような獏のような動物が彫られており(右上)、廻縁の下も細かい彫刻で埋め尽くされている(左下)。幣拝殿の手前側の床は格子状で床全体が巨大な賽銭箱になっており、縁の下には波が彫刻されている(右下)。
一之御柱(左)、二之御柱(中)。幣拝殿と片拝殿の後ろには御神木「杉(スギ)の木」と御宝殿が2棟建っており、手前側に見えている屋根はまだ新しいようである。御神木、御宝殿は目立たない場所にあるので、通常は目にふれることはない。写真右下はWebサイト/yatsu-genjin.jpから。
万治の石仏は、春宮の境内から朱塗りの浮島橋を渡り歩いて5分のところにある。田んぼと小山に囲まれ、どんっと鎮座しているのが万治の石仏で、巨大な自然石の胴体に対してアンバランスな頭がちょこんと乗るユーモラスな風貌に加え、胸部に描かれた逆卍(ぎゃくまんじ)や雷、月や太陽などの記号がミステリアスで、昭和49年(1974)に下諏訪を訪れた芸術家、岡本太郎氏(1911-96)がカメラを持つ手をふるわせながら「世界中歩いているが、こんなに面白いものは見たことがない」と絶賛し、講演又は雑誌等で全国に紹介されたことから有名になった。誕生の由来は、明暦3年(1657)、諏訪高島三代目藩主忠晴が諏訪大社下社春宮に大鳥居を奉納しようとした時、石工がこの地にあった大きな石を使おうと鑿(のみ)を打ち入れたところ、血が流れ出た。驚き恐れた石工は大鳥居の造作を止め、あらためてこの不思議な石に阿弥陀様を刻み、霊を慰めながら建立したのがこの石仏だと伝えられている。建立した願主が万治3年(1660)と刻まれていることから、万治の石仏と称されることになった。近年では「首が伸びる石仏」としてテレビ番組で紹介され、多くの観光客が訪れるようになった。その後修復時の調査の結果、前の修復時に付けられた支柱に水がたまり、凍結することで霜柱のように頭部が押しあがる現象であることが分かり、現在は安全のため固定されている。石仏のスペックは、素材:自然石(安山岩)、高さ:260cm、横:380cm、奥行:370cm、胴回り:1185cm、顔の長さ:65cm、顔回り:138cm。
下社春宮から歩いて5分の場所にある「おんばしら館よいさ」は、7年に一度執り行われる御柱祭の魅力を映像や展示を通して、諏訪の祭り文化に触れることができる施設である。御柱の大きさを体感できる模擬御柱、曳行路を示したジオラマの展示、長持ちや騎馬行列などの道具のほか、木落し体験装置で御柱祭最大の難所「木落し」も模擬体験できる。
下諏訪の土産はこの3点にした。砂糖と塩、地元茅野市の角寒天と北海道十勝の小豆を使った塩羊羹、信州味噌をベースに長野の名産品であるりんごをはじめ、クルミ・クコの実など7種の素材を練り込んだ七福味噌、万治の石仏を表現した、くるみと黒ごま風味のクッキー。
【下社の御柱祭、木落し】
令和4年(2022)の下社御柱祭へのお披露目会の様子。来年の御柱祭に向け下諏訪町の東俣国有林で伐採した下社の御柱用材8本の搬出が終わり、山出しの出発点となる下諏訪町大平の「棚木場(たなこば)」に勢ぞろいした。11月3日、お披露目会が現地であり、下社の大総代約30人が参加した。下社山出しは来年4月8日に始まる。(2021.11.4中日新聞朝刊から)。
天下の木落し坂碑、御柱木落し坂現地案内板、模擬御柱の展示。なお、上社の御柱にはめどてこ(針孔梃子、めどとも)と呼ばれるV字型の角のように大きな梃子棒が御柱の前後についているが、下社の御柱にはついていない。(諏訪郡下諏訪町木の下、下諏訪から旧中山道和田峠に行く国道142号線沿い)。
木落し坂の全景。木落しは上社・下社の両方の山出しで行われるが、TVなどを通して一般によく知られているのは下社の木落しである。最大傾斜35度、長さ100m余の急坂を、男意気に駆られた若ものたちが、群がりうち跨った御柱が一気に曳き落とされる様は「男見るなら七年に一度諏訪の木落し、坂落とし」と唄われるように勇壮・豪快そのものである。
直近の御柱祭は令和4年(2022)だったが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策により準備が制約を受けることや、参加者の安全・安心が担保できないことなどが理由で、同年の御柱祭では氏子による曳行を断念しトレーラーで運搬され、山出しのハイライトである木落しは中止になった。写真は平成28年(2016)の木落しの模様で信濃毎日新聞Webより)
写真は平成28年(2016)の木落しの模様で信濃毎日新聞Webより)







































































