シニアの の~んびり道草 -3ページ目

シニアの の~んびり道草

日頃の散歩や近場のドライブ、時には一晩泊りでぶらっと訪ね歩くことがある。そんな折、おお! これは綺麗だ、これは凄い、これは面白いと感嘆したり、感動したようなことを、思いつくまヽアルバム風に綴ってみる。

諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖周辺4か所にある神社で信濃国一宮。全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社である。長野県中央の諏訪湖を挟んで、次の二社四宮が鎮座する。上社(かみしゃ) 本宮(ほんみや)長野県諏訪市中洲宮山、前宮(まえみや)長野県茅野市宮川。下社(しもしゃ)秋宮(あきみや)長野県諏訪郡下諏訪町武居、春宮(はるみや)長野県諏訪郡下諏訪町下ノ原。上社は諏訪湖の南岸、下社は北岸に位置し遠く離れている。なお「上社・下社」とあるが社格に序列はないという。

 

四社の巡拝の順番に決まりはないが、一般的には上社本宮・前宮、下社秋宮・春宮の順が多いという。そこで、これに倣って5月4日に上社本宮と前宮を、8月25日に下社秋宮と春宮を巡ってきた。なお、上社については、「その1上社本宮と上社前宮巡り【前編】」として別サイトでリポート済み。写真は下社秋宮の神楽殿の大注連縄で、長さは7.5m、最大直径1.4m、重さは約800㎏。令和3年(2021)12月に下諏訪町内の諏訪大社氏子有志でつくる「諏訪大社大注連縄奉献会」により、新調奉納された。

 

諏訪大社四社まいりのマップ。諏訪大社といえば寅年と申年の6年ごと(7年目ごと)に行われる式年造営御柱祭が有名だが、このうち山出し祭の曳行中に木落し坂と呼ばれる急坂で御柱を曳き落とすのが、山出し祭フィナーレ最大の見せ場である木落しである。上社は茅野市の「木落し公園」、下社は下諏訪町の「木落し坂」の場所がマップ上にプロットされている。

 

 

 

【下社秋宮】

下社秋宮境内案内図。

 

参道大鳥居前に立つ社標柱。大社通りのゆるい坂道を秋宮へ。大鳥居手前、左手に手水舎がある。

 

下社秋宮は旧中山道と甲州道中(現在の甲州街道)の分岐点という交通の要所に鎮座し、大鳥居前の地面は洒落た石畳で舗装されている。大鳥居の前の神橋を渡り、なだらかな階段を上って拝殿に向かう。

 

鳥居を入った右手に珍しい温泉手水「御神湯」がある。その湯口は龍神伝説に因んで龍の口をかたどっている。龍の口から流れる少し熱めの天然温泉は「長寿湯」とも言われご利益があるという。どうやらこの地で湧き出す下諏訪温泉の湯を御神湯として参拝者に提供しているのだろう。正面の神楽殿前に「根入りの杉(寝入の杉とも)」と呼ばれる、推定樹齢600~800年、樹高約35m、外周約5.3mの巨木がある。この老杉には伝説があって、丑三ツ時(深夜2時~2時半ごろ)になると枝先を下げて寝入り、幹に耳を当てるといびきが聞こえ、子供に木の小枝を煎じて飲ませると夜泣きが止まると言われている。

 

神楽殿はこの舞台で神楽や舞楽を御神前に奉納するための建物で、重厚な造りと注連縄がみごとに調和している(国重文)。青銅製では日本一の大きさと言われる狛犬を両脇に従えた神楽殿は、三方切妻造と呼ばれる様式で天保6年(1835)の落成。この三方切妻造とは、写真右下のように前方が妻入りの切妻で後方が平入りの切妻のため、 棟全体がT字型の橦木造(T字の型が鐘を叩く撞木に似ていることから)建築となっている。彫刻は比較的少なく、華麗な幣拝殿とはまた違った趣となっている。

 

宝物殿には下社に伝わる銅印で、平安時代の大同年間(806〜810)頃に平城天皇の御下賜と伝えられる大和古印、売神祝印(めがみほうりのいん)が収蔵されている。表面には井桁の透かし彫がなされ、工芸的には大変珍貴なものとされており、昭和25年8月に重文の指定を受けている。二之御柱脇に長屋造の社殿があり、左端が子安社。赤ちゃんが無事に健康で生まれるよう、底抜けの柄杓は水が通りやすいようにお産も楽にということから安産祈願として奉納された柄杓と安産ひしゃく納所の案内立札、子安社の裏側には男女の石をそれぞれに撫でることで、子宝祈願をすることができる「子宝石」と賽銭箱も設置してある。

 

神楽殿の後ろに回り込むと、立派で煌びやかな幣拝殿が建つ。幣殿と拝殿が一体となった二重楼門造りで、幣殿と左右片拝殿が並ぶ本殿を持たない諏訪造りといわれる独特の様式で、いずれも国重文に指定されている。下社春宮にも同じような幣拝殿と左右片拝殿があるが、春宮は大隅流、秋宮は立川流という流派の異なる宮大工によって、同じ絵図面で技を競うように建てられたという。江戸中期の安永10年(1781)に諏訪高島藩の命により立川和四郎初代富棟の棟梁で落成した。幣殿二階には先の反った跳勾欄を回し、全体に見事な彫刻が施されている。左方片拝殿(向って右側)前に「天覧の松」がある。昭和39年(1964)に昭和天皇皇后両陛下が参拝されたためこのように呼ばれている。幹の色が白い珍しい松で、一般的な松の葉は二葉だがこの木には三葉となっているものがあり、これを財布に入れると金運が上がり、免許証に入れると交通事故に遭わないと云われる。

 

幣殿は社殿の中央に位置していて二重楼門という造りになっている。一階部分には屋根がなく、二階部分にだけ屋根が乗せられた楼門のことを二重楼門と呼ぶそうだが、いかにも質実剛健な造りになっている。この正面に唐破風を設えた楼門は幅が狭い造りだが、それは左右の片拝殿(写真右上が左方片拝殿、右下が右方片拝殿)を連結する要の役割果たすために、しかも冗長な印象をもたせないためにそうなっているのだという。幣拝殿の彫刻は、唐獅子に牡丹、松に鷹、天へと昇る鯉など中国の故事や縁起の良いモチーフが取り入れられている。

 

御柱の案内立札には次回の御柱祭は令和10年(2028)に行われると記されている。一之御柱(写真中)は長さ17m余、直径1m余の樅の木で、霧ケ峰高原に続く東俣国有林に於いて伐採され数千人の氏子の奉仕により曳行されたという。右は二之御柱。

 

幣拝殿の後ろには、御神木(一位[いちい]の木)と二つの宝殿があり、この宝殿は新しい方を「神殿」、古い方を「権殿」と呼び、7年に一度の御柱大祭直前に旧殿を建直して新殿に御遷座するという。御神木、宝殿は目立たない場所にあるので、通常は目にふれることはない。写真は信濃國⼀之宮諏訪⼤社公式サイトから。

 

旧中山道と甲州街道が合流する下諏訪町一帯は、下社秋宮の門前町として、さらに交通の要衝として栄えた。この歴史を物語るように、風情ある数寄屋造りの家屋なとが連なり、中山道中で最大規模を誇った宿場町・下諏訪宿の面影があちこちに残る。左上から時計回りに、中山道下諏訪宿本陣岩波家、下諏訪宿甲州道中中山道合流之地碑、幕末に皇女和宮お泊りの宿聴泉閣かめや、江戸日本橋から55番目の下諏訪(下ノ原)一里塚跡碑。

 

御神渡りは真冬の諏訪湖が全面結氷し、その氷が寒暖差によって膨張・収縮を繰り返すことで湖面に筋状の大きな亀裂が入り氷がせり上がる現象で、諏訪湖独特の冬の自然現象である。伝説では、諏訪大社上社(諏訪市)の男神(建御名方命、たけみなかたのかみ)が、下社(下諏訪町)の女神(八坂刀売命、やさかとめのかみ)のもとへ通ったというロマンチックな道筋とされている。地球温暖化などの影響で、直近では平成30年(2018)を最後に7年連続出現していない。写真は2018.2.7の御神渡りの様子で諏訪地域振興局サイトから。下諏訪の中山道と甲州道中の合流点にある綿の湯源泉には、「綿の湯碑と源泉の上に大きな玉が乗っていてふわりと浮いて回っているモニュメント」がある。案内板によると『綿の湯(神の湯とも)として親しまれてきた下諏訪温泉には、神話に彩られた由来があります。はるか昔、諏訪明神の祭神「建御名方神」のお妃「八坂刀売神」が、上社の地から下社の地にお移りの時、日頃ご愛用の温泉を綿に湿し、「湯玉」にしてお持ちになった。無事、下社にお着きになったとき、手にしていた湯玉を置いた所から、温泉が湧き出した。 湧き出した場所が下諏訪温泉で、その神話に基づいて「綿の湯」と名付けられた。神様の湯ですから神聖で、やましい者が入ると神の怒りに触れて、湯口が濁ったといい、「湯口の清濁」は下社七不思議の一つに数えられている。現在の綿の湯は、老朽化のため取り壊されたが、源泉はそのまま残り、その跡地にモニュメントが設置され残されている。』と記されている。

 

【下社春宮】

  下社春宮境内案内図。境内ガイド図は下諏訪町地域開発公社観光振興局「おいでなしてしもすわ」より。

 

春宮の鳥居前から表参道を振り返ると、南へ800m離れた場所に下社春宮大門(一の鳥居)がある。一の鳥居は万治2年(1659)に建立された御影石製の大鳥居で、高さ8.2m、柱の周囲は2.1mある。この鳥居は春宮の入口に位置し、このまま真っ直ぐ南進すると諏訪湖に至る。下馬橋は春宮の鳥居の南側にあるアーチ状の橋で、室町時代に建立された下社最古の建造物で、かつては身分の高い者も含め全ての参拝者が馬や駕籠から降りて渡った神聖な橋である。現在は、年に2回行われる遷座祭やお舟祭りの際に、御霊代を運ぶ神輿のみが渡ることができる。長さ約10m、幅約3mで銅瓦葺きの屋根が特徴で、室町時代の建立と伝えられているが、鎌倉時代の建築様式で建てられており、昭和48年(1973)に下諏訪町の有形文化財に指定されている。

 

鳥居の左手前に手水舎がある。鳥居の外からは二の鳥居、神楽殿、幣拝殿が同一線上に並んでいるので、神楽殿がブラインドとなり幣拝殿やご神木は見えない。二の鳥居をくぐると、スロープの半分を「正中=神様の専用道」に当てており、凸凹を造って歩きにくくしている。

 

参道を神楽殿へ向かう石畳の中に、一つだけ丸い穴がたくさん空いた石がある。いぼ石と呼ばれ窪みに溜まった水をいぼに塗りつけるといぼが治るという。参道の右脇に聳える「結びの杉」は、幹周約4m、樹高約30mの杉の巨木で、地上約10m付近で二股に分かれているが根元は一つに繋がっているのが特徴である。このユニークな形状から縁結びの杉とも呼ばれ、縁結びの御利益があるとされるご神木である。恋愛だけでなく結婚や仕事などあらゆる良縁を結ぶパワースポットとして信仰されていという。

 

神楽殿は、御神前にお神楽を奉奏したり祈祷を行う場所で、幣拝殿と並んで春宮の主要な建物の一つである。天和年間(1681~84)に大隅流「柴宮/伊藤長左衛門」によって上棟され、国重文に指定されている。

 

鳥居を入った左手に欅の巨樹がある。目通り幹囲 8.7m、樹高30m、 推定樹齢 1,000年、根本の瘤が特徴で 諏訪市指定天然記念物。筒粥殿は、下社特殊神事の一つである筒粥神事の神粥炊上げが行われる建物で、一年間の農作物の豊凶、世相を占う伝統の神事が小正月の14日夜から15日早朝にかけて行われる。境内末社の子安社は、お諏訪さまの御母神である高志沼河姫命(こしのぬなかわひめのかみ)をお祀りする。昔からお産の守り神として親しまれ、底の抜けた柄杓は水が通りやすいようにお産も楽にと願いを込めて奉納されたものである。

 

幣拝殿と左右片拝殿は、祭祀や拝礼を行うための建物で国の重文に指定されている。幣拝殿は中央に位置する楼門造りの建物で、その左右に片拝殿が配置されている。春宮、秋宮は同じ絵図面が与えられたと伝えられ、大きさこそ違うが構造は同じで、二社の建築は彫刻の技が競われている。秋宮の立川和四郎に対して春宮は柴宮(伊藤)長左衛門が請負い、後から着工して一年早く安永9年(1780)に竣工している。

 

幣拝殿は「御門屋(みかどや)」とも呼ばれ、幣殿と拝殿が一棟になった楼門形式の社殿で、秋宮の幣拝殿とほぼ同じ設計図で建てられ、当時の名工たちが技を競い合った逸話が残されている。幣拝殿の数々の彫刻は美的構成が全体に見事で、唐破風にも龍や獅子のような獏のような動物が彫られており(右上)、廻縁の下も細かい彫刻で埋め尽くされている(左下)。幣拝殿の手前側の床は格子状で床全体が巨大な賽銭箱になっており、縁の下には波が彫刻されている(右下)。

 

一之御柱(左)、二之御柱(中)。幣拝殿と片拝殿の後ろには御神木「杉(スギ)の木」と御宝殿が2棟建っており、手前側に見えている屋根はまだ新しいようである。御神木、御宝殿は目立たない場所にあるので、通常は目にふれることはない。写真右下はWebサイト/yatsu-genjin.jpから。

 

万治の石仏は、春宮の境内から朱塗りの浮島橋を渡り歩いて5分のところにある。田んぼと小山に囲まれ、どんっと鎮座しているのが万治の石仏で、巨大な自然石の胴体に対してアンバランスな頭がちょこんと乗るユーモラスな風貌に加え、胸部に描かれた逆卍(ぎゃくまんじ)や雷、月や太陽などの記号がミステリアスで、昭和49年(1974)に下諏訪を訪れた芸術家、岡本太郎氏(1911-96)がカメラを持つ手をふるわせながら「世界中歩いているが、こんなに面白いものは見たことがない」と絶賛し、講演又は雑誌等で全国に紹介されたことから有名になった。誕生の由来は、明暦3年(1657)、諏訪高島三代目藩主忠晴が諏訪大社下社春宮に大鳥居を奉納しようとした時、石工がこの地にあった大きな石を使おうと鑿(のみ)を打ち入れたところ、血が流れ出た。驚き恐れた石工は大鳥居の造作を止め、あらためてこの不思議な石に阿弥陀様を刻み、霊を慰めながら建立したのがこの石仏だと伝えられている。建立した願主が万治3年(1660)と刻まれていることから、万治の石仏と称されることになった。近年では「首が伸びる石仏」としてテレビ番組で紹介され、多くの観光客が訪れるようになった。その後修復時の調査の結果、前の修復時に付けられた支柱に水がたまり、凍結することで霜柱のように頭部が押しあがる現象であることが分かり、現在は安全のため固定されている。石仏のスペックは、素材:自然石(安山岩)、高さ:260cm、横:380cm、奥行:370cm、胴回り:1185cm、顔の長さ:65cm、顔回り:138cm。

 

下社春宮から歩いて5分の場所にある「おんばしら館よいさ」は、7年に一度執り行われる御柱祭の魅力を映像や展示を通して、諏訪の祭り文化に触れることができる施設である。御柱の大きさを体感できる模擬御柱、曳行路を示したジオラマの展示、長持ちや騎馬行列などの道具のほか、木落し体験装置で御柱祭最大の難所「木落し」も模擬体験できる。

 

下諏訪の土産はこの3点にした。砂糖と塩、地元茅野市の角寒天と北海道十勝の小豆を使った塩羊羹、信州味噌をベースに長野の名産品であるりんごをはじめ、クルミ・クコの実など7種の素材を練り込んだ七福味噌、万治の石仏を表現した、くるみと黒ごま風味のクッキー。

 

【下社の御柱祭、木落し】

令和4年(2022)の下社御柱祭へのお披露目会の様子。来年の御柱祭に向け下諏訪町の東俣国有林で伐採した下社の御柱用材8本の搬出が終わり、山出しの出発点となる下諏訪町大平の「棚木場(たなこば)」に勢ぞろいした。11月3日、お披露目会が現地であり、下社の大総代約30人が参加した。下社山出しは来年4月8日に始まる。(2021.11.4中日新聞朝刊から)。

 

天下の木落し坂碑、御柱木落し坂現地案内板、模擬御柱の展示。なお、上社の御柱にはめどてこ(針孔梃子、めどとも)と呼ばれるV字型の角のように大きな梃子棒が御柱の前後についているが、下社の御柱にはついていない。(諏訪郡下諏訪町木の下、下諏訪から旧中山道和田峠に行く国道142号線沿い)。

 

木落し坂の全景。木落しは上社・下社の両方の山出しで行われるが、TVなどを通して一般によく知られているのは下社の木落しである。最大傾斜35度、長さ100m余の急坂を、男意気に駆られた若ものたちが、群がりうち跨った御柱が一気に曳き落とされる様は「男見るなら七年に一度諏訪の木落し、坂落とし」と唄われるように勇壮・豪快そのものである。

 

直近の御柱祭は令和4年(2022)だったが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策により準備が制約を受けることや、参加者の安全・安心が担保できないことなどが理由で、同年の御柱祭では氏子による曳行を断念しトレーラーで運搬され、山出しのハイライトである木落しは中止になった。写真は平成28年(2016)の木落しの模様で信濃毎日新聞Webより)

写真は平成28年(2016)の木落しの模様で信濃毎日新聞Webより)

 

 

 

 

 

 

飛騨せせらぎ街道は、郡上市八幡町城南町から高山市清見町三日町に至る全長約64kmの一般道(国道472号・国道257号・県道73号高山清見線)の愛称である。岐阜県のほぼ中央を南北に縦断するせせらぎ街道は、標高差があるのでその年の気候や場所によって見頃の時期が異なるが、最高所の西ウレ峠から順番に紅葉し、長い期間にわたって紅葉が楽しめるルートである。

 

そこで、11月12日に街道沿いのナラやブナ、カラマツなどの広葉樹が黄金色に姿を変える光景を見ようと訪ねてきた。今回は、一番標高の高い西ウレ峠(標高1,113m、太平洋側と日本海側の分水嶺)手前5kmの清見町大原地区から、西ウレ峠より高山方面へ約20kmの区間を中心にスケッチしてきた。写真は西ウレ峠から約2km高山寄りの清見町巣野俣地区の、広葉樹林帯の紅葉の様子である。

 

この「飛騨せせらぎ街道ドライブルート」の案内板は、高山市清見藤瀬地区に設置されている。

 

西ウレ峠から5km八幡町寄りの清見町大原地内の紅葉。ここは馬瀬川源流部で、沢沿いの木々が見事に色づいている。

 

清見町楢谷地内のせせらぎ街道から、馬瀬川越しにカラマツ林を遠望する。ここは西ウレ峠から3km八幡町寄りの馬瀬川の源流部で、飛騨川、木曽川を経て太平洋へ流れる。西ウレ峠の「ウレ」とは古語で末梢とか一番先という意味で、ここは位山・川上岳・竜が峰・西ウレ火山とつづく峠の中でも西の谷川の一番先にあることから、西ウレ峠と呼ばれているという。

 

清見町楢谷地内の西ウレ峠に近い針葉樹や落葉樹が混在した山裾を眺める。この辺りは標高も高いので紅葉のピークは過ぎつつあり、手前のススキの穂は最終番を迎えている。

 

「西ウレ峠」は標高1,113mで、せせらぎ街道の最標高地点であり、分水嶺でもある。写真左の奥が「こもれび広場」で、人気の紅葉スポットとして多くの人々が訪れる。

 

清見町楢谷の西ウレ峠管理棟裏の池で、逆さもみじが水面に揺れ美しい天然のグラデーションを描いている。この池の水は、西ウレ峠の以北なので川上川、宮川、神通川を経て日本海に流れる。


山が燃えるような赤や黄色に染まり、街道沿いの広葉樹も見事に色づく中を、車内からスケッチしながら高山方面に向って走り抜ける。(清見町巣野俣地内)

 

シラカバ、ブナ、カラマツなどの広葉樹林の中を高山方面へ。街道沿いには思わず車を停めてカメラを構えたくなるような絶景ポイントが点在しており、清流と山々が織りなす自然の美しさを心ゆくまで堪能することができる。(清見町巣野俣地内)

 

清見町坂下の平滝横の駐車場付近の様子。この一帯は標高約890mで、今が紅葉のピークである。

 

渓流川上川(宮川の支流)が川幅いっぱいになって流れ落ちる平滝。高さは5~6m位。

 

平滝休憩所周辺の紅葉の様子。

 

清見町坂下の川上川沿いのモミジが赤く色づいた鮮やかな葉を見せている。


清見町坂下の川上川沿いの美しく色づいた木々。最も標高の高い西ウレ峠から徐々に紅葉が降りてくるので、この辺りは(標高約740m)もう暫く紅葉が楽しめる。

 

せせらぎ街道の北の始点・高山市三日町から、雄大な北アルプスを望む。一番近いので大きく見える乗鞍岳、焼岳、笠ヶ岳、穂高連峰(前穂高岳、奥穂高岳、北穂高岳)も確認できる。(高山市三日町のR158沿いの清見診療所横から)

 

土産は好物の飛騨清見産の3点にした。赤かぶらの漬物・めしどろぼ漬、田舎みそ味の鶏ちゃん、おみそれおこげ煎餅。めしどろぼ漬は、ご飯が止まらなくなるほど美味しいことから、飯泥棒というユニークな名前が付いたという。

 

 

 

 

 

 

諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖周辺4か所にある神社で信濃国一宮。全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社である。長野県中央の諏訪湖を挟んで、次の二社四宮が鎮座する。上社(かみしゃ) 本宮(ほんみや)長野県諏訪市中洲宮山、前宮(まえみや)長野県茅野市宮川。下社(しもしゃ)秋宮(あきみや)長野県諏訪郡下諏訪町武居、春宮(はるみや)長野県諏訪郡下諏訪町下ノ原。上社は諏訪湖の南岸、下社は北岸に位置し遠く離れている。なお「上社・下社」とあるが社格に序列はないという。

 

四社の巡拝の順番に決まりはないが、一般的には上社本宮・前宮、下社秋宮・春宮の順が多いという。そこで、これに倣って5月4日に上社本宮と前宮を、8月25日に下社秋宮と春宮を巡ってきた。なお、下社については、「その2下社秋宮と下社春宮巡り」【後編】として別サイトでリポートする。写真は上社本宮東参道の入口御門と二之御柱である。入口御門は鳥居から真っすぐ入った所にあり、 文政12年(1829)造営の(重文)。太い6本の柱で支えられ威厳を示す大きな屋根は重たそうで、彫刻は複雑に身をくねらす一匹の龍である。

 

諏訪大社四社まいりのマップ。諏訪大社といえば寅年と申年の6年ごと(7年目ごと)に行われる式年造営御柱祭が有名だが、このうち山出し祭の曳行中に木落し坂と呼ばれる急坂で御柱を曳き落とすのが、山出し祭フィナーレ最大の見せ場である木落しである。上社は茅野市の「木落し公園」、下社は下諏訪町の「木落し坂」の場所がマップ上にプロットされている。

 

【上社本宮】 

上社本宮境内案内図。

 

北参道正面の大鳥居は、堂々とした造りで長い歴史があるのかと思ったが平成15年(2003)造営という。この大鳥居をくぐると左側で待ち構えているのが狛犬吽像(角があって口を閉じている)、その向かいには狛犬阿像(角がなく口を開いている)が立っている。昭和60年(1985)に奉献された空想上の守護獣像で、背が高く凛々しく、人の背丈よりも高いところに頭がある。

 

大鳥居をくぐって左手には、龍の口から清めの水が流れ出る手水舎がある。龍の吐水口が多いのは、龍が水を司る神様として崇められていたことが由来とされている。右下は塀重門の入口門を入った参拝所手前にある「明神湯」と呼ばれる温泉が流れ出る手水舎である。説明書きには、「明神湯、往古より諏訪明神ゆかりの温泉とされ諏訪の温泉の源泉とも伝えられている」と記されている。

 

大鳥居をくぐって境内に入ると直ぐに目に飛び込んでくる巨大な柱、これが本宮で一番大きい一之御柱。諏訪大社の社殿の周囲四隅には、御柱と呼ぶ4本の樅の木の御神木が建てられている。御柱は一から四の順に短く細くなり、上空から見た場合に時計回り(一之御柱は社殿右手前、二之御柱は左手前、三之御柱は左奥、四之御柱は右奥)に配置される。御宝殿と共に寅年と申年の7年目毎に建て替えられる御柱大祭、次回は令和10年(2028)に行われる。

 

中央の石段を上ると塀重門である。この門は通れないので右側の参拝者入口門から塀の中へ入ると、参拝の対象となる参拝所や勅願所などの建物に囲まれた上の境内の中に身を置くことになる。

 

正面に拝殿と拝殿の真後ろに幣殿が続き、右片拝殿、左片拝殿、脇片拝殿があるという、本殿を持たない「諏訪造り」の社殿で、それら全てが重文である。屋根、柱、基礎のいずれも頑丈かつ荘厳な造りで、金箔が貼られた装飾も豪華で、さすが上社本宮の中の中心的な拝礼・祈祷場所であるという印象を与えている。この拝殿(天保9年[1838]建立)をさして幣拝殿と呼ばれることもあるようで、中央の拝殿の背後にある幣殿は屋根(奥行がほとんどない)独立した建物になっている。

 

本宮には本殿がない代わりに西御宝殿(左)、東御宝殿(右)がある。宝殿の一方には神輿が納められ、一般の神社の本殿に相当する。寅と申の年の御柱祭で御柱建て替えと同時にもう一方へ遷座し、古い宝殿は建て替えられる。すなわち一つの宝殿は12年ごとに建て替えられ、神明造に似た古い様式を今に伝えている。左下は元禄3年(1690)に創建され、安政年間(1854~60)に大修理された勅使殿(重文)、右下は元禄3年に建立された勅願殿(祈祷所とも、重文)で、個人私事の祈祷の場所という。(説明板より)

 

東参道の入口御門の奥に「布橋」という渡り廊下のような回廊がある。安永6年(1777)造営で桁行38間(約68m)、梁間一間、切妻造、銅板葺構造で重文。その布橋の途中、二つの宝殿の間に建つ「四脚門」は、天正10年(1582)年に一度焼失した後、慶長13年(1608)に徳川家康が国家の安泰を願い寄進し、再建されたもので重文。硯石は諏訪七石の一つに数えられ境内最上段に位置し、上部の凹面に水を張っていることに由来する。しかし、石の近くまで行くことはできず、四脚門から遥拝する。なお、布橋の途中右側には、神馬舎、五間廊、神楽殿、天流水舎の建造物があり、いずれも重要文化財である。

 

東参道の入口御門をくぐった左手に「額堂(絵馬堂、重文)」があり、その隣に「摂末社遥拝所」がある。文政11年(1828)造営(昭和34年改築、平成28年に重文指定)で、 諏訪大社に関係深い摂社や末社を遥拝できる建物である。東参道に立つ二之鳥居は、別名を「東参道鳥居」「南鳥居」といい、銅製で明治25年(1892)建立の明神鳥居(笠木の両端が空へ向かって反りあがっていて、その下に島木を重ねているのが特徴)である。高さ8.8m、柱間7.3mで、かつてはこの鳥居をくぐるのが正式とされていた。平成28年本宮境内の国重要文化財布橋の附にこの鳥居が指定された。

 

【上社前宮】

上社前宮境内案内図。

 

「官幣大社諏訪上社前宮」の社標柱と一の鳥居。参拝する際は、立派な鳥居が見える県道16号線沿いの駐車場を利用すると便利である。

 

一の鳥居をくぐって清掃の行き届いた参道を上がっていくと、左手に手水舎がある。

 

二つ目の鳥居の前に狛犬が鎮座する。この狛犬は平成15年に奉納されたもので、 それまで前宮には狛犬はいなかったという。向かって左側の狛犬は角があり耳をピンッと立てて口を閉じた吽形の狛犬、右側の狛犬は角がなく口を開いている阿形の狛犬。鳥居をくぐって階段を上がると、左手に十間廊、右手に内御玉殿(うちみたまでん)がある。

 

四社の中で唯一本殿を有する「前宮本殿」。諏訪湖南側の高台で豊富な水や日照りが得られる良き地で、一説には御祭神が最初に居を構えられた諏訪信仰発祥の地とも伝えられている。この社殿自体は天正13年(1585)からあったとされているが、現在の本殿は昭和6年の伊勢神宮式年造営替古材の下附を受けて昭和7年に建てられたものである。

 

ゴールデンウイーク中でもあって、拝殿前には参拝者の列ができている。

 

前宮の一、二、三、四御柱で、ほかの三社にもそれぞれに御柱が立てられているが、4本の御柱すべてを間近で見ることができるのは前宮だけである。前宮で見逃せないのがこの四つの御柱で、本殿を取り囲むように立っている樅の木でどれも大きく、中には長さ17m、重さ10tを超えるものもあるとか。本殿に向かって右手前から、時計回りで「一之柱」、「二之柱」、「三之柱」、「四之柱」と名付けられている。

 

左上は境内中央部にある社殿「十間廊」で、名前は、間口が三間(約5.5m)、奥行きが十間(約18m)あることに由来。古来から行われてきた重要神事の舞台で、現在でも「御頭祭」に代表される特殊儀式が執り行われる。右上は本殿に向かう石段右脇にある「内御玉殿」で、諏訪明神の祖霊がやどるといわれる御神宝が安置されていた御殿。左下は前宮末社の「子安社」で、古くから縁結び・安産・子育ての守護神として「お子安様」と親しまれている。右下は「前宮水眼(すいが)公園」で、前宮本殿の横を流れる水眼川の清流を取り入れ、涼を感じられる親水池や水車を置き、自然を感じられる趣のある庭園風の芝生広場など、前宮周辺の落ち着いた雰囲気を活かした魅力ある公園である。

 

本殿前の高台から、参道を見下ろす。左手前に内御玉殿、右手前に十間廊、その向こうに二の鳥居、一の鳥居を望む。

 

【上社の御柱祭、木落し】

御柱祭は、7年に一度、寅と申の年に行われる諏訪大社最大の祭儀で、正式には「式年造営御柱大祭」と呼ばれる。その御柱祭の一部として、上社本宮と前宮の社殿四隅に立てるための樅の大木を、八ヶ岳の山中から人力で曳き出し、「木落し」や「川越し」といった難所を越えて運ぶ勇壮な神事が行われる。御柱祭で御柱を坂の上から下へ滑り落とす「木落し」が行われる場所は、茅野市宮川の見晴らしのよい丘陵地に設けられた「木落し公園」で、御柱祭についての案内看板が設置されている。看板のすぐそばには木落しの際にせり出す柱を落ちないようにとどめる追掛け綱の固定柱がある。この柱と御柱を結び、ピーンと張った状態の追掛け綱を斧で切ると御柱が坂の下へと滑り落ちるのである。上社の木落しは氏子を御柱に乗せたまま傾斜約30度、距離80mの木落し坂から落とす、祭りの中でもっとも危険な行事である。

 

直近の御柱祭は令和4年(2022)だったが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策により準備が制約を受けることや、参加者の安全・安心が担保できないことなどが理由で、同年の御柱祭では氏子による曳行を断念しトレーラーで運搬され、山出しのハイライトである木落しは中止になった。写真は平成28年(2016)の木落しの模様で、御柱にはめどてこ(針孔梃子、角のように大きな梃子棒)が突き出し、めどてこには鈴なりに氏子が跨り、おんべ(木の棒に鉋で削った房を付けたもの)を振って士気を高めている。(画像は信濃毎日新聞Webより)

 

上社の全ての御柱にはめどてこ(針孔梃子、めどとも)と呼ばれるV字型の角のように大きな梃子棒が御柱の前後についている。このめどてこを左右に揺らすと、接地抵抗を軽減でき柱が曳きやすくなる効果がある。 氏子がめどてこに乗り指揮を執りながらおんべを振る姿は勇壮である。おんべ(御幣、木の棒に鉋で削った房を付けたもの、布の織物生地を使ったきらびやかなものも)は、御柱に乗る人や曳き子、木遣りを唄う人まで多くの人がさまざまな色や大きさのおんべを手にし、木遣りとともにおんべが振られるごとに力が満ち巨木の柱が進む。上社山出しのラストイベントの川越しは、山出しの最終日に茅野市中河原と安国寺の境にある川幅約40mの宮川を渡る。御柱を宮川の雪解け水で洗い清める意味があるといわれ、水温10度以下の身を切るような冷たい川の流れに、ずぶ濡れになりながら御柱とともに渡る姿は壮観である。(画像は信濃毎日新聞Webより)