シニアの の~んびり道草 -2ページ目

シニアの の~んびり道草

日頃の散歩や近場のドライブ、時には一晩泊りでぶらっと訪ね歩くことがある。そんな折、おお! これは綺麗だ、これは凄い、これは面白いと感嘆したり、感動したようなことを、思いつくまヽアルバム風に綴ってみる。

1月1日、家族で各務原市那加の那加総社手力雄神社(てぢからおじんじゃ)へ初詣に行ってきた。地元では「てぢからさん」と呼ばれる馴染み深い神社で、天照大神が天の岩屋戸に隠れていたとき、岩屋戸を開けて引き出したと言われる、力が強いことで有名な手力雄神(たぢからおのかみ)を主祭神としており、信長が稲葉山城(現岐阜城)の斎藤氏を攻め入るときに必勝祈願のために立ち寄ったとされている。

神や仏の力などに頼らないイメージの信長が必勝祈願したのには理由がある。神社に伝わる伝説によると、稲葉山城を攻め入る際に、周囲の寺社を焼き払いながら進行したところ、この手力雄神社の手前で突然霧が立ち込め、信長自身が馬から落ち、体の身動きが取れなくなった。信長はこれを神罰だと恐れ、手力雄大神に参拝すると、たちまち霧は晴れ、信長の手足の自由も戻ったという。勝利した信長はこの地に戻り、神社周辺の土地を社領として認め、さらに神社内で乱暴狼藉、放火、竹木伐採を禁ずる禁制を出し、その後もこの手力雄神社を手厚く保護したという。写真は境内の南東側から拝殿を眺めたもので、拝殿の前は正月の飾りものなどで何とも賑やかだ。

この手力雄神社から南西方向約2.5㎞の岐阜市蔵前にも、同一神社名の手力雄神社がある。4月第2土曜日の春の大祭(手力の火祭)は、火薬や花火を仕込んだ神輿を裸男が担ぎ、火の粉を浴びつつ境内を練り歩く豪壮なもので「火祭」として著名。300年余の歴史を誇り、岐阜県の重要無形民俗文化財に指定されている。二つの手力雄神社(各務原市と岐阜市)の関係は、隣社という以外何の関係もない。各務原市の手力雄神社の祭神の天手力雄神は、戸隠神社の影響が強いといわれている。事実、本殿の軒に龍の彫刻があり、龍に関わる話が伝わっているが、これは戸隠神社の九頭竜社の影響という。岐阜市の手力雄神社は、貞観2年(860)、朝廷の宮中の祭神を分祀したもので、元々の祭神は伊勢神宮の天手力雄神であるという。両社の祭神は「天手力雄神」で、しかも社名は手力雄神社と同名である。約2.5kmの距離に、同じ神様を祀る、二つの同名の神社があるのは不思議な気がする。両社では距離も近く混同されやすいことから、間違えないように呼びかけている。



県道152号沿いの大鳥居、右手奥に駐車場がある。手力雄神社で勝運・開運を得るにはまずこの一の鳥居をくぐる。参拝したのは13時過ぎだったが、この一の鳥居から長い行列ができていた。


立派な石造りの二の鳥居前後も、初詣参拝者で大混雑。正面奥に拝殿が見える。


二の鳥居をくぐると、右手に龍の口から清めの水が流れ出る手水舎がある。龍の吐水口が多いのは、龍が水を司る神様として崇められていたことが由来とされている。左手には子安薬師がある。由緒によると、創建は古く、江戸時代承応2年(1653)に建立され、神仏習合の時代でもあり本尊は薬師如来を祀る。古来より子護り薬師様として広く親しまれ、子供の産立(ういだち)前には、手力様と共に初参りをして、無病息災・健やかな生育を祈願される等、延命長寿・縁結び・除災招福の神様として信仰されている。


拝殿に向かう参道には、参拝者が整然と並んでいる。拝殿前には大きな門松飾り、手作り感満載の「午年」の正月飾りが置かれている。


趣のある立派な拝殿で正面には織田家の家紋、木瓜(もっこう)の幕が掛かる。拝殿の奥が本殿で各務原市の重要文化財に指定されている。信長が戦勝を祈願・成就したことから、必勝や厄除け、開運に神徳があるとされ、スポーツ選手らの信仰を集める。拝殿の中には、県内・県外を問わず多くのスポーツチームの写真や楯が飾られている。必勝祈願に訪れるだけでなく、信長と同様に、勝った後のお礼の報告もされているようだ。ここでは正式な参拝方法「二礼・二拍・一礼」で参拝。まず軽く一礼したあと、賽銭をそっと入れる、ぶら下がっている鈴は邪気を追い払うために鳴らす、2度深くお辞儀をする。そして2度柏手(正式には拍手という)を打ち、そして最後にもう一度深くお辞儀をする。願いごとがあるときには、この最後の一礼の際に心に念じる。長い行列ができるのは、参拝は二人づつに限られ、正式な参拝作法の遵守が要因か!。


おみくじ、御札、御守の特設授与所(左上)。おみくじ納所は境内の奉納「さざれ石」の前(右上)。おみくじは若い人も興味があるらしく、人気アイテムだ(下)。


拝殿から裏に回ると延宝2年(1674)に建てられたとされる本殿がある。流れ造りと呼ばれる形式の建物で檜皮葺きの屋根が特徴的である。この本殿軒下の左右に、龍の胴体と四肢が柱と梁に巻き付くように取り付けられているが、作者など詳細は不明という(上)。境内史跡めぐりの案内があったので本殿の裏へ回ってみる。神社の北側にある山裾に、古墳がある。手力雄神社の古墳は「円墳」で、誰の墓かは不明だが、亡くなった人を収めた石の部屋「石室」を外から見学できる(下)。


本殿の左手(西側)の龍の彫刻をズームアップ。精緻な龍は木彫寄木造りで、本殿とともに造られたと伝えられる。作者は不明とされているが飛騨の匠が作ったのが有力だとか。ただ、恐ろしいほどにカッコよく、迫力のある彫刻である。         


境内あちこち。御守特設授与所(左上)、絵馬納処(右上)、参拝者の暖をとるための焚き火(左下)、拝殿前の珈琲、紅茶の出店(右下)。




岐阜県各務原市那加手力町4 那加総社手力雄神社のMAP


                                                                                                               
正月の縁起物として関西地方の雑煮に欠かせない「祝(いわい)だいこん」の収穫が岐阜市内則武地区で始まった。同市則武の畑では生産者が1本ずつ引き抜いて土を落とし、軽トラックの荷台へ運んでいた。

そこで、12月19日に全国最大の生産地として知られる則武地区周辺の収穫、出荷作業状況を見学してきた。関西の一部では「角が立たないように」と輪切りにして、丸餅の雑煮に入れる食文化がある。写真は洗浄され、きれいに並べられた祝だいこんで、このあと、サイズごとに分けて箱詰め出荷される。(岐阜市則武西で)

祝だいこんは長さ20センチ前後、直径3センチと小ぶりで細長いのが特徴。関西地方などでは切り口が丸くなることから、丸餅や里芋と一緒に雑煮に入れ、「角が立たないように」と縁起を担ぐのだという。出荷の多くが関西向けのため岐阜市内で見かける機会は少ないが、奈良県や京都府などでは正月の定番食材だという。



岐阜市則武中地区の露地栽培畑。JAぎふによると全国流通量の約9割を岐阜産が占めるとされ、岐阜市を代表する伝統野菜となっている。


則武中地区の祝だいこん栽培は、平成5年(1993)に生産が始まり、現在は岐阜市園芸振興会だいこん部会に所属する岐阜市の農家計21戸が、約4.3haで栽培する。今年は猛暑などの影響で生育が心配されたが、例年に比べても良いものができたという。


則武中地区のハウス栽培のハウス内畑の様子。露地栽培、ハウス栽培を問わず、収穫作業期間は10日間程しかなくそこに合わせた栽培となり、十分な計画と管理が必要。祝だいこんの収穫は年末まで行われ、約65万本が関西地方に出荷されるという。


則武中のハウス栽培では、祝だいこんを真っすぐに伸ばすために、土を深く耕し、丁寧に土寄せするという。


今が収穫のピークで、畑では生産者が1本ずつ引き抜いて土を落とし、軽トラックの荷台へ運んでいた。今年の秋は天候に恵まれ順調に生育しているということで、例年並みの収穫が見込まれている。(責任者に了解を得て撮影)


収穫後の畑を見ると、曲り・キズ・色や形・太さ等何らかの理由で出荷できない、いわゆる不揃い、規格外のものが廃棄処分されている。


生産農家から集められた祝だいこんは、洗浄機で土を洗い落とす作業、大きな水槽で手作業によりひげ根を取り除く作業などの洗浄工程に。(責任者に了解を得て撮影)


サイズごとに選別、水切りの工程を経て箱詰めされ、翌日には出荷される。(責任者に了解を得て撮影)


関西の一部では「角が立たないように」と輪切りにして、雑煮に入れる食文化がある。丸餅や金時ニンジン、里芋など丸い具材とともに白みそ仕立てで煮込み、家族円満を願う。出荷の多くが関西向けのため岐阜市内で見かける機会は少ないが、奈良県や京都府などでは正月の定番食材だという。


岐阜市則武地区のMAP。




2017年6月にメタセコイア並木の瑞々しい若葉が初夏の風に揺れる時期に、この並木を訪れたことがある。その折に、春の芽吹き・新緑、夏の深緑、秋の紅葉、冬の裸樹・雪花と春夏秋冬に表情を変え、四季折々に美しい景観で迎えてくれることを知り、是非、紅葉の季節に再訪したいと思い、同年12月に秋色に染まる並木を見てきた。

そしてまた、この11月29日にその時の黄色く輝き延々とつづく並木道の眺めに感動したことを家族にもと思い、色づき時期や見頃、混雑状況などをwebサイトで検索、天気予報を確認して出掛けてきた。写真は中間地点を南進中に撮ったもので、立ち並ぶ巨木が道路を覆うように「茶褐色のトンネル」になって、訪れた人々を楽しませている。

このメタセコイア並木は、昭和56年(1981)に学童農園「マキノ土に学ぶ里」整備事業の一環として、マキノ町果樹生産組合によってマキノ栗園(現ピックランド)の防風林として、マキノ栗園内をマキノ高原まで 幹線町道沿いに400本の苗木が植えられたもの。その後も地域の人々の手により育まれ、さらに並木道は延伸して、現在総延長2.4km、500本と今日の壮観を形成するに至っている。メタセコイアは中国原産、ひのき科メタセコイア属の落葉高木で、和名アケボノスギ。樹高は35mに及ぶ。最大樹高が115mにも及ぶと云われるセコイアにその姿が似ていることから、メタ(変化した)セコイアと名付けられている(現地説明板による)。



南側(JR湖西線マキノ駅方面)の起点。ここから北に向かって2.4kmの並木が伸びている。マキノピックランド駐車場0.5km、マキノ高原3kmの標識が見える。


南端付近の樹高12mほどの大木の並木。ここはまるで異国のロマンを感じさせてくれる最高のドライブコースだ。この日は紅葉の見頃、好天の週末土曜日で、大渋滞となりノロノロ運転を余儀無くされた。


漸く、マキノピックランド駐車場、ピックランド西の交差点に到着する。


ピックランド交差点周辺は大賑わい。


ピックランド西の交差点角に立つ、「マキノ高原のメタセコイア並木」のモニュメント。美しい円錐形のメタセコイアの並木と真っすぐに伸びる道路が造りだす対称形の整った景観は、遠景となる野坂山地の山々とも調和し、訪れる人々を魅了する。平成6年(1994年)11月、「新・日本の街路樹100景」に選定されている。


四季折々の絶景が広がるメタセコイア並木のスポットのすぐ傍に、「メタセコイアと馬の森」が2025年4月にグランドオープンした。引退競走馬たちが穏やかに暮らすセカンドキャリアの場所という。馬車で並木を巡り、優しい馬たちと触れ合う癒やしの時間を過ごせる。乗馬で散歩、乗馬体験もできる。


北エリアの並木、北側(マキノ高原マキノスキー場方面)の起点に着く。この辺りは南の方より色づきの進み具合が早いようだ。北エリアは平成16年(2004年)の韓流ブームの火付け役となった『冬のソナタ』の並木道に似ているということで、多くのカメラマンや家族連れが訪れるようになり、平成20年には「恋人の聖地」に選定され、若い世代にも人気のスポットである。


北エリアの上記並木は、報道写真などでもよく紹介されている「ゼブラロード」のベストアングルでもあり、条件が整えばこのように並木の影が道路に対して真横に連なる中を走ることができる。(2017.6.5に撮影)。


折り返し、北側(マキノ高原マキノスキー場方面)の起点から南進する。この辺りは落葉もかなり進んでいるが、この日は土曜日で北端に臨時駐車場もあるので多くの人が訪れていた。


北エリアの並木を外側から望む。深みのあるレンガ色や茶褐色の高原らしい並木道が美しい。



中間地点を南進する。洋画を見るようなシンメトリーな美しさに魅了される。


中間地点の並木を少し離れた西側から眺める。左は振り返って見る北方向、右は南方向。


紅葉したメタセコイアの葉のズームアップ。


ピックランド交差点の西側から、夕日に染まる円錐型のメタコセイア並木を眺める。左は交差点の北側、右は交差点の南側で、真っすぐに伸びる道路が造り出す整った景観が美しい。


マキノピックランド駐車場に戻る。メタセコイアの太い幹が連なる並木を颯爽と駆け抜けるバイクツーリング者も多い。マキノ町へのアクセスは決していいとは言えないが、車であれば最寄のインターチェンジは名神高速栗東IC。そこから琵琶湖大橋、国道161号・湖西道路を経由して約90分。もしくは北陸自動車道木之本ICから、R8、R303、県道287号を経由して約50分だが、私は往路は木之本IC、帰路は栗東ICを利用した。



「滋賀/マキノ高原 紅葉のメタセコイア並木道」の車載動画【7分37秒】



滋賀県高島市マキノ町蛭口~牧野(県道小荒路牧野沢線)のMAP。