令和7年(2025) 地元の氏神様へ初詣 | シニアの の~んびり道草

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日頃の散歩や近場のドライブ、時には一晩泊りでぶらっと訪ね歩くことがある。そんな折、おお! これは綺麗だ、これは凄い、これは面白いと感嘆したり、感動したようなことを、思いつくまヽアルバム風に綴ってみる。

令和7年1月4日、地元の氏神様二社へ初詣に行ってきた。「氏神様」とは、自分が住んでいる土地を守る神様のこと。元々は、同じ地域や集落にすむ氏姓を同じくする人々の中で祀られる神様だったので、氏神様と呼ばれるようになった。氏姓を同じくする人々の先祖の神様であり、守り神でもあったと言われている。

現在は、氏神様は自身が居住している地域全体の神であり、その氏神様をお祀りする神社が氏神神社ということになる。その土地に住んでいれば、自身の信仰に関わらずその地域の氏神神社の氏子となる。そんな訳で、拙宅にほど近い長屋神社と徳山神社へ参拝してきた。



長屋神社の社号標と大鳥居。


参道から境内を望む。参道右側には脇社・八王子社がある。


正月らしい門松くぐりと後方は拝殿。


手水鉢と太鼓橋。


長屋神社本殿と門松。略歴=永正年間(1504~21)に創建された神社である。天文元年(1532)、相羽城城主長屋景興により現在地に移転し、城の守護神とするが、相羽城が天文14年に斎藤道三に攻められて落城すると、天文16年より地元の村民の手で管理される。元禄元年(1688)に社殿は焼失する。現在の社殿は元禄4年の再建である(三間社流造の壮麗な建物で岐阜県指定重要文化財)。慶応4年(1868)、長屋牛頭天王に改称するが、明治4年(1871)に長屋神社の名に戻されている。( フリー百科事典[Wikipedia]による)


長屋神社のナギ(昭和57年2月2日市指定天然記念物指定)。この木は、目通りが1.6m、高さが約16mあり、枝の広がりは東へ3.7m、西へ6.2m、南へ4.8m、北へ3.8mに及んでいる。県の重要無形民俗文化財に指定されている「長屋神社の祭礼行事」の「馬駆け」の時に、馬をつなぐ神木として祭祀用に植えられたと伝えられている。また、ナギ(梛)の特性を生かし、木の葉で油をとって灯明に使われていた。植えられたのは元禄3年(1690)に発生した長屋神社の火災後であろうと推定され、樹齢およそ300年を経過している古木である。(現地案内板より)                  


長屋神社の祭礼行事は、8月1日が試楽、8月2日が本楽で、行事は「一本茶漬」「神輿の渡御」「山車の稚児舞と獅子舞」「馬駆け」の四つから成っている。馬駆けは五穀豊穣と家内安全を願う祭礼行事で、若武者姿の乗子が馬に乗り境内を駆け抜ける。花笠を開き紙吹雪を舞い散らせながら疾走し、華やかで勇壮なフィナーレを飾り、未来へ残すべきお祭りとして県指定重要文化財に指定されている。


徳山神社の神社名石碑と本殿全景。


正面から見た徳山神社の境内全景。


手水舎の手水鉢。


本殿に向かって左側に吽像(角なし、口を閉じている)、右側に阿像(角あり、口を開けている)の狛犬が、更に一段上に本殿が鎮座している。徳山神社の略歴=旧・揖斐郡徳山村は昭和62年(1987)に廃止、藤橋村に編入。現在の揖斐川町の各地区に存在した神社を移転して、合祀した神社である。旧徳山村の集団移転地の近くにある。かつての徳山村には8つの集落(徳山本郷、下開田、上開田、山手、櫨原、塚、戸入、門入)が存在したが、徳山ダムの建設により、ほとんどの集落が水没することになり、ほとんどの住民が移転しなければならなくなった。各集落にはそれぞれ神社が祀られていた。各集落の神社は移転となり、本巣市の集団移転地の近くにまとめて合祀することとなり、旧村名から「徳山神社」と名づけられ、昭和62年10月25日に創建される。( フリー百科事典[Wikipedia]による)


徳山神社元服式(市指定無形民俗文化財、平成3年7月15日指定)の現地解説板。     


令和6年の元服式「理髪の儀」「加冠の儀」「巫女神楽の奉納」「獅子舞の披露」の模様(本巣市HPより)。なお、本年は1月13日(月・祝)に開催を予定していたが、該当者がないため、今年の開催は中止になった。



岐阜県本巣市長屋1117番地の1-2 長屋神社のMAP



岐阜県本巣市文殊115番地127 徳山神社のMAP