雨乞い伝説 夜叉堂の早咲き河津桜が見頃 | シニアの の~んびり道草

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日頃の散歩や近場のドライブ、時には一晩泊りでぶらっと訪ね歩くことがある。そんな折、おお! これは綺麗だ、これは凄い、これは面白いと感嘆したり、感動したようなことを、思いつくまヽアルバム風に綴ってみる。

このところ生活全般が新型コロナウイルスの感染症関連に振り回され、気が滅入りがちな毎日が続いている。そんな中、3月9日の新聞報道で西濃地域に伝わる雨乞い伝説「夜叉ヶ池伝説」ゆかりの神戸町安次の「夜叉堂(やしゃどう)」で、早咲きの河津桜が見頃を迎えていることを知り、早速、その日に行ってきた。

夜叉堂は、岐阜県安八郡神戸町にある神社である。正確には神社や寺院とはいえないが、その性格上、神社扱いで記述する。夜叉堂は、平安時代に実在したという夜叉姫とその父親である郡司安八太夫安次を祀る。毎年8月16日には、例祭である夜叉龍神大祭が行なわれる。夜叉堂の隣にある萬歳館には、夜叉姫、夜叉ヶ池の資料を展示しており、夜叉姫絵伝や夜叉ヶ池登山往程の図の他、日吉山王祭、善学院などの資料も展示している(この項フリー百科事典 Wikipediaによる)。


早咲きの河津桜が満開の夜叉堂の入り口。新聞報道もあって多くの近隣住民らが訪れていた。


一帯には16本の河津桜が植えられ、青空に色の濃い河津桜が映え美しい。ここは知る人ぞ知る桜の名所で、一足先に春を感じられる。


濃いピンク色の花が鮮やかに咲き誇っている。


今季は暖冬の影響で例年より一週間ほど早く開化、今、まさに満開である。


代表種のソメイヨシノよりも赤みがかった可憐な花が、訪れた人たちを楽しませている。


伝説の現地案内板。弘仁8年(817)、延暦寺の荘園である美濃国平野庄(現、岐阜県安八郡神戸町)は大干ばつに見舞われた。この時、郡司の安八太夫安次が道端にいた小さな蛇に、「もしそなたが雨を降らしてくれたなら、我が娘をやろう。」と語ったという。この小蛇は揖斐川の上流に住む龍神であり、安次の夢枕に「その願いをかなえよう。」と告げ、その夜、大雨を降らせた。翌日、約束どおり娘をもらう為、龍神は若者の姿に変えて安次の前に現れた。安次が娘たちに事情を話すと、一番心がやさしい次女(三女の説もある)が、「村人を救っていただいたからには、喜んで嫁ぎます。」と、若者とともに揖斐川上流へ向かったという(この項フリー百科事典 Wikipediaによる)。また、『夜叉ケ池』は泉鏡花が大正2年(1913)に発表した戯曲でも知られ、これを原作とする演劇や映画化もされている。


夜叉堂は、安八太夫安次が龍神と龍神に嫁いだ娘の夜叉姫を祀る祠を、自宅内に建立したのが始まりという。昭和2年(1927)、安八太夫安次の子孫、石原家(戸主は代々石原伝兵衛を名乗る)により整備され、境内に夜叉姫観音を祀る。写真は群主安八太輔安次公と夜叉姫の碑(左)と夜叉堂(扁額は夜叉龍神)。


夜叉ヶ池は、岐阜県揖斐川町坂内と福井県南条郡今庄町との県境、三国ヶ岳から三周ヶ岳にのびる稜線上の標高1,099mにあり、周囲230m、水深7.7mでほぼ円形の池である。岐阜県側からは、坂内の夜叉ケ池駐車場より約一時間半ほどで登れるが、登山道は相当に急峻である。【平成9年(1997)11月9日に撮影】



岐阜県安八郡神戸町大字151-2 夜叉堂のMAP