三重県の紅葉人気ランキング7位 聖宝寺を訪ねる | シニアの の~んびり道草

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日頃の散歩や近場のドライブ、時には一晩泊りでぶらっと訪ね歩くことがある。そんな折、おお! これは綺麗だ、これは凄い、これは面白いと感嘆したり、感動したようなことを、思いつくまヽアルバム風に綴ってみる。

いわゆる「紅葉狩り」のためだけに、三重県内を訪れるのは初めてである。岐阜県の西濃地区に在住する私は、紅葉狩りといえば県内は勿論のこと、滋賀県、京都府、奈良県、愛知県などの紅葉名所を数え切れないほど訪ね歩いている。11月中旬、Webの「紅葉情報2019」を検索中に目に留まったのが、三重県いなべ市藤原町の鳴谷山聖寶寺(めいこくさんしょうぼうじ)である。ここは三重県内でも一番北に位置し距離的にも近く、三重県内紅葉人気度7位で、見頃は下旬から12月上旬という。そこで、11月28日に初の三重県の紅葉見物に出掛けることにした。写真は境内園地の下段鏡池から上段浄土池付近の紅葉を眺めたものだが、木によって順に色づいていくので様々な色が入り混じって美しい。

聖寶寺の歴史は、遠く平安初期にまで遡る。平安初期の大同2年(807)に天台宗の開祖・伝教大師最澄大和上によって開かれ、当時は七堂伽藍を有する広大な境内があり、僧兵も在住していたといわれている。当寺の庭園は藤原期の造庭と推測され、回遊式の大きい池は別名浄土池と呼ばれ、浄土の世界を表していると伝えられている。しかし、元亀・天正(1570~1592)の戦国時代、織田信長の家臣・滝川一益による員弁(いなべ)攻略で、郡内の諸神社・諸寺院は、兵火によりほとんどが焼失してしまった。その際、聖宝寺も消失してしまい、天正8年(1580)伝教大師以来の伝統千年の歴史を閉じることとなった。その後の徳川中期、万治元年(1658)になると龍雲寺(藤原町鼎)の住職が奮闘し、大圓宝鑑愚堂和尚に開山になってもらい、再興を果たし現在に至っている(聖宝寺HPより)。



聖宝寺園地周辺のマップ。入り口の鳴谷神社付近の一般駐車場から境内に至るまでには約300段の石段を登らなければならないが、聖宝寺庭園駐車場(紅葉シーズンは大変混みあい駐車できない場合もある)を利用すれば境内直下の30段の石段を登るだけで行ける。境内は東海自然歩道の休憩地にもなっている。


藤原岳の懐に静かに佇む最澄が開いたと伝わる古刹、鳴谷山聖寶寺の寺標柱。この30段ほどの石段を上ると境内庭園が広がる。


鐘楼の前には大きな銀杏が見事に色づいている。銀杏ともみじのコラボが境内を彩る。


本堂に向かう参道から本堂左手前の庭園の眺め。京都や有名観光寺院のような華やかさはないが、ここの静寂感が何ともいい。


聖寶寺は臨済宗妙心寺派の禅寺で、本堂は庭園を見下ろすように建てられている。本尊は開祖・伝教大師最澄大和上の作と伝えられる十一面千手観世音菩薩。


平安時代作といわれる名庭で、池の周囲に沿って歩道がありどの角度からも庭園を楽しむことができる池泉回遊式。下段の鏡池周辺は色づく時期が異なるので、赤・黄・緑と多彩な色が楽しめる。現在、聖宝寺の紅葉はハウチワカデ・ヤマカエデ・イロハカエデ・キョウカエデの4種類という。


下段の鏡池は「逆さもみじ」が楽しめるのだが、落ち葉が水面に浮かんでおり写り込みは限定的だった。


下段の鏡池付近点描。


本堂の回り縁から玉広稲荷、地蔵堂方向を眺める。


回遊式庭園の上段浄土池。平安時代に仏教が普及するにつれ、仏堂の前に極楽浄土をかたちどった浄土庭園が造られた。平安の浄土庭園は、池の中に帝釈天が住むという須弥山を置き、そこへ呉橋(中国風の屋根や欄干のある反り橋)をかけるのが定番となった。このように庭園は浄土の教えと深い係わりがあり、その中心である池を浄土池と呼ばれる。聖宝寺の泉水池はこの特徴を持っており、平安時代の造池といわれる名庭である(聖宝寺のHPより)。


浄土池側から本堂の南側(左上)と地蔵堂方向を(右上)、浄土池を回遊する歩道の綺麗に色づいたモミジ(左下、右下)。


浄土池にかかる呉橋(上)、橋を渡った中心部に弁天堂がある(左下)、浄土池周りの鮮やかに色づいたモミジ(右下)。


下段の鏡池の傍に著名な俳人・山口誓子の句碑がある。「香木も立つ萬緑の大斜面」。香木は浄土池(上段の池)の端に立つ薫りを放つ日本白檀の木で、萬緑の大斜面は本堂背後の大スロープで、鈴鹿山脈の北の端にある藤原岳の新緑の頃の景観を詠んだ句。


境内から少し下がった所にある鳴谷(なるたに)滝。藤原岳から湧き出た伏流水が鳴谷渓谷に合流し、聖宝寺の直ぐ下で落差約10mの直瀑と段瀑になって流れ落ちている。最近になって滝行の場であった思われる石段が現れたという。



三重県いなべ市藤原町坂本981 聖宝寺のMAP