涼を求めて『孝子物語』の養老の滝へ | シニアの の~んびり道草

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日頃の散歩や近場のドライブ、時には一晩泊りでぶらっと訪ね歩くことがある。そんな折、おお! これは綺麗だ、これは凄い、これは面白いと感嘆したり、感動したようなことを、思いつくまヽアルバム風に綴ってみる。

台風5号が過ぎ去って青空が広がった8月9日に、涼を求めて、地元の「養老の滝」へ行ってきた。

養老の滝は何度か訪れているが、台風の影響で今回は滝の水かさがかなり多かった。この台風は、7/21 午前9:00に発生、8/9 午前3:00に山形県沖で温帯低気圧に変わって消滅するという、観測史上3番目に長い、実に18.75日にわたる長寿台風だった。養老の滝に近い岐阜県関ヶ原町では、降り始めからの総雨量が238.0㍉に達する大雨となった。(中日新聞による)




滝壺横のベストアングル。台風一過、この日は多くの観光客が訪れ、この定番スポットで記念写真を撮っていた。
定番スポット

滝への道は地面に日が届かない程の木立の中で、おかげで夏でも日陰になって涼しい。途中、滝から流れてくる渓流の風景を楽しみながら上って行く。
遊歩道と渓流

滝から流れる小川には7つの橋があり、その一番上の橋、みゆき橋まで上って行くと滝が見えてくる。ここも休憩や写真撮影のベストロケーションである。
みゆき橋からの眺め

滝壺の一段下の岩場から眺める。高さ約30m、幅が約4mあり、岩角を打って流れ落ちる水は清冽でその雄麗な姿は素晴らしい。台風の影響で水量が普段よりかなり多いようだ。
一段下の岩場から

滝までの距離がないのでズームで画角を大きくすると滝全体が撮れない。写真は縦に5分割で撮影し、縦パノラマに画像処理したもの。
パノラマ合成

夏休みで子どもたちも多い。滝周辺は水しぶきがミスト状になっており、空気もひんやりしている。
夏休みで子供も多い

滝壺の様子。水しぶきが飛散しており、肌寒いくらい。
滝壺の様子

滝壺横の広場には、養老改元1300年祭の幟旗が立っている。奈良時代の女帝・元正天皇が、西暦717年に養老の地へ行幸され、その美しい泉に感銘を受け、元号を「霊亀」から「養老」に改元された。今年は養老改元から1300年という節目の年にあたり、養老町では地域住民や各種団体、事業者などとの協働による「養老改元1300年祭」を開催している。
滝壺横の広場

梁川星巌(やながわせいがん)の養老改元詩碑。梁川星巌は安八郡曽根村(現大垣市曽根町)の出身の江戸時代後期の漢詩人。みゆき橋手前に立つ碑には、養老改元を称える漢詩が刻まれている。
梁川星巌詩碑

菊水泉とは、霊亀3年(717)、元正女帝が奈良の都から行幸になり、自ら飲浴され、「老いを養う霊泉」と元号を養老と改め、養老山地から湧き出るミネラルを含む水は、世の中をくくり結び、病に効く「菊水泉」と名付けられた。滝の水がお酒になったという孝子伝説は、この地に語り継がれる有名な伝説である。あら筋は、老いた父親に大好きな酒を飲ませてあげられない貧乏な若者がいて、父親に酒を飲ませてあげたいと願い、山に入り谷に落ちた拍子に酒の湧き出ている泉を見つける。酒を瓢箪に汲んで帰ると父親は大変喜んだという。
菊水泉

冨長覚夢(とみながかくむ)の孝子物語の七言絶句。冨長覚夢は養老町室原の出身で、現代の漢詩壇の第一人者。養老神社近くに立つ大瀑詩碑には、「ひとたび霊泉の変じて酒となってより」と孝子物語の漢詩が刻まれている。
冨長覚夢詩碑

葛飾北斎の描いた養老の滝(左)と歌川広重の描いた養老の滝(右)。(フリー百科事典ウィキペディアより)
葛飾北斎、歌川広重

レトロな雰囲気の土産物店の店先には、ラムネやサイダー、柿ジュースが並んでいる。
サイダー、ラムネ

「涼を求めて『孝子物語』の養老の滝へ」のビデオ


岐阜県養老郡養老町 養老公園内 養老の滝のMAP