今日昨日と、新庄村やら関西の方からお手伝いに来てくれて木の伐採搬出を行いました。
それにしても暖かくなってきました
梶並にも春が。今にも芽ぶきそう
昨日は、国際協力関係の友達が来てくれました。鳥取から京都から兵庫から三重から色々と。
田舎に可能性を感じている若者が僕らの世代にはすごく多いです。
多くの人が、目の前で起こっている社会的な矛盾と自分達の生活をどこかで分けています。
どこかで諦めているのか目をつむっているのかわかりません。
自分にも、どこかにその境界があります。
でも、諦めや目をつむることによってできた境界が自明のものとして社会の中に溶け込んでることに違和感を持ってる若者も私の周りにはかなりいます。
自分もその一人です。
だから、
違和感がないように自然と折り合いをつけながら、自分の足元から生活を自分で作っていくことができる田舎へ可能性を見ている人が多いのだと思います。
また、社会人になって今までどおりに働くことに魅力を感じない若者が増えています。
でも、田舎に入ろうと思っても実際に地域に入っていく若者はすごく少ない。
そして、今田舎に入っている若者の多くはまだ補助金や助成金で暮らしています。
田舎で雇用をつくる、僕らがここで外貨を稼ぐということはそれ自体にとても意味のあることだと思っています。
今、私は市の特別職員という形で地域に入っていますが、行政というのは非常に変化を好まない動かない組織だということがここ一年でわかりました。個人個人では情熱ある人がいるのにうまく機能しない組織。
政治的な力で判断が右往左往する。
あと2年間、仮にも市の職員としてやることと、市と一緒にやることに意味を見出すことができないでいます。
組めたら一番いい相手ですがうまく組めないと足を引っ張るような存在です。
この前、「あなたに会えて、未来への可能性がひろがりました」って言ってくれた友人がいました。
それはもう、うれしかった。でも、その可能性をもっと確実なものへしないといけないと思っています。
僕らが田舎で仕事を作ったとして、誰が幸せになるのか。
そんなことを考えながら明日も搬出行ってきます。