『報恩抄』 建治二年七月二十一日 五十五歳
仏法に入りて第一の大事なり。愚眼をもて経文を見るには、法華経に勝れたる教ありといはん人は、設ひいかなる人なりとも謗法は免れじと見えて候。而るを経文のごとく申すならば、いかでか此の諸人仏敵たらざるべき。若し又をそれをなして指し申さずば、一切経の勝劣空しかるべし。
(御書1003㌻2行目~4行目)
【通釈】
仏法における第一の大事である。日蓮の眼をもって経文を見たところでは、「法華経よりも勝れた教がある」と言う人は、たとえいかなる人であっても、謗法は免れないと説かれている。ゆえに経文のとおりに言うならば、どうしてこの諸人が、仏敵でないことがあろうか。もしまた(諸人を)恐れて(仏敵であることを)指摘しないならば、一切経の勝劣も空しいものとなるであろう。