永遠の姉妹 第37話『受け継がれた命』
「あ、あいつが…あいつが悪いんだ。知香子を…裏切ったりするから…」
仁は、おろおろしながら言った。
「…許さない」
知永子は、そう言って和彦の腹部に刺さっていたナイフを引き抜く。血まみれになったナイフを握り締め、仁に踊りかかって行った。
「や、やめろ…」
仁は、しっかりと知永子の手首を掴む。
しかし、知永子も負けてはいなかった。徐々に、ナイフの切っ先が仁へと近づいて行く。
「許さない…。和彦に…和彦にあんなことを。…あんたも、今この場で殺してやる!」
言いながら、知永子は更に力を強めた。和彦の血にまみれ、まさに鬼の形相で仁を睨む。
「お、お願いだ…許してくれ…。俺も、本当に殺すつもりなんてなかったんだ…」
「絶対に許さない!和彦を殺めた報いを、受けるがいいわ!!」
仁は涙ながらに懇願したが、知永子はそう叫びながら渾身の力でナイフを押し出した。ナイフが肉の中へとめり込んでいく、嫌な感触がする。
ふいに、仁の手から力が抜けた。そのまま、ゆっくりと倒れ込む。
知永子は仁の体に馬乗りになり、尚もナイフを振り下ろした。何度も繰り返す。
遠くから、パトカーの音が聞こえた。
この日の為に買った、シャネルの新作スーツに身を包んだ知香子は、会議室の前で大きく深呼吸をした。それから、ドアを開ける。
会議室に揃った役員達の視線が、一斉に知香子に注がれた。知香子は背すじを伸ばしながら、その視線の中を進んで行く。
「皆様、初めまして。この度、倉内コーポレーションの代表取締役に就任致しました、倉内知香子です」
正面に立った知香子は、そう言って深々と頭を下げた。
突然の発表に、役員達の間からざわめきが起こる。
「…社長は、つい最近滝さんに変わったばかりじゃ…」
知香子の目の前に座った男が、口を挟んだ。
「滝さんには…これからは専務を勤めて頂きます」
知香子は、滝に向かってにっこりと微笑みかける。滝は、苦虫を噛み潰したような表情で押し黙ったままだ。
ざわめきが、一層広がって行く。
「いきなりの社長交代に、皆様が不安を感じるのも致し方のないことだとは思います。ただ…私は亡き父の遺志を引き継ぎ、この倉内コーポレーションのより一層の発展に、この身を捧げて行きたいと考えております。どうか皆様のお力を、若輩者の私にお貸し頂けませんでしょうか」
知香子は、真っ直ぐに役員達を見据えたまま語った。知香子の迫力に押されたように、まばらな拍手が起こる。
知香子は、勝ち誇ったように笑った。
すんなりと歓迎されないことは、端から解っている。まばらな拍手だとしても、もらえるだけ上出来だ。
後は、自らの力でその輪を広げて行けばいい。
その時、再びドアが開いた。会社の会議室にはおよそ相応しくない、制服姿の少女が立っている。
少女は、ゆっくりと室内に足を踏み入れて来た。
滝は、はっとする。あの時の少女に、間違いなかった。
少女は、当然のように滝の元に歩み寄り、こう言った。
「あたし、このおじさんに売春を強要されました。強引にラブホテルに連れ込まれて…それで…」
滝を指差し、涙混じりに訴える。
「な、何を、!?」
滝は、思わず立ち上がった。室内のざわめきが、最高潮に高まる。
「ありがとう。なかなかの名演技だったわ」
会社近くの喫茶店で少女と待ち合わせた知香子は、そう言って封筒を手渡した。中には、十万円ほど入っている。
「ちょっと緊張したけど…何か楽しかったわ」
少女は、封筒の中味を確認しながら、ペロリと舌を出した。
全ては、あの会社から滝を追いやる為に、知香子が企てた策略なのである。
「でも…あのおじさんって、やっぱりクビになっちゃうわけ?」
「そうね。役員達全員の前で、未成年への売春強要が発覚したんだもの…それは免れないわ」
「そっかぁ…」
少女は、溜め息をついた。
「何?まさか、あの男に同情でもしてるって言うの?」
知香子は、嘲るような口調で言った。
「別に、そんなわけじゃないけど。ただ…本当は、ホテル行って寝ちゃっただけなのに…ちょっとやり過ぎな感じがしたの」
「いい。覚えておきなさい」
少女の言葉を遮るように、知香子が言葉を強める。少女は、驚いて目を見開いた。
「本当に欲しいものを手に入れる為には、徹底的にやらなきゃいけないの。ほんの少しでも情けをかけたりしたら、絶対に後で寝首をかかれるわ。相手の息の根が完全に止まるまで…追い詰めてやるのよ」
鬼気迫る知香子の表情に、少女の顔が蒼醒める。
静まり返ったふたりの耳に、ニュース番組のキャスターの声が入って来た。
「昨夜未明、東京都港区の路上で、障害致死事件が発生しました。現在判明しているところによりますと、死亡したのは荒井仁さん三十才と、伊原和彦さん二十九才のふたりで、警察は同現場にいた女性が詳しい事情を知っていると見て、女性から話を聞いている模様です」
「何ですって!?」
和彦の名前に気が動転した知香子は、思わずテレビに向かって叫ぶ。しかし、画面に映し出された写真は、確かに和彦と仁のものだった。
知永子は、拘置所の中にいた。昨夜から、取り調べを受けている。
「…で、あんたは仕返しに相手の男を刺し殺したってわけね?」
知永子の向かいに座った刑事は、知永子に確認した。
知永子は、力なく頷く。目の前のことに、全く現実感がない。まるで、悪い夢でも見続けているようだった。
「あの男が…わたしの目の前で和彦を…」
知永子は譫言のように呟く。顔を覆い、言葉を詰まらせながら泣いた。
「まあ、あんたの心情も解らなくはないけど…」
刑事は、言いながら仁の死に様を思い出す。今思い返しても、寒気がした。
仁は、まさにめった刺しの状態で殺されていた。
とても、今自分の目の前にいる、このか細い女が行った犯行とは信じられない。しかし、現場に残った状況証拠も彼女の自供を裏づけていた。
刑事は、溜め息をつく。
「…全く、女って生き物は見かけじゃ解らないもんだね。本当に…恐ろしいよ」
ひとり呟いた。
ふいに、この世の終わりのように泣いていた知永子が、口元を押さえる。吐き気を催しているのか、その場にしゃがみ込んで苦しげに咳き込んだ。
「ど、どうしたんだ!?」
驚いた刑事は、知永子の背中をさすったが、知永子の吐き気はいっこうに収まらない。
「あんた、まさか…」
ふと思い当たった刑事が呟く。知永子は、無意識に自らの腹部に手を当てた。
<この時、知永子は和彦の子供を身籠もっていた。死んだ和彦の命は、知永子の子宮を通して受け継がれたのである。
しかし、この運命の子供こそが、姉妹の骨肉の争いの新たなる火種になるのであった。>
つづく
仁は、おろおろしながら言った。
「…許さない」
知永子は、そう言って和彦の腹部に刺さっていたナイフを引き抜く。血まみれになったナイフを握り締め、仁に踊りかかって行った。
「や、やめろ…」
仁は、しっかりと知永子の手首を掴む。
しかし、知永子も負けてはいなかった。徐々に、ナイフの切っ先が仁へと近づいて行く。
「許さない…。和彦に…和彦にあんなことを。…あんたも、今この場で殺してやる!」
言いながら、知永子は更に力を強めた。和彦の血にまみれ、まさに鬼の形相で仁を睨む。
「お、お願いだ…許してくれ…。俺も、本当に殺すつもりなんてなかったんだ…」
「絶対に許さない!和彦を殺めた報いを、受けるがいいわ!!」
仁は涙ながらに懇願したが、知永子はそう叫びながら渾身の力でナイフを押し出した。ナイフが肉の中へとめり込んでいく、嫌な感触がする。
ふいに、仁の手から力が抜けた。そのまま、ゆっくりと倒れ込む。
知永子は仁の体に馬乗りになり、尚もナイフを振り下ろした。何度も繰り返す。
遠くから、パトカーの音が聞こえた。
この日の為に買った、シャネルの新作スーツに身を包んだ知香子は、会議室の前で大きく深呼吸をした。それから、ドアを開ける。
会議室に揃った役員達の視線が、一斉に知香子に注がれた。知香子は背すじを伸ばしながら、その視線の中を進んで行く。
「皆様、初めまして。この度、倉内コーポレーションの代表取締役に就任致しました、倉内知香子です」
正面に立った知香子は、そう言って深々と頭を下げた。
突然の発表に、役員達の間からざわめきが起こる。
「…社長は、つい最近滝さんに変わったばかりじゃ…」
知香子の目の前に座った男が、口を挟んだ。
「滝さんには…これからは専務を勤めて頂きます」
知香子は、滝に向かってにっこりと微笑みかける。滝は、苦虫を噛み潰したような表情で押し黙ったままだ。
ざわめきが、一層広がって行く。
「いきなりの社長交代に、皆様が不安を感じるのも致し方のないことだとは思います。ただ…私は亡き父の遺志を引き継ぎ、この倉内コーポレーションのより一層の発展に、この身を捧げて行きたいと考えております。どうか皆様のお力を、若輩者の私にお貸し頂けませんでしょうか」
知香子は、真っ直ぐに役員達を見据えたまま語った。知香子の迫力に押されたように、まばらな拍手が起こる。
知香子は、勝ち誇ったように笑った。
すんなりと歓迎されないことは、端から解っている。まばらな拍手だとしても、もらえるだけ上出来だ。
後は、自らの力でその輪を広げて行けばいい。
その時、再びドアが開いた。会社の会議室にはおよそ相応しくない、制服姿の少女が立っている。
少女は、ゆっくりと室内に足を踏み入れて来た。
滝は、はっとする。あの時の少女に、間違いなかった。
少女は、当然のように滝の元に歩み寄り、こう言った。
「あたし、このおじさんに売春を強要されました。強引にラブホテルに連れ込まれて…それで…」
滝を指差し、涙混じりに訴える。
「な、何を、!?」
滝は、思わず立ち上がった。室内のざわめきが、最高潮に高まる。
「ありがとう。なかなかの名演技だったわ」
会社近くの喫茶店で少女と待ち合わせた知香子は、そう言って封筒を手渡した。中には、十万円ほど入っている。
「ちょっと緊張したけど…何か楽しかったわ」
少女は、封筒の中味を確認しながら、ペロリと舌を出した。
全ては、あの会社から滝を追いやる為に、知香子が企てた策略なのである。
「でも…あのおじさんって、やっぱりクビになっちゃうわけ?」
「そうね。役員達全員の前で、未成年への売春強要が発覚したんだもの…それは免れないわ」
「そっかぁ…」
少女は、溜め息をついた。
「何?まさか、あの男に同情でもしてるって言うの?」
知香子は、嘲るような口調で言った。
「別に、そんなわけじゃないけど。ただ…本当は、ホテル行って寝ちゃっただけなのに…ちょっとやり過ぎな感じがしたの」
「いい。覚えておきなさい」
少女の言葉を遮るように、知香子が言葉を強める。少女は、驚いて目を見開いた。
「本当に欲しいものを手に入れる為には、徹底的にやらなきゃいけないの。ほんの少しでも情けをかけたりしたら、絶対に後で寝首をかかれるわ。相手の息の根が完全に止まるまで…追い詰めてやるのよ」
鬼気迫る知香子の表情に、少女の顔が蒼醒める。
静まり返ったふたりの耳に、ニュース番組のキャスターの声が入って来た。
「昨夜未明、東京都港区の路上で、障害致死事件が発生しました。現在判明しているところによりますと、死亡したのは荒井仁さん三十才と、伊原和彦さん二十九才のふたりで、警察は同現場にいた女性が詳しい事情を知っていると見て、女性から話を聞いている模様です」
「何ですって!?」
和彦の名前に気が動転した知香子は、思わずテレビに向かって叫ぶ。しかし、画面に映し出された写真は、確かに和彦と仁のものだった。
知永子は、拘置所の中にいた。昨夜から、取り調べを受けている。
「…で、あんたは仕返しに相手の男を刺し殺したってわけね?」
知永子の向かいに座った刑事は、知永子に確認した。
知永子は、力なく頷く。目の前のことに、全く現実感がない。まるで、悪い夢でも見続けているようだった。
「あの男が…わたしの目の前で和彦を…」
知永子は譫言のように呟く。顔を覆い、言葉を詰まらせながら泣いた。
「まあ、あんたの心情も解らなくはないけど…」
刑事は、言いながら仁の死に様を思い出す。今思い返しても、寒気がした。
仁は、まさにめった刺しの状態で殺されていた。
とても、今自分の目の前にいる、このか細い女が行った犯行とは信じられない。しかし、現場に残った状況証拠も彼女の自供を裏づけていた。
刑事は、溜め息をつく。
「…全く、女って生き物は見かけじゃ解らないもんだね。本当に…恐ろしいよ」
ひとり呟いた。
ふいに、この世の終わりのように泣いていた知永子が、口元を押さえる。吐き気を催しているのか、その場にしゃがみ込んで苦しげに咳き込んだ。
「ど、どうしたんだ!?」
驚いた刑事は、知永子の背中をさすったが、知永子の吐き気はいっこうに収まらない。
「あんた、まさか…」
ふと思い当たった刑事が呟く。知永子は、無意識に自らの腹部に手を当てた。
<この時、知永子は和彦の子供を身籠もっていた。死んだ和彦の命は、知永子の子宮を通して受け継がれたのである。
しかし、この運命の子供こそが、姉妹の骨肉の争いの新たなる火種になるのであった。>
つづく
永遠の姉妹 第36話『愛の逃避行』
「一体…何があったって言うの!?」
那代子からの電話を終えた和彦に、知永子が詰め寄る。和彦はがっくりとうなだれたまま、ソファに座り込んだ。
「母さんが…俺達の結婚を、反対して来た…」
「何ですって!?」
那代子の突然の心変わりに、知永子は衝撃を受ける。
「何でかは知らないけど…母さんが、知永子のお母さんの死の経緯を知ってしまったらしいんだ」
「そ、そんな…」
「実は…死んだ父さんは、ちょっと女癖が悪い人で…母さんもだいぶ苦労させられて来たんだ。だから…妻子ある男性の愛人を長年やって来た知永子のお母さんのことを、けして認められないんだと思う…」
重い口調で、和彦は語った。知永子は、和彦にしがみつく。
「嫌よ!わたしは、和彦と別れるだなんて…絶対に嫌!!」
「あぁ…俺も、同じ気持ちだよ」
和彦は、言いながら知永子の手を握り締めた。ふたり寄り添い合う。
「…和彦。わたし達、一体どうすればいいの…」
知永子は和彦の胸に顔を埋め、泣きながら言った。
<知香子の策略により、知永子は行き場のない袋小路へと追いやられた。
永遠に貫くと誓った知永子と和彦の愛は、幸せの絶頂から一転、最悪の危機を迎えていた。>
翌日、知香子は再び滝に乗っ取られた会社に乗り込んでいた。応接室のソファに、悠々と座っている。
「またですか、知香子お嬢様。本当に、いい加減にして頂けませんかね」
言いながら、滝が入室して来た。知香子の前に、腰を落とす。
知香子は背もたれにもたれかかったまま、にんまりと笑った。
「今日は、あんたと取り引きをしに来たのよ」
「取り引き!?…失礼ですが、知香子お嬢様とお取り引きするようなことは、何もないと思いますが…」
滝は煙草に火をつけながら、知香子に笑い返す。余裕の表情だ。
「そうかしら…」
知香子は、そう言って脇に置いた小ぶりのバッグから、封筒を抜き取る。ゆったりとした動作で、封筒の中から何枚かの写真を取り出した。滝に、それを見せつける。
瞬間、滝の表情が凍りついた。
「…なっ!?」
女子高生の肩を抱いた滝が、ラブホテルへと入るところを捕らえたものである。
写真を奪い取ろうと滝は手を伸ばしたが、知香子はそれを交わした。
「まさか…あんたに、こんな素敵な趣味があっただなんてね」
言いながら、他の写真も見せつける。上半身裸の滝が、ベッドの上で寝ているところを映したものだ。
「そ、そんなところまで…」
滝は、言葉を失う。
「この写真が公開されたら…あんたの立場はどうなるのかしら?社員の手本になるべき社長が、女子高生とこんなふしだらなことをしているだなんて…下劣で、有るまじき行いよね」
微笑みを浮かべたまま、知香子は滝をじりじりと追い詰めた。
「…な、何が望みなんだ…」
「決まってるじゃない。社長の座を退くのよ。あたしを、社長にしなさい」
知香子は、きっぱりと言い切る。
「そ、そんな…」
「当たり前じゃない。それ以外に、一体何があるって言うのよ」
「で、でも…さすがにそれは…」
「…もちろん、あたしだって鬼じゃないもの。重役としては、あんたを残してあげてもいいわ」
「…えっ!?」
「この写真が公開されたら、あんたの懲戒免職はどうしたって免れない。しかも、犯罪者よ。悪い話じゃないと思うけど」
知香子は、歌うように続けた。滝が、思わず息を飲む。
「…本当に、俺を重役に残してくれるんだな…」
「当たり前じゃない。あたしだって、何もあんたを路頭に迷わせたいわけじゃないもの。ただ、奪われたものを…取り返したいだけよ」
念押しするように、知香子は言った。滝は、ふらふらとその場に倒れ込む。
滝を見下ろしながら、知香子はにっこりと笑った。
「本当に…こんな道しか、わたし達には残されていないのかしら?」
和彦に手を引かれながら街中を歩いていた知永子が、和彦に向かって尋ねる。ふたりして、大きなボストンバッグとキャリーケースを手にしていた。
「…あぁ。俺達は、もうこうするしかないんだ」
和彦が答える。
和彦から駆け落ちを提案されたのは、ほんの今朝だった。自分達が幸せになる為には全てを捨てて、どこか地方にでも身を隠す他ない、と。
知永子は必死に説得を試みたが、和彦の決意は変わらなかった。
一度は和彦の意見に納得したものの、知永子はふいに不安を覚える。果たして、この選択が本当に正しいのだろうか。
あまりにも目まぐるしい運命の放流に、知永子は翻弄されていた。
「なあ、知永子…」
「…何?」
「愛しているよ。たとえ、世界中が君と俺との愛を反対したとしても…俺は、知永子を愛してる」
真っ直ぐ前を向いたまま、和彦が言う。その言葉に、知永子の心にあった迷いが消えた。
「えぇ。わたしも…和彦を愛してる。わたし…たとえ、どんな苦境に立たされたとしても…和彦と一緒なら乗り越えて行けるわ」
知永子は、力強く和彦の手を握り返す。
「和彦…愛しているわ」
「あぁ…」
ふたりは、手を取り合って夜行バスの停留所を目指した。
その時、ふたりの前に仁が現れた。常軌を逸した目つきで、立ち塞がる。
「どいてくれ!!」
「あ、あなたは…!?」
知永子は、驚きに声を裏返らせた。間違いない。以前、知香子に頼まれて知永子に凶行を働こうとした男だ。
仁は、懐からゆっくりとナイフを取り出す。外灯に照らされ、ナイフが鋭く光った。
「許さない…。知香子を捨てて、この女と幸せになるだなんて…そんなこと許さない!」
言いながら、和彦に突き進んで来る。和彦は、ナイフを握った仁の拳を受け止めた。男ふたりで、揉み合いになる。
「お、お願い…止めて!止めて!!」
「邪魔だ。お前は引っ込んでろ!」
「あっ…」
和彦の身を守ろうと、ふたりの間に入ろうとした知永子は、仁に突き飛ばされバランスを崩した。
「知永子…」
知永子を助けようと和彦が手を差し伸べた瞬間、ナイフが彼の腹部へと突き刺さる。
「…うっ」
言いながら、和彦は倒れ込んだ。知永子は、突然のことに事態を把握出来ない。
「か、和彦…どうしたの!?和彦!」
うつ伏せになった和彦を、恐る恐る抱き起こした。
「い、いやっ…いやあ~!!」
知永子は、絶叫する。和彦の腹にはナイフが深く刺さり、溢れ出た血液がその周りを汚していた。見る見るうちに、広がって行く。
「和彦…しっかりして。お願いだから…死んだりなんかしないで…」
知永子は、和彦の血で服が汚れるのも厭わず、和彦に縋りついた。和彦の頬を撫でる。
「知永子…ごめんよ。俺はもう、君を守れないみたいだ…。こんなにも、知永子…君を、愛しているのに…」
和彦は、そう言ってゆっくりと瞼を閉じた。和彦の体から、一気に力が抜ける。
「いやあ~!和彦~!!」
和彦の髪を掻き抱きながら、知永子は泣き叫んだ。
つづく
那代子からの電話を終えた和彦に、知永子が詰め寄る。和彦はがっくりとうなだれたまま、ソファに座り込んだ。
「母さんが…俺達の結婚を、反対して来た…」
「何ですって!?」
那代子の突然の心変わりに、知永子は衝撃を受ける。
「何でかは知らないけど…母さんが、知永子のお母さんの死の経緯を知ってしまったらしいんだ」
「そ、そんな…」
「実は…死んだ父さんは、ちょっと女癖が悪い人で…母さんもだいぶ苦労させられて来たんだ。だから…妻子ある男性の愛人を長年やって来た知永子のお母さんのことを、けして認められないんだと思う…」
重い口調で、和彦は語った。知永子は、和彦にしがみつく。
「嫌よ!わたしは、和彦と別れるだなんて…絶対に嫌!!」
「あぁ…俺も、同じ気持ちだよ」
和彦は、言いながら知永子の手を握り締めた。ふたり寄り添い合う。
「…和彦。わたし達、一体どうすればいいの…」
知永子は和彦の胸に顔を埋め、泣きながら言った。
<知香子の策略により、知永子は行き場のない袋小路へと追いやられた。
永遠に貫くと誓った知永子と和彦の愛は、幸せの絶頂から一転、最悪の危機を迎えていた。>
翌日、知香子は再び滝に乗っ取られた会社に乗り込んでいた。応接室のソファに、悠々と座っている。
「またですか、知香子お嬢様。本当に、いい加減にして頂けませんかね」
言いながら、滝が入室して来た。知香子の前に、腰を落とす。
知香子は背もたれにもたれかかったまま、にんまりと笑った。
「今日は、あんたと取り引きをしに来たのよ」
「取り引き!?…失礼ですが、知香子お嬢様とお取り引きするようなことは、何もないと思いますが…」
滝は煙草に火をつけながら、知香子に笑い返す。余裕の表情だ。
「そうかしら…」
知香子は、そう言って脇に置いた小ぶりのバッグから、封筒を抜き取る。ゆったりとした動作で、封筒の中から何枚かの写真を取り出した。滝に、それを見せつける。
瞬間、滝の表情が凍りついた。
「…なっ!?」
女子高生の肩を抱いた滝が、ラブホテルへと入るところを捕らえたものである。
写真を奪い取ろうと滝は手を伸ばしたが、知香子はそれを交わした。
「まさか…あんたに、こんな素敵な趣味があっただなんてね」
言いながら、他の写真も見せつける。上半身裸の滝が、ベッドの上で寝ているところを映したものだ。
「そ、そんなところまで…」
滝は、言葉を失う。
「この写真が公開されたら…あんたの立場はどうなるのかしら?社員の手本になるべき社長が、女子高生とこんなふしだらなことをしているだなんて…下劣で、有るまじき行いよね」
微笑みを浮かべたまま、知香子は滝をじりじりと追い詰めた。
「…な、何が望みなんだ…」
「決まってるじゃない。社長の座を退くのよ。あたしを、社長にしなさい」
知香子は、きっぱりと言い切る。
「そ、そんな…」
「当たり前じゃない。それ以外に、一体何があるって言うのよ」
「で、でも…さすがにそれは…」
「…もちろん、あたしだって鬼じゃないもの。重役としては、あんたを残してあげてもいいわ」
「…えっ!?」
「この写真が公開されたら、あんたの懲戒免職はどうしたって免れない。しかも、犯罪者よ。悪い話じゃないと思うけど」
知香子は、歌うように続けた。滝が、思わず息を飲む。
「…本当に、俺を重役に残してくれるんだな…」
「当たり前じゃない。あたしだって、何もあんたを路頭に迷わせたいわけじゃないもの。ただ、奪われたものを…取り返したいだけよ」
念押しするように、知香子は言った。滝は、ふらふらとその場に倒れ込む。
滝を見下ろしながら、知香子はにっこりと笑った。
「本当に…こんな道しか、わたし達には残されていないのかしら?」
和彦に手を引かれながら街中を歩いていた知永子が、和彦に向かって尋ねる。ふたりして、大きなボストンバッグとキャリーケースを手にしていた。
「…あぁ。俺達は、もうこうするしかないんだ」
和彦が答える。
和彦から駆け落ちを提案されたのは、ほんの今朝だった。自分達が幸せになる為には全てを捨てて、どこか地方にでも身を隠す他ない、と。
知永子は必死に説得を試みたが、和彦の決意は変わらなかった。
一度は和彦の意見に納得したものの、知永子はふいに不安を覚える。果たして、この選択が本当に正しいのだろうか。
あまりにも目まぐるしい運命の放流に、知永子は翻弄されていた。
「なあ、知永子…」
「…何?」
「愛しているよ。たとえ、世界中が君と俺との愛を反対したとしても…俺は、知永子を愛してる」
真っ直ぐ前を向いたまま、和彦が言う。その言葉に、知永子の心にあった迷いが消えた。
「えぇ。わたしも…和彦を愛してる。わたし…たとえ、どんな苦境に立たされたとしても…和彦と一緒なら乗り越えて行けるわ」
知永子は、力強く和彦の手を握り返す。
「和彦…愛しているわ」
「あぁ…」
ふたりは、手を取り合って夜行バスの停留所を目指した。
その時、ふたりの前に仁が現れた。常軌を逸した目つきで、立ち塞がる。
「どいてくれ!!」
「あ、あなたは…!?」
知永子は、驚きに声を裏返らせた。間違いない。以前、知香子に頼まれて知永子に凶行を働こうとした男だ。
仁は、懐からゆっくりとナイフを取り出す。外灯に照らされ、ナイフが鋭く光った。
「許さない…。知香子を捨てて、この女と幸せになるだなんて…そんなこと許さない!」
言いながら、和彦に突き進んで来る。和彦は、ナイフを握った仁の拳を受け止めた。男ふたりで、揉み合いになる。
「お、お願い…止めて!止めて!!」
「邪魔だ。お前は引っ込んでろ!」
「あっ…」
和彦の身を守ろうと、ふたりの間に入ろうとした知永子は、仁に突き飛ばされバランスを崩した。
「知永子…」
知永子を助けようと和彦が手を差し伸べた瞬間、ナイフが彼の腹部へと突き刺さる。
「…うっ」
言いながら、和彦は倒れ込んだ。知永子は、突然のことに事態を把握出来ない。
「か、和彦…どうしたの!?和彦!」
うつ伏せになった和彦を、恐る恐る抱き起こした。
「い、いやっ…いやあ~!!」
知永子は、絶叫する。和彦の腹にはナイフが深く刺さり、溢れ出た血液がその周りを汚していた。見る見るうちに、広がって行く。
「和彦…しっかりして。お願いだから…死んだりなんかしないで…」
知永子は、和彦の血で服が汚れるのも厭わず、和彦に縋りついた。和彦の頬を撫でる。
「知永子…ごめんよ。俺はもう、君を守れないみたいだ…。こんなにも、知永子…君を、愛しているのに…」
和彦は、そう言ってゆっくりと瞼を閉じた。和彦の体から、一気に力が抜ける。
「いやあ~!和彦~!!」
和彦の髪を掻き抱きながら、知永子は泣き叫んだ。
つづく

ネイルでっす
