大阪府大阪市住吉区。

 

住吉大社があることで有名なこの区には、ある市場が存在していました。

 

その名前は「臨南市場」。

 

現在の「長居東」にあった場所です。場所は長居公園の南側。

 

 

そもそも、何故臨南と呼ばれるようになったのか?という話です。

 

語源となるのはこの場所の北西にある臨南寺という場所。現在は長居公園の端にあります。

また、ここにある「長居駅」も1929年の開業時は「臨南寺前駅」でした(1944年に長居駅に改称)。

 

 

 

このお寺の南側にあったので、臨南市場と言う名前がついたのでしょう。

 

さて、今回見るのはこの臨南市場と言う場所。もちろん現在は存在しません。

ですが、昭和時代には存在したので、今回はこの市場について調べてみたいと思います。

 

まず、臨南市場の開店は1955年。東長居土地区画整理組合(1962年7月解散)が推進してできたもの。公団住宅や幼稚園を誘致。その誘致部類の中に臨南市場があったとのことです。その後、1965年8月に増築工事がされました。

しかし、1978年3月に近商ストア、それ以外にもサカエ(現:グルメシティ)やイズミヤなどと言ったスーパーマーケットが続々と開店。客足は遠のいていき、閉業となりました。

 

 

 

 

国会図書館の記事を見てみると、1963年に文字としての初登場。
 

「近畿粧業名鑑 1963年版」が臨南市場と言う単語の初登場。

 

この本の29ページに「ユリヤ商店」と言うものが存在しており、住所は「東長居町二〇五臨南市場内」。

 

 

 

これ以降この臨南市場の資料として重要になるのはこの地域で発刊されていた新聞。複数回名前が変わります。

1963年4月10日に「新聞・みきや付近」が発行。【創刊号】

次に1965年4月1日に発刊2周年を機に「新聞・長居付近」に名義を変更。【創刊号】

1974年4月1日発刊号を持って休刊し、1975年に「抄録長居付近」として復活。

その後1994年3月号まで発刊が続きました。【最終号】

 

(ちなみにこの新聞についてはこちらの記事が詳しいです)

 

 

この新聞を発刊していたのが「みきや」と言う店舗。

「みきや」の建物自体は現在も存在します。営業はしていないそうですが、1966年地点ではパン屋だったそうです。

また、それ以外にもケーキやたばこなども売っていたため、地域のスーパーマーケットのようなものだったと思われます。

 

 

 

この新聞を見るとよく出てくるのが広告です。

その広告を見ると、「臨南市場」と言う名前が良く出てきます。

 

まず、この臨南市場がどこにあるのかです。

画像の場所です。(ソース)

↑画像で黒色の線で囲っている場所が臨南市場。長居駅から少し歩いた場所に存在するようです。

現在この場所にはマンションと駐車場が存在します。

マンションの名前は「ふぁみーゆ長居2」。1989年5月に完成したとのことで、昭和の頃にはこの市場はもう存在しないという事が分かります。

 

↑現在の「臨南市場」の跡地。

 

この市場の開業は1955年10月。抄録長居付近1990年7月号に「長居幼稚園では~(中略)~昭和三十年五月の開園で、同年十月には現在廃業し跡地がマンションとなった臨南市場が開業している。」と言う文章が存在します。

1990年9月号には閉業時期が書かれており、昭和六十二年四月(1987年4月)に閉業したと記されています。

つまり、営業期間は31年半となっています。

 

 

この臨南市場は「市場」と名の付くように様々な店があったとされています。そして、この市場を中心に「市場を北に」などと言った広告なども出てきます。

 

 

 

 

 

では、ここからは「臨南市場」にあった店舗を見ていきます。ソースはすべて上記で記載した新聞から。

 

 

この名前が最初に「新聞・みきや付近」に出てくるのは1964年1月号。「お菓子の加賀屋」と言う店舗があり、住所が「臨南市場内」。

次に1964年6月号に「マルス・フォト」と言う店舗の広告が登場します。写真店のようです。

キャッチコピーは「家計も計画予算時代です。家計簿にカメラ10か月分割の御計画があれば 写真に関する事なら一切 マルス・フォト」。

※ちなみにこの「マルス・フォト」は臨南市場の店舗ではなさそうです。

 

 

 

ではここからはリストのようにまとめていきます。

それ以外にも昭和レトロな広告も多くあったので、臨南市場に直接関係のない広告はかぎかっこにして書こうと思います。

(条件)

・新聞内に「臨南市場」及び「臨南市場北側」などと書いている物のみ記載。「臨南市場=みきや通り」だが、「みきや通り」のみ書いている物は記載なし)

 

【臨南市場、及び臨南市場前通りの歴史リスト。青文字は一部を除き国会図書館デジタルアーカイブに繋がります。非常に長いです。】

(1960年代)

・1964年9月:かまぼこ専門店開店

(1964年11月:雪印ラード、雪印牛乳、明治チーズフォンデュ―)

(1964年12月:シキシマパン豊中工場の広告。現在もある豊中インターチェンジの場所)

・1965年4月:臨南市場北通にグリル、喫茶の店が新開店。

・1965年5月:北通り(みきや前通)で衣服店が開店。臨南市場北通に5月1日、お好み焼き屋が新開店。

(・1965年6月:鍼治療院に電話開通。電話開通を広告に載せるのに時代を感じます。)

・1965年7月:拡張新築工事のため6月15日に一時閉店。7月20日まで仮営業所にて営業。

(この地点で営業していたもの)

・菊すし/雑貨店/精肉店/メトロ化粧品店/正文堂(どんな店かは不明)/魚屋/魚吉鮮魚店(2022年地点では建物が残っています)/青果店/漬物店/穀物店/茶舗/ふとん店/卵店

・1965年11月:マルス・フォト(カラープリント担当)が白黒DPを一日二回現像を行うことに。市ではまだしも住宅地では珍しいとのこと。当時のカラー写真は工場に送って現像していたのに対し、白黒写真であれば自社内で出来たためこのようにしたと思われる。

・1965年12月:12月1日に書店が開店。青果物店と茶舗も開店。10日には洋装店、23日にモードサロン(正式開業は1966年2月)が開店し、商店街になった。

・1966年7月:臨南市場二階にある造形(子ども向け)教室の広告あり。(この月の頭にビートルズが来日していました。)

・1966年8月:28日に北通りに時計店開店。

(1966年9月:電気屋に「カラーテレビ3日間貸します」と言う広告がありました。テレビって貸せるんですね……。)

・1966年10月:北ではない通りにビルが出来る。10月24日に喫茶店、28日に美容室がテナントで入る。

・1966年11月:北通りにサントリー洋酒喫茶60が開店。3日に北通りに軽食店、10日に市場角に玩具店が開店。

・1966年12月:1日に食堂が開店(改装工事中であった)。

(・1967年2月:ダスキンの雑巾の広告がありました。)

・1967年5月:玩具店閉店。29日、跡地に袋物店、カバン店開店。

・1967年6月:北通りにあるシキシマパン隣に肉店、食品店が開店。市場南側にある楽器店の広告。エレキギター19700円→6000円にセール。クラシックギター(アコギ?)も売っていたとのこと。エレキギターの発売はビートルズや加山雄三(エレキの若大将)ブームから来たと思われる。※ただし当時の大人にエレキは不良と言われていたりエレキ禁止令があったりした。

・1967年11月:13日から27日まで臨南市場開業12周年記念として大売り出し。

(・1967年11月:大通り沿いに出光が開店。現在も営業中。)

・1967年12月:元おもちゃ屋跡地に関東煮とお好み焼き屋店開店(12月1日)。20日に長居楽器がリニューアルオープン。

・1968年1月:23日に乾物店が開店。

(・1968年2月:豊中インターの敷島製パンの工場の広告。日本初の高速道路「名神高速道路」にある豊中JCTの写真。「現在」)

・1968年3月:臨南広場二階会議室に書道教室の広告。硬筆、毛筆、ペン字、自由。理容長居が3月下旬開店。

・1968年4月:塾広告。市場北通り。10周年を迎えるという広告があることから、1958年4月開店と思われる。

・1968年6月:9日に市場内に加賀屋菓子店にて神戸屋パンが発売。これにてシキシマパンと共にパンを売られるようになる。

・1968年8月:長居楽器→サウンド楽器店に店名変更。その広告。8月1日~4日の間に大売り出し。電動オルガン8000円、三点セパレートステレオ(レコードプレーヤー・アンプ・チューナー)6800円(ヘッドホン無料)、ギター、ウクレレの発売。

(・1968年9月:電気店の広告。テレビで神話の国へ 期間中サンヨー103お買い上げの方全員九州旅行へご招待。また、21日に長居ボウリングセンターがオープン。営業時間はAM:10:00-AM00:00まで。閉店時期は不明だが少なくとも1993年には閉店済。現在は関西スーパー長居店が居抜きで入っている。)

・1968年10月:26日に市場内に電気店が開店。(ちなみに天王寺出身の和田アキ子のデビューがこの月ですね。)

(・1968年12月:地下鉄あびこ駅前の電気店でパナカラーが超特価で発売)

・1969年1月:市場北側みきや通り「電気店」「時計店」「衣料品店」「呉服店」親睦会の広告。この時代、定期的に出されている。

・1969年2月:1日に市場北にあった食堂が麻雀クラブとして発足。16日に市場内にスポーツ店が開店。野球、ゴルフ、スキー用品、近隣学校の運動部活動用品。

(・1969年2月:中古自動車店の広告に「ひやかし電話歓迎!」。時代を感じます。)

・1969年5月:塾にて英会話教室がスタート。外国人が吹き込んだテープをもとに行われる。また、北通りにある衣服店にて10日より店舗販売を終了。今後は百貨店などの出張販売に専念するとのこと。しかし常連客のためにみきや前で月2回販売を行う。

・1969年6月:15日に常連客向けに伊勢湾潮干狩り旅行。

・1969年7月:市場東隣の食料品店にて第一パン発売開始。

・1969年9月:5月に閉店した衣服店の跡地に写真店が開店(20日)

・1969年10月:9日、市場裏のマンションに洋装店が開店。(ちなみにこの4日前にサザエさんが放送開始。)10月には地下鉄あびこ駅付近にサカエ(後のグルメシティ、2026年4月13日閉店)が開店。

・1969年12月:市場西側の道路舗装決定。

 

 

(1970年代)

・1970年1月:ごみ問題。市場にゴミが不法投棄されることに怒った記事がある。

・1970年2月:市場北通りに下水道工事が行われることが決定。トイレが汲み取りから水洗になると思われる。

(・1970年2月:この頃写真店では「万博写真相談」「万博記念セール」「万博見物の前に相談」「万博サイズの写真(現在のL版、現在の標準写真サイズ)」が広告に出ていた。)

(・1970年3月1日:現在の国道479号線である長居公園通が全通。引き続き万博広告。)

(・1970年7月:長居付近にてカネボウ化粧品専門店が開店。)

・1970年10月:呉服店が閉店。12日に市場2階にバレエ教室が出来る。

(・1970年11月:プッシュホンの広告が電電公社より。この時代に出来たんですね。)

(・1970年12月:22日14時より公衆電話(赤電話)が3分10円になる。)

・1971年1月:これまで毎月8日が定休日だったのを、10日以降は毎週日曜日が定休日になる。また、22日に北通りの下水工事が終了。

・1971年3月:31日に北通りに金物店が開店。また、1971年3月号で新聞が第100号を迎える。

・1971年5月:北通り食堂跡地に蕎麦屋開店。

・1971年7月:長い間新聞に公告を出していた市場前の書店が閉店。体調不良によるもの(15日)。(この月の20日にマクドナルド日本上陸。)

・1971年10月:市場の定休日が毎週木曜日に変更(7日)。市場西沿いに化粧品店が開店。

(・1971年10月:光化学スモッグによる学校での影響記事が記載。)

・1971年11月:市場西沿いにビューティフルサロン開店。市場西向かいにあった第一パンの店が改修されシキシマパンの発売が開始(27日)。

(・1972年:近鉄南大阪線の針中野~矢田間の高架化工事(1976年完成)、南海本線の粉浜~住ノ江間(1980年完成)の高架化工事の着工。阪和線も高架化してほしいという声があるが、上に高速道路「阪神高速泉北線」が出来る予定だったというので反対運動があったとの事。なお阪和線は現在我孫子町駅までが高架化されており完成するのは36年後の2006年。)

・1972年1月:この頃になると市場より市場の東西南北沿いがより多くの店舗がある?一番多いのは新聞発行がされている「みきや」のある北通り。

・1972年5月:北通りに中華料理店開店。

(・1972年5月:苅田北公園が開園(27日))

・1972年7月:市場南側にある時計店の広告に「JCB、住友カード」の広告。クレジットカードがこの頃あったんですね。

(・1972年7月:大和川新橋(吾彦大橋)の建設工事が開始。翌年上旬完成予定。)

・1972年9月:市場内の菊寿司が改装(26日)。

(・1972年11月:阪和線高架化決定。また、17日の大阪市議会にて南海本線を境に住吉区と分区が決定。1974年7月22日に分区が行われ、住之江区が誕生する。)

・1973年:北通りが駐車禁止となる(1日)。

・1974年3月:市場南側のビューティーサロンが新装開店(14日)。また、1974年3月号をもって新聞・長居付近が休刊。みきや食品が閉業した事及びそもそも「みきや食品のPR紙」として発刊が始まったことによるため、そもそも店舗がない以上発刊する意味はあるのかと考えた為。

 

・1975年12月:抄録長居付近として復活(国会図書館に載っているのはここからの物。ここから先、1994年3月号まで発刊することとなる)。4000部刷るのが限度であり、朝日新聞と毎日新聞の折り込みチラシとして入れている。一部は日経新聞に入れていた。

(・1976年1月:吾彦大橋が完成(12日)。1987年にこの橋の下に地下鉄御堂筋線が通る。)

・1976年4月:市場2階に進学塾が出来る。中学生対象で国数英。週2回、18時より(1日)。

(・1976年4月:住吉大社の一部鳥居が撤去。)

・1976年5月:市場南、サウンド楽器並びに治療器店(エンゼル治療所)が出来る。

・1976年7月:市場の東西南北にある店舗一覧。

・1976年8月:臨南市場を中心とした、市場の東西南北にある店合同で「東長居商店会」が発足。ちなみに店舗自体はごくわずかに現在でも残っている。会員一覧

・1976年9月:市場にカマボコ店が開店。第2回住吉区民まつり(現在も行われている)に東長居商店会が協賛(19日)。

(・1976年10月:住吉消防署が完成。また、東長居商店会の加盟店に看板が出来る。)

(・1976年11月:阪和線に新車(103系もしくは113系と思われる)が入る。)

・1977年1月:みきや食品店がたばこショップみきやが臨南市場休業日である木曜日定休日としていたが、木曜日に営業を行い、月曜日を定休日とする。

(・1977年2月:カゴメケチャップの看板)

・1977年4月:市場周辺の街灯建設決定(14日)。

・1977年5月:長居幼稚園南側にあった眼科が市場通りに移転。

・1977年8月:市場東隣に天ぷら店が開店(31日)。

・1977年9月:臨南市場沿いに電灯が点灯開始(5日)。商店会に44本、市場に6本、その他地域に5本の合計55本が設置。2024年地点では当時の電灯が残っている。

(・1977年9月:カゴメソースの広告)

(・1977年10月:住吉警察署100周年)

・1977年12月:市場内で休業中だった鮮魚店に変わり、魚よしとして引き継いで開店(18日)。

・1978年1月:漫才師の海原はるか・かなたが市場に来る。ラジオ大阪と明星食品によるキャラバン収録(10日)。

(・1978年3月:ボウリング場の通りに近商ストアが開店(7日)。その後閉店し、シダックス→快活CLUBとして建物は現在も残っている。)

・1978年4月:この時の「みきや」はたばこ、食料品、菓子、雑誌、日用品が発売中。

・1978年6月:エンゼル治療院にて捻挫治療等の骨接ぎ部門が開設(1日)。

・1978年7月:臨南市場と東長居商店会での第2回親善ソフトボール大会が長居公園第二球場にて午前7時より開催(20日)。

(・1978年7月:1976年4月に取り壊された住吉大社の鳥居が再建(31日))

・1978年8月:市場東角のスナックにて初音家を招いて河内音頭を共に歌う会が19時半から実施(8日、9日)。

・1978年9月:毎週水曜日、金曜日、日曜日の週3回の午後3時に特価品を提供する会を開催(18日から)。

(・1978年10月:天王寺~新宮間の電化運転を開始し、特急くろしおとして運転していたキハ81系が引退。381系がデビュー。2015年に引退し、283系、287系、289系の運用になった。)

(・1978年11月:楽器店の広告にて「音声多重放送開始。テレビのステレオ放送開始。当店にてご視聴ください」)

・1978年12月:市場西側に炉ばた焼ふる里開店。

(・1978年12月10日:長居パークサイドプラザ(現存)が完成。1階にミスタードーナツ(現存)が出来る。)

(・1979年6月:「くもん」の広告が掲載される)

・1979年12月:洋装店が閉店。1969年11月に開店したが、70年代が終わるとともに閉店した。

 

 

(1980年代)

この頃になると新聞の裏面が全て広告になる。60年代からあった、「落とし物拾いました」や「お手伝い募集」などの個人記事は消えた。

・1980年2月:市場内の乾物屋が閉店(28日)。

(・1980年4月:地下鉄あびこ駅前にマクドナルドが開店(現存)。)

(・1981年3月:南港ポートタウン線(ニュートラム)が住之江公園~中ふ頭間で開通。長居~フェリーターミナル間を走っていた路線バスが住之江公園止めになったが本数が増えたとの事。)

・1981年8月:市場南側にある穀物店の倉庫を改装し、「洗濯広場太陽」と言う名でコインランドリーを開設。恐らく現存?。北通りの空き店舗3店舗にて火災(16日)。

(・1982年1月:第1階大阪国際女子マラソンが開始。1987年から2018年までの31年間、テーマソングはTHE ALFEEが担当。)

・1982年2月:サウンド楽器が火災保険、自動車保険の取り扱いを開始。

・1982年7月:市場北通りの三店舗用地(火災になったところと思われる)にクリーニング屋が開店(26日)。もう1店舗は空き店舗、更にもう1店舗では美容院の看板が掲げられているが未開店。

(・1982年8月:スーパーサカエ横にほっかほっか亭が開店(9日)。あびこ駅南側にローソン苅田七丁目店が開店。現在のローソン苅田九丁目店?(31日))

・1982年9月:上記の空き店舗にサウンド楽器がレーザーディスクを設置した喫茶店を開業。店名「サウンドハウス」。

・1982年12月:市場北通に寿司店が開店。また、市場北通のユタカ電気が改装され、プラモデル・ナガイとして開店(26日)。当時から続くガンプラブーム。

(・1982年12月:メトロアビコがオープン。1階はサンチェーン。2階は書店と美容院。ビルは現存しているが現在は松屋と松のや。)

(・1983年3月:大阪市交通局の長居車庫が閉鎖(1961/10/11-1983/3/18)。)

・1983年5月:臨南市場が水曜日に続き火曜日も特価日となる。

・1983年7月:市場西側にあった家具屋が平野区へ移転。また、「みきや」が改装工事完了。恐らく現在の建物になったと思われる。

・1983年9月:上記の家具屋の跡地に「喫茶だんだん」が開店(16日)。

・1983年11月:YSS(ヤマザキショップの略?)にてサンドイッチの発売開始(12日)。

(・1984年1月:1984年1月号には阪和線高架化(22年後)と、大阪城ホールオープンの記事からスタート。)

・1984年3月:市場北通の化粧品店跡地にクリーニング店開店(6日)。

・1984年10月:市場南側のビルに進学ゼミナール長居教室が出来る(1日)。

・1984年11月:サウンドハウス隣の「サウンドV」の広告。当時は何か放送していたらしい。音楽番組からアニメまで。音楽はサザンなど。

・1985年6月:市場内にあった生花店が移転(2日)。

・1985年11月:臨南市場内にある文具店が開店30周年。市場の開店が1955年秋なので最初から存在している店舗の最後の店舗と思われる。

・1985年12月:市場北の生菓子店がリニューアルオープン(15日)。

・1986年9月:市場南のパン屋が「モンテヤマザキ長居東店」になる。

・1986年12月:長居電話局が電話相談所を開設。電話機の展示、テレホンカードの販売を行う(17日午後)。

・1987年2月:市場北通にお好み焼き屋が開店。元々市場にあった物を北側に移転したもの(20日)。市場北向いにパーク薬局開店(27日)。

(・1987年2月:デニーズ長居公園店が開店(22日)(現存)。)

・1987年4月:臨南市場閉鎖。各店舗は店じまいセールを開催し、整理を行う。

・1987年5月:臨南市場の解体工事が開始。4月末に閉鎖(一部店舗は5月5日まで営業)。

この地点で入っていた店舗は

・梅の餅
・豆腐店
・文具店→市場開業当時から唯一存在していた店舗。6月10日関西スーパー駐車場にて再営業。
・菓子店
・精肉店
・青果店
・魚吉鮮魚店→これのみ移転先で現在も看板が残る。元うどん店の居抜き。

(・1987年6月:ローソン跡地にレンタルビデオ123が開店(21日)。恐らく現在はダイソー長居公園前店?)

・1988年3月:新聞から遂に「臨南市場」の文字が消える。最後まで「臨南市場」の文字が残っていた広告は東京海上火災保険と歯科医院。布団店も前月まで残っていた。

 

 

営業期間は31年6ヶ月。長い期間でした。

 

現在、当時の名残があるのは「みきや」くらいでしょうか。それ以外はほとんどありません。多くは新築の一軒家やマンション。平成の時代と共に去ったと思われます。

 

 

(おまけ)

区域は完全に東住吉区に入り、市場から少し離れた場所になりますが、2010年地点では大量の個人店が存在する通りがありました。

 

 

 

 

※問題があれば削除します。

そもそもトイザらスの建物の形などに興味を持つ人はいるかはわかりませんが。

今回はそういうのが気になったので書いてみようと思います。

 

 

↑基本となる日本の郊外型トイザらスの店舗です。

 

 

まず、日本のトイザらスの建物の話をする前に、アメリカのトイザらスの建物について語る必要があるため、アメリカのトイザらスの話からしようと思います。

 

 

今回は情報のある1970年代からの話。トイザらスがチェーン店になったのは1950年代からですが、情報が無いため1970年代からの話とさせていただきます。

 

 

 

1.1970年代~1989年頃

17 historic retro pictures of the old Toys 'R' Us store in Preston before  it closed its doors for good

こちらが当時アメリカで主流だったトイザラスの店舗です。

イギリスにもトイザラスが出店していましたが、ごく初期のイギリスの店舗もこのような形でした。

 

屋根の部分が凹凸になっているまるでお城の要塞のような形。

 

 

開業当時のハローマック」を見る。 | ハローマックを中心とした居抜きなどのブログ

まるでハローマックのような形をしています。

 

 

 

トイザラスの創業者であるチャールズ・ラザラスはまず、郊外出店をするにあたって45,000~50,000平方フィート(約4600㎡)の店舗を基本としました。

 

 

17 historic retro pictures of the old Toys 'R' Us store in Preston before  it closed its doors for good

建物の形としてはこのようなもの。

屋根の部分は基本的に瓦葺きですが、一部は銅板で出来ていたもの。

 

また、建物の壁は赤、青、黄、緑の4色のストライプ模様。これはまるでカラフルなカーテンであると称されたこともあったそうです。

このストライプ模様は木の板で出来ています。子供たちはカラフルなのが好きなので、トイザらスは明るい場所であるという事をアピールしたかったのでしょう。

 

 

基本的な形としては「Toys "R" Us」の文字とジェフリー(キリンのキャラクター)がセットで置かれています。

 

 

Remembering Sunnyvale's Haunted Toys R Us | KQED

↑超初期の店舗。左側に居るのは初代ジェフリーです。

店舗の入口に書かれている文字は「The CHILDREN'S Bargain Town」というもの。

 

 

 

↑1972年、初めてトイザラスがCMとして流したもの。この時には既にこの建物の形であることがわかります。

 

 

 

The Caldor Rainbow: Toys "R" Us Design Timeline: 1970's-1989

↑ちなみに夜になると文字部分が光ります。日本のトイザらスの店舗も「Toys "R" Us」の文字は光ったりします(郊外店舗)。

 

 

他にも、この形の店舗には細かい種類がいくつも存在するのですが、あまりにバリエーションが多いうえ、あまりにも細かすぎるのでここでは書かないこととします。これが初期のトイザらスの建物、ということです。

 

 

 

Toys "R" Us Design Timeline: 1970's-1989

↑凹凸が目立たない店舗もありました。

 

 

 

↑1976年のCMにもこの建物が出ています。アニメーションですが、当時の様子が分かるかなと思います。

 

 

 

1980年代に入ると「入口」「出口」で出入り口が分かれていく店舗が登場します。

 

 

↑トイザラス岩槻店(閉店)。こんな感じのものです。地味に「ENTRANCE」の「R」の字が反対になっています。

 

 

 

↑アメリカではこんなものです。

 

 

 

 

一方、イギリスの店舗でもこの形の建物が採用されていました。

 

 

 

 

 

ではなぜ、この建物の形は日本には存在しなかったのか?

 

答えは、トイザらスの日本1号店開店地点では既にこの建物の形は存在しなかったからです。

 

 

トイザラス1号店の開店は1991年。もうこの地点ではより大型の店舗として建物を作っていました。

 

12月20日 玩具トイザらス、日本1号店を開店 - 日本経済新聞

↑トイザラス1号店開店セレモニーの様子。茨城県。

 

 

 

 

↑基本的に日本の90年代に出来たトイザらスはこのような形です。

上記の画像の店舗は2024年に閉店したトイザらス厚木店。国内50店舗目の出店ですが、このような形です。

 

 

↑アメリカの店舗も90年代に入るとこのような形の建物でした。

 

 

 

今の日本のトイザらスは上記の画像のような建物か、テナント型(日本のトイザらスの店舗のほとんどはテナントですが)となっています。

 

 

では、他にアメリカではどのような建物の形があったのかをみていきます。

 

 

 

 

D.C. Suburbs, Unscathed By Prior Mass Retail Closings, Hit With 12 Toys R Us  Vacancies

↑全面ガラス型。凄い量のガラスです。日本のトイザらスも入口に横一列にガラスだったりしますが、その比じゃないです。

恐らく、太陽の光をガラスを通して店内に入れて、より明るい雰囲気を作ろうとしたのでしょう。

 

 

 

Toys R Us 2021 Abandoned Lights still running Jackson Tennessee Stroll Down  Memory Lane URBEX - YouTube

↑こちらも全面ガラス。

 

 

 

 

Plans submitted for empty Toys R Us store on Teesside Park | The Northern  Echo

↑入口が体育館みたいに曲がっている店舗。イギリスで存在したそうです。

 

 

 

↑その建物の形を反映したイギリスのトイザらスのCM(2009年)。

 

 

 

 

Toys 'R' Us on Broadway in Vancouver to close, iconic sign in limbo : r /vancouver

↑カナダのバンクーバー?にあった店舗だそうです。Redditにも取り上げられており、有名な店舗らしいですが詳細は不明です。

 

 

 

 

 

↑こういうゴリ押しみたいに凹凸を作っていたトイザラスの店舗もあったそうです。

 

 

 

ちなみに日本のトイザらスの郊外型店舗は……

 

昔のトイザらスの名残が残るトイザらス厚木店を訪ねて【2024/1/21閉店】 | ハローマックを中心とした居抜きなどのブログ

昔のトイザらスの名残が残る「トイザらス岩槻店」を訪ねて【2025年1月13日閉店】 | ハローマックを中心とした居抜きなどのブログ

青色と白色の店舗があります。

なお、青色の店舗の方が古いです。2026年現在、青色の塗装がそのまま残っているトイザらスの店舗も相当減っているのではないでしょうか。

 

 

 

 

以上です。調べてみると、思ったよりレパートリーが少ないなと思いました。

ですが、トイザらスが倒産して数年経ち、居抜きとして残っている店舗こそあるものの初期の凹凸型トイザラスは極めて少なくなっています。

アメリカに行く機会があれば撮影したいですが……。

 

 

【愛知県東海市 東海店】

2026年1月以来、約5ヶ月ぶりのハローマック訪問がここ愛知県東海市の店舗。

 

奥に見えるものは東京靴流通センターの建物ではありません。特殊な形をしているだけの別の店舗です。

東京靴流通センターは現役です。

 

 

 

全体的な建物の形としては普通の店舗。凹凸は四方に存在します。

 

 

塔の形は正方形。普通のハローマックは塔の部分が斜めですが、中部地方のハローマックは画像のように長方形であることが多いです。

 

照明は2つずつあり、手前(駐車場側)と横側(歩道側)で合計4つです。

 

 

 

↑歩道側から見た塔部分。歩道及び駐車場部分以外のところに照明がないということがわかります。

 

ただ、凹凸はしっかりとあります。

 

 

真裏から見るとわかりやすいかもしれません。凹凸が四方にあるということが。

 

 

 

建物は斜め入り口。また、照明は天井部分(画像で言うと「e」などの部分)に均等に置かれています。

 

 

歩道側から建物を見てみると、建物の裏側の見えない部分に当時の塗装(ピンク色)が見えます。こんなところまで徹底的に色を塗り、凹凸を作っているのにこだわりを感じます。

 

 

 

蛍光灯は1本ずつのもの。

 

 

建物の裏部分。ここにも凹凸があります。

 

ハローマックの建物特有の「はしご」が残っていました。

 

 

 

↑東京靴流通センター東海店

 

↑元マックハウス東海店

 

↑ハローマック、マックハウスの看板(リサと書いているもの)、東京靴流通センターを1枚に収めたもの。この3つが揃った場所を自分は「チヨダトリオ」と呼んでいます。

 

 

【このハローマックの情報】

住所:愛知県東海市中央町7-90

現在入居しているもの:サンレジャン 東海店

建物の形:城型(四角)

東京靴流通センター: ⚪︎

マックハウス:△(現:モノ市場 東海店)

アクセス:

・知多バス「木庭西(こんばにし)」徒歩約1分

・名鉄常滑線/河和線「太田川」徒歩15分

訪問月日:2026年6月4日