我が家の愛猫のケイタは17歳と3ヶ月。
このブログにも過去に何度も登場しています。
夕食に缶詰を食べるのが日課です。
ケイタは今年の春先に体調を崩して
ほとんど動けなくなってしまい
カリカリのご飯も
食べられない時期がありました。
チュールだけはなんとか食べていましたが
その時にこの缶詰をあげたら
凄い勢いでひと缶を一気喰いしてしまいました。
ケイタはその後、体調は回復しましたが
それ以来、チュールと缶詰を食べるのは
日課になりました。
この缶詰を食べてから
痩せていた身体に少し肉がついてきました。
これでまだケイタはしばらくは大丈夫だな。
そう思っていました。
朝のチュールと、夜の缶詰の時間は
台所仕事をしている妻の足もとに
ゴロゴロ言いながら
ウザいぐらいにまとわりついています。
なんで寝る前にいつものように
声をかけてあげなかったのか
それはすごく悔やまれました。
朝になるまで全く気付かずにいるよりは
亡くなった直後に気づいてあげたのは
せめてもの幸いでした。
毛布を掛けてあげて
枕元にケイタが大好きだった
チュールと缶詰を置いてあげました。
私はこの日も仕事なので
布団に入りましたが
当然、眠れません。
それでも5時頃になり
少しウトウトすると
私は夢を見ました。
ケイタは寒い時期になると
私の布団の中に入りたくて
明け方、私の枕元に立っていることがあります。
私は枕元にケイタの気配を感じて
起きて掛布団をめくって
ケイタを布団に入れてあげようとしました。
なんだ、昨夜のケイタが亡くなったのは
夢だったのか…
そう思った時に
私は目が覚めて
現実の世界に戻りました。
ケイタは夢の中で私にお別れの挨拶に
来たのかも知れません。
夜が明けて23日、
この日は私は仕事でしたが
仕事中、手が空く時があると
涙があふれていました。
この日はうまい具合に
仕事が早く片付いたので
少し早めに仕事場を出ました。
仕事帰りにヨドバシカメラに寄って
ケイタの遺影の写真をプリントして
額も購入しました。
お花も添えてあげました。
ケイタが我が家にいるうちは
カリカリのご飯は
新しいご飯に毎朝必ず替えています。
遺影の写真。
12月2日発売予定の
「週刊女性ねこ」
と言う雑誌に
我が家の2匹の愛猫が載ると言う情報を
この日、知りました。
妻がこの雑誌に応募していたようです。
ケイタが亡くなった日に
そんなニュースがありました。
拡大します。
翌日、お昼過ぎに
火葬の業者が来て
ケイタが火葬されることが決まりました。
今日の未明にケイタが亡くなったのですが
今夜がケイタと過ごす最後の夜です。
お別れの時間が近づいてくると
悲しみが込み上げてきます。
家族の皆が
時々ケイタに声をかけています。
11月24日(日)
今日、ケイタは火葬されます。
お昼頃にお迎えが来ます。
この日、仕事の長男は
朝、最後のお別れをして
涙を流しながら出勤していきました。
家事をしながら
時々ケイタに声をかけて
身体にも触れてあげました。
お迎えが来る少し前に
身体を濡れたタオルで
きれいに拭いてあげました。
固く、冷たくなったケイタに触れると
また涙が出てきます。
もう1匹の愛猫のミルクも
ケイタと最後のお別れです。
そして火葬のお迎えの時がきました。
さよなら、ケイタ。
車のハッチが閉じられて
運ばれて行く時に
涙が止まりませんでした。
約一時間後、火葬は終わり
ケイタは骨壷に入って
我が家に帰ってきました。
とりあえず棚の上に
遺影と遺骨を安置しました。
大好きだったチュールと缶詰も
お供えしてあげました。
近いうちにケイタ専用の場所を設けるつもりです。
午後、妻と次男と駅前まで
買い物に行きました。
ずっと家にいると
気持ちが沈んでしまうので
どこでもいいので
家から出たくなりました。
この2日間、怒涛のように
出来事が過ぎてきました。
17年以上も一緒に過ごしたケイタとのお別れ、
無事に火葬が終わった安堵感。
まだ涙が込み上げてきますが
火葬が終わって
ケイタが骨になって
少しだけ気持ちに区切りがついた感じです。
そして25日の月曜日。
朝起きて、最初にケイタとミルクの
ご飯を用意するのですが
今日からミルクのご飯だけです。
今朝、ケイタのご飯のお皿を
きれいに洗いました。
明け方、私の布団に入ってくる
私が帰宅すると
嬉しそうに擦り寄ってくる
そんなケイタはもう居ません。
でも我が家からケイタが居なくなっても
残された家族の日常生活は続きます。
出かける前に
遺影に手を合わせてきました。