藤沢七福神めぐり2 | HIROのブログ

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趣味のブログです。気の向くままに山登りをしています。


続き。


藤沢七福神巡りをしています。
ひたすら藤沢市内を歩きます。



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次に参拝したのは、常光寺です。(福禄寿)


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本堂の写真は撮り忘れてしまいました。


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参拝を済ませて、御朱印を頂きました。





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次に参拝したのは、白旗神社です。(毘沙門天)


白旗神社は、その前の通りを車でよく通るので
知ってはいましたが、今回初めての参拝です。


白旗神社には、源義経公が祀られています。


源義経は戦の天才で、平家を滅ぼすなど
目覚ましい活躍をしましたが、
兄である源頼朝の勘気をうけ、
奥州藤原氏を頼ります。
奥州藤原氏の3代目当主の秀衡は義経を匿います。

秀衡は病に倒れ、亡くなる前に秀衡は、
自分が亡きあとは、義経を大将に立てて、
頼朝の攻撃に備えるように。
と、遺言したと言われています。

しかし秀衡が亡くなり4代目当主の泰衡は
頼朝の圧力に屈して、義経を攻め、
義経を自害に追い込みます。
義経の首は鎌倉に送られます。

非業の死を遂げた義経はこの地で祀られています。

そして義経を死に追いやった奥州藤原氏は、
そのわずか4ヶ月後に頼朝に滅ぼされます。

鎌倉幕府は日本を武力で統一して
盤石な体制になります。


戦の天才でありながら非業の死を遂げた義経は
判官贔屓という言葉が生まれます。


頼朝はその後、頼朝の弟であり義経の兄の
範頼も殺してしまいます。


敵を全て滅ぼし、武家政権を樹立したあとは
兄弟と言えども用済みだったのであろうか。


頼朝は源氏一門を殺してしまい、
結果的に将軍を守る源氏の一門は
いなくなってしまいました。


源氏の正統は頼朝の死後、頼朝の息子で
三代将軍実朝で途絶えてしまい、
その後の鎌倉幕府は北条氏が実権を握ることに
なります。


もし義経や、その兄の範頼が生きていれば、
源氏のその後はまた違ったことになっていたかも
知れません。





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参拝を済ませて、御朱印を頂きました。



続く。