昭和は遠くなりにけり | hirochanのブログ

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1月2日(木曜日)晴れ
新年ムードが冷めやらぬ中、僕は近鉄四日市11:19発の鳥羽行き特急に乗って松阪に向かいました。

正午前に松阪駅に着いた僕は北口改札から外に出ました。
ロータリーには空色のN-BOXが僕を待っていてくれました。
運転席には妹が助手席には母が乗っています。
後部座席に僕が乗るとN-BOXは「スシロー」へと向かいました。

「スシロー」で父と妹の家族に合流する手筈になっていたようです。


写真左から妹、次女の希望、長女のひかりです。
随分久しぶりの対面でした。
希望は「のぞみ」と読みます。
希望は専門学校を経てお菓子作りをしています。
ひかりは南山大学を卒業して名駅でOLをしているそうです。
しばらく会わない内に妹はぶくぶくに肥大していて驚きました。


こちらは妹の旦那と長男の高虎です。
高虎は愛知工業大学の陸上部に所属していて駅伝でレギュラーとして活躍しているそうです。
旦那さんも随分歳をとったなという印象でした。

長い間会わないと他人の変化に愕然となるものです。


今日の父母は元気そうでなによりです。
父はよっぽど寒いのかニットの帽子をかぶっていました。
父母はよく見るとよく似たボーダーのシャツを着ていてなかなか仲がよさそうです。

僕達は4人ずつ二手に分かれて席に着きました。
僕は父母と妹の4人で席に着きました。


家族4人がこの様に集うのは十年来の出来事です。
これまでは正月やお盆に妹家族が松阪に来ていると僕が遠慮して行かないようにしていました。
父母も高齢になり、この辺りで僕が妹家族と合流して父母を励まさないといけないなと思ったのです。

さて「スシロー」の方ですが、僕は「くら寿司」派で「スシロー」にはほとんど行きません。


久しぶりの「スシロー」だった訳ですが特に「大型本ずわい蟹&蟹味噌和え」や「特大ジャンボ貝柱」はネタも豪華で美味しいと思いました。
他にも、生えび、つぶ貝、たこ、サーモン、特ネタ大とろ、本ずわい蟹軍艦、鉄火巻と好きなネタを思う存分味わい尽くしました。


家族4人が集合して父母はテンションが上がり嬉しそうでした。
そんな和んだ様子を見て僕は今日頑張って来て本当に良かったと嬉しくなりました。

「スシロー」を後にして父母の家に向かいました。
僕にとっては昨年の11月末以来のことです。


家に着くと妹一家は買い物に出かけてしまったので僕と父母だけが家に残ることになりました。
僕は日頃は父母だけで寂しく暮らしているので、できるだけ父母と嫁山話をするように心がけました。

そして庭に出てゴンが眠っている墓石に向かって手を合わせました。
そうです一昨年の9月に亡くなった愛犬のゴンは松阪に眠っているのです。


庭には大きな石が幾つか置かれています。
石一つ一つにも表情があって見ていて飽きません。
昔はタワシで石をゴシゴシと擦って磨いたものでした。

庭からリビングルームを見ると父がテレビの前の座椅子に腰掛けて目を閉じてうとうとしています。
僕はこんな風ににして父が老衰してしまうのではないかと想像して背筋がぞくっとしました。


庭から家に上がってキッチンで母にその話をしていると、父は右耳が殆ど聞こえなくなってもいるとのこと。
道理で父と話していると何度も聞き返されることを思い出しました。

母の話しは続いて、ある夜ふと両親のことを思い出して昔の写真を箪笥の奥から引き出してきて思いにふけったと言うのです。
そしてその写真と葉書を見せてもらいました。


そこには75年ほど前の母の家族が写っていました。
写真は左から三男克己、父松次郎、長男憲一、母菊、僕の母の順です。

克己は現在愛知県の施設に入っています。
松次郎は昭和に他界しました。
憲一は戦艦大和に搭乗して戦死しています。
菊は昭和に他界しています。

下の写真は憲一おじさんです。
1945年戦艦大和に搭乗しました。
機関砲の担当だったと聞いたことがあります。
学業優秀で従軍前は近鉄で勤務していたそうです。
僕にとっては「会えなかった」おじさんでした。


何枚かの憲一おじさんからの葉書も見せてもらいました。

僕はその中の一つの末尾に憲一おじさんの辞世の句らしきものを見つけて目を凝らしました。


「御楯と立ちて岩桜 散りて甲斐ありこの命」
出陣を前に読まれたものと推察できます。

時代は流れ
昭和、平成、令和へと
昔、昭和時代に「明治は遠くなりにけり。」という詞がありました。
明治生まれの人々が経年に思いを馳せて詠んだ詞です。

それに倣う訳ではありませんが。
僕はしみじみと思うのでした。

「昭和は遠くなりにけり。」