「モーツァルトの協奏曲は、本番の何日前までに依頼されたら引き受ける?」



学生時代、度々お師匠様から生徒たちに投げかけられたこの議題。


モーツァルトのクラリネット協奏曲は、クラリネット吹きにとって最も重要と言っても過言ではないレパートリー。


いつでも吹けるように準備しておくのが望ましい、が実際本番の何日前までの依頼なら引き受けられるのか。


急なコンサートの依頼っていうのはたまにある。例えば予定していた出演者が急病だとか、飛行機が飛ばないから来れなくなっただとか、そんな理由で...。


もちろん企画者側は必死で代打の演奏者を手当たり次第探すんだけど、そんな時に引き受けられるかどうかが大事だ!とお師匠様はよく言っていた。


結局、お師匠様は何日前なら引き受けると言っていたっけ。


一週間前だったかな。いや、モーツァルトの協奏曲なら前日でも、と言っていたような...。




私が今までで一番「すげぇ...!」と思った急な依頼。


映画館では「METライブビューイング」といって、ニューヨークの世界最大級のオペラハウス、メトロポリタン歌劇場で行われたオペラが鑑賞できる。


これを見るために一時期足繁く映画館に通っていて、その日の演目はプッチーニ作曲の「ラ・ボエーム」だった。


ラ・ボエームの舞台は1830年代のパリ。お話は屋根裏部屋から始まり、登場人物は画家や詩人、音楽家の貧しい青年たち(ボヘミアン)だ。


その内のひとり、詩人の恋人となるお針子のミミ。ソプラノ歌手が演じるこのミミは、登場して早々めまいを起こして倒れる程身体が弱っている、という役柄だが...



チーン「なんかやつれて見えるな...?」



スクリーンに映るソプラノ歌手は、心無しか青白い顔をしている。役作りがしっかりしているのだろうか。


プッチーニの美しい音楽に支えられて、ボヘミアンの青年たちのドラマは、愛と時々笑いを交えながら、ミミの死へと向かっていく。


クライマックスに向け何度も映し出されるソプラノ歌手。最早やつれているというより、なにかに取り憑かれているような、病的と言ってもいい雰囲気を放っている、ように見える。


そのうちに、公演は無事終わった。熱い拍手で引き起こされる何度目かのカーテンコールが終わり、幕が閉じる。


と、幕の前、歌劇場の支配人がスポットライトを浴びて突然現れた。


集まった観客、そして出演者に丁寧に感謝を述べた後、こう続ける。



「今夜は特に、その勇気を讃えなければならない出演者がいます。」



その日の公演、出演予定だったソプラノ歌手が急病で出演キャンセルとなっていたらしい。


そのキャンセルがあまりにも急だったらしく、歌劇場側はてんやわんや。最終的に、このメトロポリタン歌劇場で長丁場のオペラ公演を終えたばかりのソプラノ歌手に、出演を打診したそうだ。


このソプラノ歌手、最初は断ったそう。そりゃあそうだ。別の公演が終わったばかり。ラ・ボエームの本番まで残り24時間もない。あまりにもギリギリ過ぎる。


ところが、一晩明けて翌朝、支配人へ彼女から電話がかかってきたそうだ。「やります。」と。


オペラの公演って大変だ。演奏時間だけで平気で2時間くらいかかる。それに歌手の皆さんは、歌詞、音楽、振り付け全てを頭に叩き込んでおかなければならない。


一旦は断ったこのソプラノ歌手。きっと夜中ろくに睡眠も取らず、歌詞やらなんやらを確認していたんだろう。

 
青白い顔は役作りでもなんでも無い。クライマックスに向けて放たれるあの鬼気迫るオーラは、彼女の内から真に発された物だったのだ。


幕がもう一度開き、真っ白な顔に目の下が少し落ち窪んだソプラノ歌手が、小さな微笑みを浮かべながら現れる。


客席からは、さっきのカーテンコールよりいっそう熱い拍手と歓声が沸き起こっている。私以外誰もいない映画館の客席。ど真ん中の席で、私も拍手しながら、小さく「ブラボー!」と声を出す。


残念ながらこのソプラノ歌手のお名前は失念してしまったが、きっとこの夜は彼女に大きな自信を与え、その後のキャリアを歩む上での大切な柱の一つとなったことだろう。

 

自分がそんな局面に立たされたら、引き受けられるかな?引き受けられるような人間でありたいけど...



チーン「考えただけで寿命が縮みそう!」

 




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お月様