最近巷で、とある芸人さんの「オレを面白いと思わないって、ドストエフスキー読めないとか、モーツァルトがわからないのと一緒だから!」というセリフが話題になっていると聞いて。
お笑いも文学も専門外なので、「モーツァルトがわかる」について考えてみる。
「わかる」と聞いて思い出すのは、大学時代のことだ。
自分で企画してコンサートを開いた。コンサートで一番大変なのは集客だ。高校時代の同級生に来てみないかと誘った所、「僕、クラシック音楽わからないから。」と言われ、何も言えなくなってしまった。
この「クラシック音楽わからない」というフレーズはちょくちょく耳にする。それじゃあ、クラシック音楽がわかっているって、どういう状態なんだろう。
自分が中学生時代、モーツァルトなんて全然好きじゃなかった。「モーツァルトよりラヴェルの方が100倍いいよ!」なんて生意気に言って歩き回っていた。
歳を重ねた今はしょっちゅう、
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と言っている。
じゃあ今の私は、クラシック音楽がわかっている状態なんだろうか。もちろん、算数の問題が解けた時みたいに「わかった!」と思った瞬間なんて一度もない。
同じ音楽を聞いていても、身体に染み入ってくる時と、まったく頭に入ってこない時がある。
どんなに好きな曲でも聞く気分じゃない時はあるし、子供の時に熱中しても大人になると退屈に感じる時はある。その逆もしかり。
小学生の時、同級生はみんなモーニング娘。に熱狂していた。私はといえば、嫌いではなかったが特別好きというわけでもなく、ただ流行りにおいていかれないように辻ちゃん加護ちゃんのブロマイドを集めたりしていた。
それが、アラサーになった今、You Tubeでモーニング娘。の曲を聴き漁り「なんていい曲なんだ!」と言いながら号泣している。
平たく言えば、そういうことなのだ(どういうことだ?)。
中学生の時担任だった国語科の先生が、実は音楽の先生の免許も持っていた。無邪気に問い詰めると、こう語ってくれた。
大学時代に失恋してカフェでめそめそしていると、お店のスピーカーからバッハが流れてきた。
それが胸に響いてしかたがなくてボロボロと号泣してしまい、それから一念発起して、在学していた大学を無事卒業した後に音楽大学に入り直し、そこで音楽教員の免許もとったそうだ。
音楽なんて、そんなんでいいのだ。
好きか、嫌いか。良いと思えるか、思えないか。
日によって、年齢によって、気分によって、移り変わっていく。
明日私はモーツァルトを嫌いかもしれない。
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