この前ブログに内田光子さんのことを少しだけ書いた時のこと。
 

書く前にネットで調べていろいろ読んでいると、とても印象に残る記事を発見した。


コンクールは、一晩で名前を覚えてもらえる素晴らしいきっかけであり、数々の舞台を踏むスタートラインが用意される音楽家への登竜門の一つであることは間違いないが、その先数十年かけて、この人の音楽を聴きたいと思ってもらえるかは、未知の世界だ。
毬沙 琳(まるしゃ・りん)2021/11/13 毎日新聞から


この記事はショパン・コンクールで内田光子さん以来51年ぶりに日本人が最高位受賞という快挙を成し遂げた時期に出されている。


文章はその後こう続く。


「世界の内田」と形容される彼女のプロフィールではコンクール受賞歴には一切触れず、その後の世界的な音楽活動について記述されている。半世紀に及ぶ芸術家の歩んできた軌跡に改めて畏敬の念を感じたのだった。


私もこの記事を読むまで内田光子さんに数多のコンクール受賞歴があることを知らなかった。というより気にしたこともなかった。

内田さんがこれまで成されてきた素晴らしい演奏の数々を前にして、コンクールの受賞歴なんてあまりにも些細な事なのだ。




学生時代、お師匠様は「ぶきっちょな演奏」推奨派だった。チャラチャラ、パラパラと吹くとよく雷が落ちたもんだ。


どうにもこうにも不器用な演奏しかできない男子生徒には、

「100人入るホールを借りてさ、リサイタルをするんだよ。そんで、毎年お客は10人しかこないの。でもその10人は絶対にいつも来てくれるし、あなたの演奏が大好きで世界イチだって言うんだよ。それってすごく良いと思わない?」

と、ウヒヒと笑いながらよく言っていた。言われた方の生徒は、何とも言えない渋い表情をしていたけれど..。



コンクールなんていうのは吹けて当たり前の世界であって、「ぶきっちょな演奏の方が味があって胸に沁みるんです!」なんて言っていると、ポコンと蹴飛ばされて鼻にもかけてもらえないだろう。


「その日」「その場所」「その時間」で最高の演奏を披露できるかが問われ、ひとりの勝者の笑顔の影には99人の涙が隠れている。


かといって、涙を流した者たちが笑顔の主より音楽家として劣っているのかというと、全くそういう話ではない。たとえコンクール会場からポコンと蹴飛ばされたとしても、それとこれとは別問題なのだ。


どんな有名プレイヤーであろうと、そうじゃなかろうと、うまくいく日といかない日は平等にやってくる。


今週からロシアでチャイコフスキー国際コンクールが開催中。今はピアノ部門で審査が行われているらしい。日本からも数名参加しているそうだ。

どの参加者さんも悔いなき演奏ができることを祈ってお願い




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