先生と友人の3人でお喋りしていた時のこと。3人ともクラリネット吹きだ。
友人が近々出演するコンサートについて話していた。
「ピアニストはええ感じか?」
先生の問いかけに、
「サ・ヴァ(大丈夫)」
と答える友人。
「この人、今一緒にやってるピアニストあんまり好きじゃないんですよ!」
ウヒウヒ笑いながら告げ口する私。先生は大笑い。
「でしょうね!良い時は良いって言う。サ・ヴァはたいてい良くない時や!」
ピアニストは日本人女性だったのだが、合わせ練習をしている時に「あなたって、どぉ〜してそう日本人っぽく吹くのかしら!」と散々言われ、嫌になってしまったのだ。
先生はヘヘッと笑い、
「言うのは簡単やからな。」
と締めくくった。
言うは易く行うは難し。流れる血はもちろん変えられないし、積み上げてきた習慣や価値観も、そう簡単に変わるもんじゃない。
日本の宝、指揮者の小澤征爾さんの自伝か何かに、自身が日本人であるという事に悩み、一時期一切米を食べなかったと書いてあったと記憶している。
その後様々な葛藤を乗り越え、最終的にはどこへ行くにも必ず炊飯器を持ち歩き、コンサート前は必ず米を食べていたそうだ。米が1番元気が出る、と。
「ドイツ人のフランスものなんてどんくさくって聞いてられない!」「フランス人は何でも速く吹けりゃいいと思ってる!」「アメリカ人ってどうしてこう全部バーンと大袈裟に吹くんだろう!」
様々な偏見と罵倒が飛び交う中、それでも自分だけの音楽を模索してみんな歩き続ける。
私もひどいもんで、大学生の時にストラヴィンスキーの3つの小品を吹いたところ、先輩に関西訛がひどい演奏とバカにされた。私は広島県民だ。関西人じゃない。
世界にはたくさんの名プレイヤーがいて、やっぱりクラシック音楽は西洋の物なので、越えられないDNAの差みたいな物を感じるときもある。
それでもスヌーピーの言う通り、配られたカードで勝負するしか無いのだ。
日本人訛で何が悪い!
「日本人万歳!」
この記事を読んだ方へのオススメ記事⬇