老中首座・阿部正弘は、約11年の米国生活を終えて帰国した元漁師見習いの中濱萬次郞を幕府直参旗本(普請役格)として登用し、米国海軍東印度艦隊ペリー司令官との日米和親条約交渉の英語通訳として活用することを意図していたようですが・・・
WEBより拝借
攘夷論者の急先鋒であった水戸藩第9代藩主 徳川斉昭は、「萬次郞は米国のスパイではないか?」と疑い、萬次郞を日米和親条約交渉の英語通訳として採用することに大反対を唱えます。
水戸藩第9代藩主 徳川斉昭
老中首座・ 阿部正弘は、外国との折衝を従来の如き「日本語⇄オランダ語⇄英語」という非効率的二重通訳(Relay interpreting)ではなく、「日本語⇄英語」の直接通訳(Direct Interpretation)を考えていたのでしょうが・・・徳川家康を祖とする御三家で天下の副将軍を自負する水戸藩主 徳川斉昭の強硬反対によって、萬次郞の活躍の機会は潰されてしまいました。
老中首座 阿部正弘
しかし中濱萬次郞の最新知識の重要性を高く評価していた幕府海防担当の江川太郎左衛門は、老中首座の阿部正弘に働きかけて、萬次郞が米国から帰国した時に持ち帰って長崎奉行所に「異国の禁書」として没収されていた最新技術専門書を取り戻し(貸し出し?)、中濱萬次郞に翻訳作業に取り掛かることを指示します。
韮山が生んだ幕末の偉人 江川太郎左衛門
中濱萬次郞が最初に翻訳を手掛けた原書は、米国の数学者で天文学者の"Nathaniel Bowditch氏"が著した「The New American Practical Navigator」(1844年版)でした。米国の海事専門学校で学んだ中濱萬次郞が使用していた天文航海術の教科書です。
数学者・天文学者 Nathaniel Bowditch
ナサニエル氏の書籍は、大航海時代の欧米諸国の商船、捕鯨船、軍艦が洋上で自船の正確な位置を知るための天体観測術を理論的に解説したものですが、今でも米国海軍の軍艦には、「航海者の聖書」(Seaman's Bible)として必ず備えてあるらしい・・・と若かりし頃に天文航海術を教わった教官から聴いたことを記憶しています。
「航海者の聖書」(Seaman's Bible) 「The New American Practical Navigator」
中濱萬次郞は、1855年頃から「The New American Practical Navigator」の翻訳に着手。1857年5月頃に翻訳を終えて「亜美理加合衆国航海学書」と名付けた筆書き原稿を幕府に提出しています。
しかし翻訳を指示した恩師の江川太郎左衛門は、江戸本所(墨田区)の役宅で1855年3月4日に55歳で病没していたために、完成した翻訳書を見せることは出来ませんでした。しかし故人となった江川太郎左衛門の私塾の生徒の要望に応えて、「亜美理加合衆国航海学書」の内容を講義したそうです。
筆書きの中濱萬次郞の翻訳書は、残念ながら出版されていないのですが、中濱萬次郞の翻訳書を主体とした近代的航海術の教科書として、幕末の数学者で天文学者の小出脩喜が「大日本航海修学書」(東北大学図書館保管)と題して出版しています。
「大日本航海修学書」を若かりし頃に筆写した新島襄(教育者・宗教家・同志社英学校の創立者)のノートによると、中濱萬次郞が翻訳した「亜美理加合衆国航海学書」には、代数、幾何、対数、三角法、平面航海算法、距等圏航海算法、中分緯度航海算法、漸長緯度航海算法等々の項目が含まれていたことが分かっています。
大日本航海修学書を筆写した新島襄氏のノート
1857年5月4日、江戸の築地講武所内(中央区築地)に西洋式海軍教育を行う「軍艦教授所」が設立されます。遠隔地の長崎海軍伝習所の閉鎖に伴って、江戸の「軍艦教授所」は、名実ともに幕府海軍教育の中核施設となり、明治政府以降の日本帝国海軍の海軍兵学校(海軍士官養成校)のルーツとなります。
江戸築地の「軍艦教授所」と練習用軍艦
新設の「軍艦教授所」の教授を拝命した中濱万次郎(満30歳)は、天文航海術、測量術、運用術、等の実践的技術指導を行うとともに、"耳から聞こえる音を重視した英語教育"も行っています。
さらに在米中に身につけた米国式大型外洋捕鯨船の運用術と造船技術、そして米国式民主主義、自由と平等についても学生達に講義した記録が残っています。
軍艦教授所 教授 中濱萬次郞
中濱万次郎が「軍艦教授所の教授」に就任できたのは、中濱萬次郞の専門知識を高く評価していた儒学者の大槻磐渓、林大学頭(復齋)、老中首座 阿部正広の後方支援があったからでしょうが・・・
軍艦教授所の教授(その後に教授筆頭役に就任)だった勝麟太郎(勝海舟)の支援も大きかったと思われます。勝麟太郎は、中濱萬次郞の卓越した航海技術と科学的知識に接して、 当時の日本人権威者の"本からの知識"だけと違って、"実体験に基づいた生きた技術論"であることに驚愕しています。
軍艦教授所 教授筆頭 勝麟太郎
さらに勝麟太郎は、幕府の超保守的身分制度と相反する中濱萬次郞の合理的な民主主義的思考にも強い感銘を受け、教授筆頭と教授の差を越えて対等に近いレベルで接していたようです。近代化した日本海軍を創設するには、中濱萬次郞の生きた知識と思想が必要であると確信し、彼が活躍する舞台を何かにつけてお膳立てしていたように思います。
僕の個人的想像ですが、中濱萬次郞自身としても、外交折衝上の英語通詞(通訳者)としての仕事よりも、自分が経験してきた海事技術の指導者として日本の近代化に尽くすことに遣り甲斐を感じていたのではないでしょうか。
続きは次回に書くことにします。









