29年ぶりに日本に本帰国した浦島太郎の草双紙
海外駐在生活を終えたhiro-1が念願だったタイ国に移り住み、大学のタイ語学科で読み書きを学んだ後に、歴史学科に進級してタイ国のアユタヤー王朝の外交史を勉強する傍ら、自家用車を駆ってタイ国内の遺跡巡りやアジアや欧米諸国への旅を楽しみましたが・・・後期高齢者に仲間入りしたのを機に、29年ぶりに日本に本帰国して浦島太郎的生活をスタートしました。
  • 20Jun
    • 海開きに備える海の家

        7月1日の海開きに備えて準備中の片瀬江ノ島西浜海水浴場をぶらつきました。 通常ならば写真枠外の左側に富士山が鎮座しているのですが、この日に見えたのは優美でなだらかな裾野のラインだけで、肝心の山頂は白雲に遮られて見ることができません。  片瀬江ノ島西浜海岸の東西5kmに亘って連なる仮設の建物は、片瀬江ノ島西浜海水浴場の海開き(7月1日)に備えて準備中の約30軒の『海の家』です。(下写真)  片瀬江ノ島西浜海水浴場は、江ノ島へ通じる橋の茅ヶ崎方向に位置しますが、反対方向の鎌倉方面側には、片瀬江の島東浜海水浴場が広がっています。 若かりし頃は、江ノ島のヨットハーバーでセーリングを楽しむために頻繁に通ったものですが、振り返ってみると、唯の一度も江ノ島で海水浴をしたという覚えがありません。    片瀬江ノ島の西浜海水浴場で、ロングヘアの背高の美しい女性が、現場の管理者と思しき男性から指示を受け乍ら、海の家を支える鉄骨の赤錆を丁寧にスクラップしていました。 アルバイトの女性にしては作業着の出立ちが恰好良すぎるので、ひょっとすると現場責任者の愛娘さんかもしれませんね。(上写真)  ほぼ完成したと思しきお隣の『海の家』の真ん前には、仰向けになって転寝している男性がいます。 天然の無料日焼けサロンで、夏に向けて小麦色の焼け膚つくりをしているつもりなのでしょうか。(上写真)  海の家の真向かいに広がる西浜海岸では、サーフィンをこよなく愛する若い男女が、これまた夏の試合に備えているのでしょうか、波乗りテクニックの研究に余念がありません。 西浜海岸に集う誰もが、目の前に迫った真夏を心待ちにして準備の真っ最中です。(上写真)

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  • 19Jun
    • 鎌倉弁財天社の池畔でリスと戯れながら休憩

        6月17日(月)に鎌倉の宝戒寺、妙本寺、本覚寺を巡った折に、旗揚弁財天社の蓮池畔の木陰で、手弁当の昼食をとりながら休憩。 とても暑い日でしたが、蓮の大葉を通り抜ける微風にホット一息です。 (下写真)旗揚弁財天社の池  旗揚弁財天社の蓮池には、人間慣れした大鯉、小鴨、亀などの群れが住み着いていて、池畔で写生をしている老人や近隣の老人に餌をねだっています。 すると、高木の枝上でチョロチョロしていた一匹のリスが、水彩画の絵の具を溶く水入れにチョコチョコと寄って来て飲もうとします。(下写真)  水入れの水を飲めないと分かると、水彩画を描いている老人の膝上に飛び移り、餌をねだるかのような仕草を繰り返します。人間を全く恐れていません。(下写真)  無暗に餌をあげてはならないルールでもあるのでしょうか、何も応じようとしない人間に業を煮やしたのか、老人の掌を舐める仕草をして餌をねだる動作を繰り返します。(下写真)  大鯉と亀は群れをなしてかなり強引に餌を強請るのですが、リスはと言えば、僅か一匹だけが人間にボディタッチをしてねだるだけで、他のリスは高木の上枝に居坐ったままで、地上に降りてこようとしません。  直ぐ近くに餌を強請る多数の鳩も群れているのですが、僅か一匹のリスの大胆な振る舞いにお株を奪われて、周りをウロウロと焦って動き回っているだけです。 そんな愛らしいリスの動作に、サンデー毎日の老人の笑い声が起こっていました。  今日も湘南界隈は、梅雨の合間の晴れになりそうです。

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  • 18Jun
    • 久しぶりの鎌倉ブラブラ歩き

      6月17日(月)居間から見える富士山が珍しく裾野まで見せてくれています。 山頂の積雪はすっかり少なくなって、すでに夏山の風情をうかがわせます。(下写真)17 Jun.. AM6時半  午前6時半、慌ただしい朝食を終えて、辻堂➡藤沢➡片瀬江ノ島➡鎌倉を巡る小さな旅に出発しました。最初の目的地は、大潮の片瀬江ノ島です。(下写真)江ノ島西海岸  江ノ島西海岸に到着した頃には、富士山の山頂部分は、白い雲に取り囲まれていました、(上写真左上)5月から6月にかけての湘南界隈から見る箱根山周辺は、気むずかしい前線の影響を受けて、この様な天気模様が続くことが多いようです。 この日は大潮だったのですが、それも期待したほどではありませんでした。(上写真)  片瀬江ノ島から江ノ電を利用して鎌倉駅で下車。徒歩で八幡宮に向かったのですが、月曜日だというのに凄い人込みです。 雑踏を嫌って脇道に入り、宝戒寺➡抄隆寺➡本覚寺➡抄本寺への裏道を散策したのですが、既に盛りを過ぎてしまった紫陽花は、冴えないことこの上なしです。(上写真)  ハス池にも緑色の大葉が目立っばかりで、ハスの蕾を見つけるのにとても難儀したのですが、開花が近そうな一本の蕾をなんとか見つけました。(上写真)  しからば睡蓮(スイレン)をと思ったのですが、これまた時期外れなのでしょうか、水面に浮かぶ羊葉はあれども、睡眠から覚めた睡蓮を見つけることが叶いません。 上掲写真は、寺院の片隅に置いてあった水を張った甕の中に浮かんでいた睡蓮です。 撮影遊歩としては不作の一日となってしまいました。  夕方の6時頃に撮影を諦めて、鎌倉駅近くの居酒屋で喉を潤しながら3時間の談論風発を楽しんでから帰宅。 携帯の歩数計を見ると、僕の限界数の2倍になる『18,000歩』余りを示していました。クタクタになった身体を横たえると、そのままバタンキュウーでした。  

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  • 17Jun
    • 日本では名無しの権兵衛のフェイジョア

        16日(日)の午後二時半、気温は26.5℃と少し涼しめでしたが、久しぶりに晴れわたった辻堂界隈を自転車で散歩していると、他人様のお宅の生垣に、30年以上も前の現役時代にオーストラリアで見かけたことのある『フェイジョア』(Feijoa)の花が咲いていました。(下写真)  直径5cm前後の外面白色で内面の淡紫色が少し見える『フェイジョア』(Feijoa)の花を初めて見たのは、記憶が間違っていなければ、メルボルンの果実畑の防風対策用の生垣樹だったように思います。    『フェイジョア』(Feijoa)の果実を初めて齧ったのもメルボルンだったと思いますが、濃緑色でデコボコになった果皮は、見てくれよりも薄く、果肉はゼリー状で粒粒の種が幾つかありました。   味覚の好き嫌いは、人によって違うものなので触れるべきではないと思うのですが、石細胞の独特の感触と、果肉の甘酸っぱさとジューシさが混濁して何とも表現しがたい味覚は、少なくとも当時の僕の口には馴染まなかったことを覚えています。(下写真)ウイキペディアより拝借    『フェイジョア』の花の外観は、見るからに南半球の植物らしい風情をしていて、幾つもの雌蕊と雄蕊が針山に刺さっている待ち針のように見えます。『フェイジョア』の果実を好まない人も、此の花の雌蕊と雄蕊の美しさを好んで生垣に植えている人も多いと聴きます。 (下写真)     ニュージーランドやオーストラリアでは、個性豊かな花を咲かせるトロピカルフルーツとして好まれている『フェイジョア』であっても、日本では今もなお、和名すらも付けられていない名無しの権兵衛のままで、花と果実が人々の話題になることは滅多にないようです。   そんな『フェイジョア』(Feijoa)の花と出逢えた梅雨の合間の嬉しくも貴重な一日でした。参考:植物分類体系科名:フトモモ科 Myrtaceae 属名:フトモモ属 Acca 種名:フェイジョア Feijoa 学名:Acca sellowiana(O.Berg) Burret 和名:フェイジョア 

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  • 16Jun
    • ラッキークローバーと呼ばれる四枚葉の片喰草!

        15日の辻堂界隈には大雨強風注意報が出ていたので、定例の一週間分の食料買い込みを14日に終えていたのですが・・・・予想に反して、ジトジトした小雨が続く一日となりました。  殆ど毎日のように“花”の記事を投稿していますが、今日もまた懲りることなく、数日前に見た花の中から雄蕊の“やく”が黄色い淡紅色の花径3cmの『カタバミソウ』(片喰草)を投稿したいと思います。(下写真)   とは言っても、子供時代を過ごした故郷では、『カタバミソウ』(片喰草)と呼ばずに、『サクショウソウ』と呼んでいたような記憶が微かに残っているのですが・・・此処では、一般的呼称の『カタバミソウ』を採用することにします。カタバミソウ (片喰草)  僕の記憶にある『カタバミソウ』は、倒心形の三枚葉だけだったのですが、この日に見た『カタバミソウ』には、全て倒心形の斑入りの四枚葉が付いていました。(下写真)  日本の『家紋』は20000種類以上在るそうですが、その中の十大家紋に含まれている『片喰草』の絵柄をチェックすると、三枚の葉だけでデザイン化されたものと、三枚の葉に日本刀のデザインを重ね合わせたものはあるものの、四枚葉で構成された片喰草の家紋は一つもありませんでした。  武士社会が誕生した戦国時代の頃、『三枚葉の片喰草』は、全国の彼方此方に繁茂していたと思われますが、『四枚葉の片喰草』は何処にも生えていなかった・・・と僕は思うのですが・・・どうでしょう?    四枚葉の『片喰草』が日本で帰化植物となった時期を、武家制度を廃止した明治以降とすると、十大家紋の中に『四枚葉の片喰草』が存在しない理由が分かるような・・・そんな気がしないでもありません。  “斑入りの四葉の片喰草”の正式名を知りたくてしつこく検索すると、次の名前がヒットしました。カタバミ科(Oxalidaceae) 学名“Oxalis tetraphylla”“Oxalis tetraphylla”だけが四枚葉なので、欧米では、ラッキー・クローバーと呼ばれているそうです。参考:植物分類体系科名:カタバミ科 Oxalidaceae属名:オキザリス属 Oxalis学名:Oxalis tetraphylla和名:斑入りの片喰草原産地 メキシコ 

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  • 15Jun
    • セルビアン・ベルフラワーへの懐古

        近所のスポーツジムからの帰途、他所様のお宅の植え込みに、懐かしい『セルビアン・ベルフラワー』(Serbian bellflower)が咲いているのを見つけました。(下写真)  その昔の現役時代、欧州のバルカン諸国で訪れた取引先宅の植え込みに咲いていた五弁のブルーの花です。 草丈10cm程度、花径3cm、卵型の葉の縁がギザギザ状になっているのも、昔の記憶通りです。  『セルビアン・ベルフラワー』(Serbian bellflower)の属名は“カンパニュラ”(Campana)ですが、その意味は、ラテン語の『鐘』から来ているそうです。夏から秋にかけて欧州を訪れると、バルカン半島以外の地でも群生していた記憶が蘇ります。  東西文明の十字路に位置するバルカン半島は、2000年にも亘る複雑な歴史を持つ国々が交錯している地域です。中世における周辺帝国からの侵攻、20世紀半ばのユーゴスラビアの崩壊による国家分裂と民族紛争という、一言ではとても表現できない複雑の極致を経験した地域です。  ユーゴ解体後の混乱はまだ燻っているのかもしれませんが、何ひとつお手伝らしきこともできない僕には、『セルビアン・ベルフラワー』が群生する素晴らしいバルカン半島の平和な光景が戻ることを、心から願うことくらいしか出来ません。 合掌。参考:植物分類体系科名:キキョウ科 Campanulaceae属名:カンパニュラ属 Campanula学名:Campanula poscharskyana英名:Serbian bellflower、Trailing bellflower、和名:ホシキキョウ。原産地:バルカン半島・Croatia, Bosnia, Herzogovina、セルビア

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  • 14Jun
    • ナンテンの属名Nandinaは日本語の転訛でした!

        辻堂の他人様の手入れの行き届いた庭に、幹高2m位の枝木に互生する艶のある深緑の小葉と白蕾がとり付いていました。 この時は、『ナンテンの木かな?』と思ったものの、いまひとつ自信がないままに通り過ぎてしまったのですが・・・・(下写真)      数日後、初夏を思わせるような日に通り掛かって見ると、黄小花の花序が幾つも顔を出していました。 秋になると小さな球形の赤い果実をつけるナンテン(南天)だろうと思います。希に白い果実をつけるナンテンもあるようですが・・・ (下写真)                 俳句の世界では、〝南天の花=夏の季語"、〝南天の実=秋の季語"だそうですが、正岡子規の俳句に、ナンテンの白蕾と黄花を見てチョット迷った僕の心境に近い俳句がありました。 南天の 実になる花と 思はれず 子規   正岡子規は、『眼前の白蕾と黄花を見ただけでは、とても南天の木とは思えない』という気持ちを詠んでいることから、この句を詠んだのは、初夏が近くなった今頃の季節だろうと思います。   ナンテン(南天)の原産地は、学名の『Nandina domestica』と属名の『Nandina』から分かるように、欧米ではなくて日本でした。 最初に新種のナンテンを発見して『ナンディン』と命名したのは、元禄年間に出島に駐在していたドイツ人医師のケンペルですが、植物学会を通じて世界に発表したのは、『日本植物誌』を著したスウェーデン人植物学者のツンベリーだそうです。 参考:APG植物分類体系(APGⅢ) 科名:メギ科 Berberidaceae 亜科:ナンテン亜科 Nondinoideae 属名:ナンテン属 Nandina 学名:Nandina domestica 種名:ナンテン N.domesica 英名:Heventry bamboo 学名:Nandina domestica Thunb. 和名:ナンテン(南天) 原産地:日本

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  • 13Jun
    • 東郷平八郎が愛したルドベキア"タカオ"

        遠目には黄コスモスに見える花径4cm程度の小さな花が賑やかに咲いていました。 近づいて見ると、黒色に近い濃茶色の花芯が松ぼっくりのように盛り上がっています。明らかにコスモスとは異なる花でした。  『花芯が黒い黄色の花の名前は?』でググると、花弁、花芯、葉っぱが同じ写真にヒットしました。 正式な和名はないようですが、『ルドベキア〝タカオ"』 (Rudbekia Takao) という学名の植物のようです。 (下写真)ルドベキア〝タカオ"   花弁は反り返り気味に開いています。花の終わりが近づくにつれて黒っぽい花芯が盛り上がって松ぼっくりのようになることから、英語圏では『コーンフラワー』、日本では『松笠菊』(マツカサギク)の俗称名で呼ぶ地域もあるようです。  日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破った東郷平八郎海軍大将(元帥)が好んだ花として伝えられている『東郷菊』(俗称)は、ルドベキア〝タカオ"と同じ仲間の花(ルドベキア属)だったそうです。  東郷平八郎海軍大将が英国王の戴冠式に出席した時に『ルドベキア属』の種子を貰って持ち帰り、向島百花園に栽培を託したそうです。 東郷さんの目には、『ルドベキア属』の花が〝菊の紋章"のように見えたのでしょうね。参考:植物分類体系科名:キク科属名:ルドベキア属 学名:Rudbekia Takao 和名:ルドベキア タカオ 俗称:マツカサキク

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  • 12Jun
    • 大友家持の見た『昼顔』はどんな花?

        久しぶりに晴れ模様になった茅ヶ崎市と藤沢市の境界近くを散歩していると、道端の植え込みの中に、漏斗状の淡紫色の花が咲いていました。(下写真)  『西洋昼顔かな?』と思って近づくと、 『ブルーカーペット・コンボルブルス・サバティウス』と手書きで書かれた紙片が入ったお手製のビニール小袋が地面にさしこんであります。   『ブルーカーペット』は花名の装飾語だと思うのですが、『コンボルブルス・サバティウス』は、おそらく“科名、属名、学名”の何れかの正式な植物分類名だろう・・・と思います。 どうして俗称の『西洋昼顔』と表示しなかったのか・・・よく分かりません。      地面を這うようにして咲く花径は約2㎝余り。昼間は花弁を開いて、夕方や雨天は花弁を萎ませるタイプの淡紫色(花芯は黄白色)の花です。葉長は意外に小さくて3cm前後しかありません。(下写真)   帰宅して花名の確認作業をしていると、タイに在住していた時に海岸で撮影した『ハマヒルガオ』の写真が出て来ました。(下写真) 同じ仲間の『ヒルガオ』かなと思ったのですが、よく観察すると、花弁も花芯も、葉の形状も明らかに違いました。タイで撮影したハマヒルガオその昔、タイで撮影した『ハマヒルガオ』(上写真)の撮影メモに、僕の走り書きが残っていました。❐万葉集281の『かほばな』とは、『容花』=『貌花』のこと。❐『容花』とは、『昼顔』を意味するとの説が有力。❐海辺の砂地で群生している花は、「ハマヒルガオ」と呼ばれている。❐万葉集・巻8-1630 に、『容花』=『昼顔』のことを詠んだ大友家持の歌あり。万葉集・巻8-1630 大伴家持の歌「高円(たかまと)の 野辺(のへ)の 容花(かほばな) 面影に見えつつ妹は 忘れかねつも」        高円(タカマト)の野辺(ノヘ)に出張した時。咲き匂う容花(カホバナ)を見て、妻の面影がちらついて忘れらない気持ちを詠んだ歌らしいですが、大伴家持の妻の顔に似た容花(カホバナ)は、どんな花貌の『昼顔』だったのでしょうか?  『コンボルブルス・サバティウス』を検索すると、大友家持の時代には渡来していなかった『西洋昼顔』(学名:Convolvulus sabatius)=英名Ground morning gloryでした。参考:植物分類体系科名:ヒルガオ科Convolvulaceae属名:セイヨウヒルガオ属 Convolvulus学名:Convolvulus sabatius 和名:セイヨウヒルガオ(西洋昼顔)  英名:Ground morning glory j常緑多年草

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