今日からブログテーマ「節穴から覗いた歴史の一齣」の再開に備えて、外付きDISKの破壊で消失した歴史データの作成を再開しました。先ずは江戸末期の資料から順次手掛けています。
という事で、これから数日間は散歩道で見かける花々の記事で繋ぐことになりますが、来週中には「歴史の一齣」を再開したいと考えています。
お気に入りの散歩道の東京都多摩東部を走る西部鉄道国分寺沿線の公園に「草夾竹桃」が咲いていました。(下写真)
僕が最初に憶えた此の花の名前は、米国東部出張中に教わった「Garden phlox」でしたが、その後、日本では「草夾竹桃」をはじめとする幾つもの花名で呼ばれて来た過去史を知りました。
「Garden phlox」が日本に到来したのは明治時代ですが、葉の姿が「夾竹桃」に似ていると思った園芸家がいたらしく、植物分類学上は夾竹桃と全く無関係なのですが、敢えて「草夾竹桃」と名付けたようです。
草夾竹桃(クサキョウチクトウ)
大正時代に入ると、花の艶やかさが花魁の姿を想わせるとして、「花魁草」(オイランソウ)の園芸名で販売されていたそうです。
しかし昭和1958年に買収防止法が施行されると、「花魁草」の花名は売春・買春を想起させるとして使用されなくなったようですね。
草夾竹桃(クサキョウチクトウ)
現在の日本では、「宿根フロックス」とか、学名を片仮名読みした「フロックス・パニキュラータ」の園芸名で広く流通しているようですが、戦中生まれの僕は、今でも「草夾竹桃」と呼んでいます。皆さんは何と呼ばれていますか?