ポツダム宣言執行のために日本国を間接統治していたGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の幕僚部の一つである民間情報調査局(略称:CIE Civil Information and Education)は、敗戦国日本の改革で重要な役割を果たしましたが、日本国字の表記方法については、漢字と仮名の廃止派(ローマ字に一本化)と漢字と仮名の護持派が主張を戦わせていました。
GHQ民間情報調査局(CIE)で、漢字と仮名を廃してローマ字に一本化する改革派の中心人物は、世論社会調査課長のJohn Campbell Pelzel (元海兵隊少佐)と配下のRobert King Hall少佐でした。
John C. Pelzel とRobert K. Hallは、漢字の難解さを理由にして江戸時代の国学者(新井白石、本居宣長)や明治時代の西周(ニシアマネ)や前島密のグループが「漢字御廃止之議・仮名遣いへの変更」を唱えていた歴史的事実を情報として把握していました。
更にJohn C. Pelzel とRobert K. Hallは、大東亜戦争(太平洋戦争)の最中に「漢字廃止➡ローマ字化」の主張を押し殺していた日本人言語学者(ローマ字論者)との連絡を密にしていたようです。
幻の日本語ローマ字化計画 茅島 篤(編著)
世論調査課長のJohn Campbell Pelzelは、次期民間情報調査局(CIE)の最有力局長候補と見なされていた人物でした。彼の簡単な履歴を下記して置きましょう。
John Campbell Pelzel(1914年生誕~1999年10月病没)の略歴
1935年にハーバード大学大学院にて人類学を専攻。1941年にハワイ大学で日本語教師としの研修を受けてから米国海兵隊に志願入隊。戦後にGHQ 民間情報教育局 (CIE) 世論社会調査課長に起用される。GHQ 退任の翌年の1950年にハーバード大学に戻ってアジアの文化人類学と言語の教育者として奉職。
John C. Pelzel とRobert K. Hall は、GHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)が招聘した米国の大学学長、教授、教育行政官をメンバーとする第1次米国教育使節団27名(下写真)に大きな期待を寄せます。
第1次米国教育使節団の多くは、日本人の漢字読解力のレベルの低さに問題意識を抱いていたので、日本人の漢字の識字率調査の実施に強い関心を示していました。
第1次米国教育使節団
大東亜戦争(太平洋戦争)で日本と凄まじい殺戮戦争を経験したGHQ/SCAPスタッフの日本人に対する基本的見解は、玉砕死するまで戦い抜いた日本兵と一般的日本人老若男女の異常な精神状態の原因は、「複雑で難解な漢字が多くて識字率が低いために、真の民主主義を知ることが出来なかったからだ」・・・と信じ込んでいたようです。
第1次米国教育使節団も、難解で複雑怪奇な漢字を表音文字とする日本人の識字率のレベルは、簡便な英語アルファベットを使用する米国人の識字率と比較しても、必ずや最悪の数値が出るに違いないと確信していたようです。
従って日本国民に真の民主主義教実施実施するには、漢字という悪魔の文字を廃止して、誰もが正しい情報を簡単に知ることが出来るローマ字に一本化するべし、と言うのがGHQ/SCAPと第1次米国教育使節団の共通する信念だったと思われます。
日本人の識字率を調査した米国教育施設団
1948年(昭和23年)8月、GHQ/SCAPと第1次米国教育使節団は、「日本人の読み書き能力調査」の問題作成を文部省教育研修所(現・国立教育政策研究所)に依頼。実地検査の実務作業を東京帝大言語学講師助手でローマ字論者でもあった柴田 武氏(下写真)と統計学者の林知己夫氏に依頼します。
柴田 武(後年:東大の言語学教授者)
柴田 武氏が識字率テストの終了後にGHQ/SCAPを訪れた時、世論調査課長のJohn C. Pelzelから「識字率が低い結果でないと困る」と小声で婉曲に言われ、柴田 武氏が「調査結果を曲げることはできない」と応答したという後日談があります。GHQを引退後にその事実を日本人記者から問われたJohn C. Pelzelは、「柴田氏の取り違いによる誤解だよ」と否定していたそうです。
それでは「日本人の読み書き能力調査」の実施方法と内容について触れてみたいと思います。
「日本人の読み書き能力調査」は、日本全国270ヶ所の市町村の道路上で見付けた15歳~64歳の男女16,820人を小型軍用車のJEEP・ウィリス M38に片っ端から乗せて識字率調査場に連れて行くという手荒な手法で行われたようです。
進駐軍のジープ(ウィリス M38)
識字率調査の設問構成は、全90問・90点満点(1問=1点)、25問が記述式、65問が選択式でした。全設問の72.2%が選択式と言うことは、勘による正答率アップを密かに期待した日本人出題者がいたのかもしれませんね。選択式の設問の中には、識字率とは関係なそうな初歩的雑学知識を求める平易な問題も含まれていたようです。
GHQが実施した日本人(16,820人)の読み書き能力調査結果の平均点は、100点満点換算で78点でした。下欄の数値は、90点満点の点数別構成比となります。
満点 90点=4.4% 89点⇔80点=44.7% 79点⇔70点=19.8% 69点⇔60点=9.8%
59点⇔40点=9.8% 39点⇔20点=6.1% 19点⇔0点=5.4%
試験結果の平均点=78点は、日本人識字率の低さを疑わなかった米国教育使節団とGHQ民間情報調査局(CIE)のJohn C. Pelzeにとっては、まさに「驚き、桃の木、山椒の木」でした。
民間情報調査局内の少数派の漢字擁護派の教育課長・ロバート・ヘンダーソン中佐(下写真)すらも、日本人の識字率がこれ程までに高いとは思っていなかったと吐露しています。
ロバート・ヘンダーソン中佐
かくして、GHQ民間情報調査局(CIE)のJohn C. Pelze. Pelzeが思い描いていた作戦、つまり日本人の漢字識字率の低さを露わに示すことによって、漢字を廃してローマ字に変更すると言う改革は、皮肉にも彼が強引に実施した調査結果によって根底から覆ってしまったのです。
若しも100点満点換算の平均点が60点以下であれば、日本語の表記文字はローマ字に一本化されていた可能性の高さを思うと、反ローマ字化の僕としては鳥肌が立つ思いです。
1946年の第一次米国教育使節団とJohn C. Pelze. Pelzeの「漢字廃止➡ローマ字化計画」は、幸いにも消滅したのですが、1950年9月22日付けの第2次米国教育使節団報告書では、小学校と中学校のローマ字教育は、漢字や仮名教育の補完的位置付けでよいと結論づけられていました。
現在の日本におけるローマ字表記は、内閣告示によって日本語式ローマ字に近い訓令式ローマ字となっているのですが、実際には修正ヘボン式ローマ字が多用されていますね。
最新ニュースでは2024年以降に内閣告示の見直しがあるようですが、おそらく国際規格に近い修正ヘボン式ローマ字表記が採用されるのではないでしょうか。
GHQの識字率調査結果については、「当時の日本人が正常な社会生活に必要な文字言語を理解する程の高い識字率を持っていたとは思えない。しかるに実際の日本人の識字率よりも極めて高い数値が出てしまった」との論を唱える日本人言語学者もおられるようです。
今後の言語学者による専門的且つ科学的再検討を待ちたいと思います。