最近の僕の関心事項は、江戸中期から先の大戦直後までの間に、日本国内で何度も起こって消えていった「漢字廃止論」です。

 

例を挙げると、江戸中期に新井白石本居宣長が唱えた「片仮名遣いへの変更」、明治末期に前島密が徳川幕府最後の将軍となった徳川慶喜に提議した「漢字御廃止之議」、明治期に福沢諭吉が説いた妥協案の「漢字数の大幅節減」、そして先の大戦後にGHQが強引に迫った「日本文字のローマ字化」等がありました。

 

 

新井白石:著 西洋紀聞  本居宣長:著 字音仮字用格

 

更にもっと過激な動きとしては、明治期の初代文部大臣の森有礼が強引に進めようとした「日本語の廃止➡英語化」や作家の志賀直哉が唱えた「日本語廃止➡フランス語化」といった「日本言語の改革運動」もありました。

 

僕の最大の関心は、新井白石や本居宣長の「漢字廃止論」ではなく、文部大臣の森有礼が自分の命を犠牲にして強引に進めようとした「日本語を廃止して英語化する」という言語改革運動なのですが・・・それは後日の拙ブログで書く事にしたいと思います。

 

初代文部大臣・初代米国駐在大使

 

漢字廃止論」に伴う「音標文字」や「音標言語」の導入は、日本だけではなく、漢字文化圏の中華民国期の中国大陸、朝鮮半島、そしてベトナムでも起きているのですが、本日は、漢字の本家本元の中国の話から始めたいと思います。

 

中国の近代文学の祖と評される魯迅は、1930年代に複雑で非効率な弊害を持つ「漢字の廃止論」を主唱した人物として知られています。言語学者の「銭玄同」も同時期に同じ主張をしていますね。

 

 

左:文学者 「魯迅」 右:言語学者 「銭玄同」

 

「魯迅全集」(岩波書店:松枝茂夫訳)から魯迅の思いを僕なりに意訳すると、魯迅は、低識字率の多い中国庶民と中国の将来のために「漢字不滅 中国必亡」を唱えます。つまり「文字数が多く複雑な漢字を廃止しなければ、中国は必ず滅びてしまう」という過激な提案でした。

 

漢字廃止後は、中華民国期の1918年頃に成立した注音符号チューインフーハオ)を、正式な中国の国字として置き換えるというのが彼の主張でした。彼の狙いは、異常に多い漢字数よりも遙かに字数の少ない表記体系の「注音符号」に置き換えれば、誰もが容易に読めて書ける国字になると考えたのですが・・・彼の主張は受け入れられませんでした。

 

当時の「注音符号」は、現在の中国では埋没して使用されていないのですが、中華民国(通称:台灣)では、今も現役の発音記号として活用されているようです。

 

注音記号(台湾の発音記号) WEBより拝借

 

僕が中華人民共和国の北京に駐在していた時に中国人教師から教わった漢字の発音記号は、1918年に公布された「注音記号」(チューインフーハオ)ではなく、1958年に採用されたアルファベット記号を流用した「漢語拼音(ハンユーピンイン)でした。(下表)

 

漢語拼音中華人民共和国の発音記号 WEBより拝借

 

中国語を全く知らなかった僕にとって、「注音記号」(チューインフーハオ)で中国漢字を勉強するよりも、アルファベット流用の「漢語拼音(ハンユーピンイン)で中国漢字を学習する方が遙かに容易だったことを覚えています。

 

次回以降のブログでは、ベトナムと朝鮮半島の「漢字廃止運動」、最終回のブログでは、日本における「漢字廃止運動」ついて書いてみたいと思っています。