四回に分けて投稿した「原子爆弾」に纏わる拙ブログの中で、「先の大戦」の呼称として、「大東亜戦争」(Pacific war)と書いたところ、知人から「"大東亜戦争"の英語訳が如何して"Pacific war"になるの?」との質問を受けました。 (註:旧字体:大東亞戰爭)  

 

↑大日本帝国の正式呼称 WEBより拝借

 

僕としては、「先の大戦」で当時の日本政府が閣議で正式呼称とした「大東亜戦争に、米国政府が独自に使用していた呼称のPacific warを括弧付きで表示したつもりだったのですが、明らかに独りよがりの説明不足でした。  

 

↑米国の呼称 WEBより拝借

 

因みに英国の歴史家・Chiristopher Thorneは、米国が使用していた「Pacific war」を使わずに、「The Far-Eastern Conflict of 1941-1945」を彼の著作の表題にしています。英国の一般書籍でもThe Far Eastern War」の表題が多いように思います。(上下写真)

↑英国書籍の表題名 WEBより拝借

 

同じ戦争なのに国家によって呼称が違うのは、「先の大戦」に対する各国なりの「エゴイズム」が見え隠れしているように思うのですが・・・
 

それはさておき、本日のブログでは、敗戦国の日本を占領統治したGHQ(連合国軍最高司令部)が、日本政府に対して大東亜戦争」の呼称を公用語として使用する事を禁止し、その代替として「Pacific war」(邦訳:太平洋戦争)の使用を強制した事に焦点を絞って書きたいと思います。

 

1941年12月8日、米英に宣戦布告した日本軍の最高統帥機関・大本営は、「英米のアジアにおける暴政を排し、東亜の本然を復す」と大見得を切ったのですが、この時点では、まだ「大東亜戦争」を正式呼称として定めていませんでした。従って新聞の見出しにも使われていませんでした。

 

1941年12月8日の宣戦布告報道 WEBより拝借

 

日本政府が今次戦争の呼称について最初に議論したのは、真珠湾攻撃から二日後の1941年12月10日に開催された「大本営政府連絡会議」でした。この会議では、海軍が提案した「①太平洋戦争」、「②対米英戦争」と陸軍が提案した「大東亜戦争」が議論されたようですが、支那事変も含めて大東亜戦争と呼称する」との意思統一がなされたようです。

 

この会議結果を踏まえた東条首相は、12月12日の閣議において、今次大戦の呼称を「大東亜戦争」とすることを閣議決しています。

 

それから約3年9ヵ月後の1945年9月2日、連合国と日本国の停戦協定の調印式が行われて日本国の降伏が確定します。そして約3ヶ月後の12月15日、GHQは、日本政府に対して「神道と国家の分離」を迫る「The Shinto Directive(邦訳:神道指令)の覚書きを突きつけます。

 

GHQの神道指令を報ずる記事 WEBより拝借

 

GHQの「神道指令」の主旨は、「軍国主義の排除、信教の自由、政教分離、国家神道の廃止、神社神道への政府の資金援助や監督等の禁止」ですが、その覚書の"j項"に、大東亜戦争」や「八紘一宇」等の超国家主義的用語を日本政府の公文書で使用する事を厳禁する文章が明記されていたのです。

 

The Shinto Directive 15 December 1945

MEMORANDUM FOR: IMPERIAL JAPANESE GOVERNMENT

j:The use in official writings of the terms"Greater East Asia War (Dai Toa Senso)"," The Whole World under One Roof  (Hakko Ichi-u)", and all other terms whose connotation in Japanese is inextricably connected with State Shinto, militarism, and ultra-nationalism is prohibited and will cease immediately.

 

要訳:公文書で「大東亜戦争」や「八紘一宇」、そして国家神道・軍国主義・過激な国家主義を意味する用語の使用を禁止し、それらの用語の使用を即刻停止すること。

 

大東亜戦争」の呼称には、大東亜新秩序と大東亜共栄圏の名の下に侵略戦争を肯定する意味合いが込められていると判断したGHQは、それを下支えした国家主義を意味する用語の即刻使用禁止を発令したのでした。

 

WEBより拝借

 

日本政府は、GHQの覚書きに従って、Pacific war」の邦訳となる太平洋戦争」を全ての公文書で使用することになるのですが・・・日本のマスコミ界も、GHQのプレスコードに従って、大東亜戦争時の戦時用語の使用をしないように社内での事前検閲を行ったようですね。

 

更に新聞社には、日本軍による侵略と残虐行為を日本国民に知らしめるために、「太平洋戦争史・真実なき軍国日本の崩壊」の掲載を指令したようです。戦中生まれの僕達が受けた戦後教育は、このような流れを色濃く受けていたような思いが残っています。

 

 

しかしながら、1951年9月8日(昭和26年)のサンフランシスコ平和条約締結と1952年4月11日公布の「ポツダム宣言の受諾に伴う命令に関する件の廃止に関する法律」によって、GHQによる覚書きに関わる命令内容は、全て失効することになりました。

 

サンフランシスコ平和条約の締結 WEBより拝借

 

このような歴史を経て、現在は「大東亜戦争」という呼称も、「太平洋戦争」と言う呼称も自由に使う事が出来るようになったのですが・・・僕としては、当時の日本について書く時は、当時の一次資料に記載されている「大東亜戦争」の使用を続けたいと思っています。

 

但しGHQについて書く時は、誤解を生じ易い「大東亜戦争」(Pacific War)の短絡表示ではなく、「Pacific War」(米語表記)、「大東亜戦争」(邦語表記)、「太平洋戦争」(邦語訳)のように明記したいと思っています。

 

それにしても「大東亜戦争」の歴史的呼称は、今や多くの日本人の記憶から忘却の彼方に消え去ってしまい、米国の使用していた「Pacific War」の邦語訳である「太平洋戦争」が定着していますね。

 

天皇陛下の御言葉でも、これは僕の知る限りですが、「先の大戦」とか、「あの不幸な戦争」と仰っていますね。