本日のブログは、広島と長崎に投下された原子爆弾を北マリアナ諸島テニアン島の米軍基地まで輸送した重巡洋艦インディアナポリスのその後の悲劇について書いてみたいと思います。

 

米国海軍 重巡洋艦インディアナポリス WEBより拝借

 

1945年(昭和20年)3月31日:米軍の沖縄上陸作戦に参加した重巡洋艦インディアナポリスは、日本軍の特別攻撃隊の攻撃を受けて戦闘不能となって戦線を離脱。米国のサンフランシスコから40km離れたMare Island海軍造船所での大掛かりな修復工事を終えます。

 

Mare Island海軍造船所のインディアナポリス WEBより拝借

 

Mare Island海軍造船所と言えば、江戸末期の1860年、日米修好通商条約の批准書交換のために太平洋横断して損傷した咸臨丸(艦長:勝海舟)の船体を無償で修理した造船所ですね。

 

1945年7月15日:Mare Island海軍造船所での修理を終えた重巡インディアナポリスの艦長マックベイ三世(大佐)は、サンフランシスコの海軍本部に呼び出されて極秘任務を命じられます。

 

その命令とは、サンフランシスコのハンターズポイント海軍造船所で「極秘物質」を受け取り、北マリアナ諸島テニアン島の米軍第509混成部隊へ送り届けると言う重要任務でした。

 

その「極秘物質」は、日本本土に投下する原子爆弾だったのですが、その事実は、命令伝達者のサンフランシスコ海軍本部の将校にも、搬送を担う艦長マックベイ三世(大佐)にも告げられていませんでした。

 

「インディアナポリス」艦長マックベイ三世と乗組員 WEBより拝借

 

極秘物質」が高濃縮ウラン型原爆とプルトニウム型原爆である事を承知していたのは、トルーマン米国大統領、チャーチル英国首相、原爆開発者のオッペンハイマー博士と同僚、そしてハンターズポイント海軍造船所で乗船して来た陸軍将校に扮装した2名の科学者だけでした。

 

トルーマン米国大統領とチャーチル英国首相 WEBより拝借

 

1945年7月16日:ハンターズ海軍造船所で「極秘物質」を積み込んだ重巡インディアナポリスは、ハワイ準州オアフ島のパールハーバーで燃料補給を終えた5時間後、南方5300km先の北マリアナ諸島テニアン島に向けて出港します。

 

1945年7月25日:トルーマン大統領が日本への原子爆弾投下を承認。但し大統領が署名した書類は見つかっていないそうです。

 

1945年7月26日 早朝:重巡洋艦インディアナポリスがテニアン島に到着して投錨すると、陸海軍の高級将校30人余りが分乗した数隻の小型艇が待ち構えていました。艦長マックベイ三世(大佐)と乗組員は、異様な雰囲気に驚いたそうです。

北マリアナ諸島テニアン港 WEBより拝借

 

1945年7月26日:極秘物質」を無事に荷揚げした重巡インディアナポリスは、その積荷が原子爆弾であった事を知らないまま、次の任務のグワム島とレイテ島を結ぶ海域に向けて出港します。

 

1945年7月29日 23時05分:パラオ島北方250マイル近辺を極秘行動していた重巡インディアナポリスは、浮上して電波探信儀で索敵していた日本海軍の伊-58潜水艦(艦長:橋本以行少佐)に発見されてしまいます。

 

重巡インディアナポリスと伊-58潜水艦 WEBより拝借

 

1945年7月30日  00時27分:潜水艦伊-58艦長の橋本以行少佐は、重巡洋艦インディアナポリスの右舷に向けて2秒間隔で発射した魚雷6本のうち3本が命中。2番砲塔後部に命中した3本目の魚雷で弾薬庫が大爆発して300人が爆死。重巡洋艦インディアナポリスは、僅か12分後に沈没します。

 

WEBより拝借

 

1945年8月5日:重巡洋艦インディアナポリスの艦船位置表示システムが海軍規定で停止されていたので沈没海域が定まらず、五日間の悲惨な漂流をしていた580名が死亡。全乗組員1,196人のなかで救助されたのは僅か316名(生存率:26%)でした。

 

1945年11月:重巡洋艦インディアナポリスの沈没責任を追及する軍法会議(Court Martial)の結果、マクベイ三世艦長は、魚雷回避運動(ジグザグ航法)の怠慢と退艦命令の遅れを問われて有罪となり、彼の海軍生活は終ってしまいます。

 

海軍の極秘任務の際の服務規定に従って艦船位置表示システムを切っていた事によって救助が遅れた責任の所在は、軍法会議の予審でも本審でも論じられることはなかったそうです。

 

新聞記者に説明する艦長のマクベイ三世 WEBより拝借

 

1945年11月:米国海軍の軍事法廷の予審尋問に呼ばれた潜水艦伊-58艦長の橋本以行中佐(1945年9月進級)は、マクベイ元艦長が魚雷回避運動のジグザグ航法をしていたとしても、当時の位置関係からすると確実に撃沈できた。従ってマクベイ元艦長に操船の落度はなかったと証言するも、軍法会議の本審での証言は要請されませんでした。(下写真)

 

軍法会議の予審で説明する伊-58 橋本艦長 WEBより拝借

 

1968年11月6日:有罪となった元艦長のマクベイ三世は、戦死した乗員遺族からの強い非難に耐えきれずに自死。享年70歳でした。

 

1999年11月:潜水艦伊-58の元艦長の橋本以行氏は、米国の上院軍事委員会委員長宛に、元艦長のマクベイ三世の名誉回復を訴える英文メールを送信しています。

 

 I have met many of your brave men who survived the sinking of the Indianapolis. I would like to join them in urging that your national legislature clear their captain’s name. Our peoples have forgiven each other for that terrible war and its consequences. Perhaps it is time your peoples forgave Captain McVay for the humiliation of his unjust conviction.

 

要約:私は沈没したインディアナポリスから生還した勇敢な人々と共に、米国議会がマクベイ艦長の名誉を回復するようにお願いしたい。日本国民も悲惨な戦争とその結末を受け入れました。今度は米国国民が、マクベイ艦長に下された不当な有罪判決を取り消してあげる時でしょう。

 

2000年10月12日:アメリカ合衆国議会は、軍法会議の審判を誤審と断じ、マクベイ元艦長を無罪とする決議を可決。

 

2000年10月30日:クリントン米国大統領がこの決議に署名。故マクベイ三世元艦長は、55年振りに名誉回復します。

 

重巡インディアナポリスの記念碑(米国インディアナ州) WEBより拝借

 

マクベイ元艦長の名誉回復に尽力した潜水艦伊-58の橋本以行元艦長は、マクベイ三世が名誉回復した5日前の2000年10月25日に死去(享年91歳)していたのですが、きっと天国で喜んでいるだろうと思います。