2021年12月21日に膀胱癌の手術(18カ所切除)を終えてから、抗癌薬のBCG注入治療(一週間1回x6回)を終了。

 

その後は3ヶ月に1回の内視鏡検査による経過観察を続けているのですが、二日前の5月8日に受けた内視鏡検査の結果では、再燃・再発・転移の兆候は無しでした。

 

但し、膀胱内壁に赤い部分が認められるので、今後も3ヶ月に一度の内視鏡検査は継続するとのことでした。

 

5月の連休中は、千客万来は大袈裟にしても、海外を含む訪客と遠出が多くてブログを休む日が続いたのですが・・・明日から「花ブログ」を再開したいと思っています。

 

5月10日の本日は、タイ在住時代の2017年5月10日のタイ仏教の三大法会の一つである「ウイサーカブチャー」(วันวืสาขบุชา)について書いた記事を複製することにしました。手抜きですみません。

 

2017年5月14日付けの拙ブログの複製

 

タイ旧暦の満月の日となる西暦2017年5月10日は、タイ仏教の三大法会の一つである「ウィサーカブチャー วันวืสาขบุชา)です。

 

日本語のタイ観光冊子には「仏誕節」と書かれていますが・・・誤訳とは言えないまでも、完璧な翻訳とは言えないように思います。

 

なんとなれば、上座部仏教(南伝仏教)のタイ国では、釈迦牟尼(以後"釈尊")の生誕日・成道日・入滅日が重なる仏日を「ワン ・ウィサーカブチャー」(วันวืสาขบุชา)と定めているからです。当日は官公庁も民間企業も休日となります。

 

ウィサカブーチャーの吉兆花 オオバナサルスベリ 

 

大乗仏教(北伝仏教)の日本では、釈尊の降誕日=4月8日、成道日=12月8日、入滅日=3月15日と別々の日に固定されていると思うのですが・・・

 

タイの「ワン ・ウィサーカブチャー」の毎年の日付は、旧暦(太陰暦)6月の満月の日と定められている為に、太陽暦での日付は毎年変わることになります。

 

ということで本日のブログでは、タイ上座部仏教の「ワン・ウイサーカブチャー」で拝まれる釈尊の「降誕・成道・入滅」を表す仏像三態の写真を投稿することにします。

 

最初の仏像は、現在のネパール南部の「ルムピニーの森」で誕生された直後の釈尊(ガウタマ・シッダールタ)です。(下写真2枚)

 

釈尊の誕生直後の絵図  WEBより拝借

 

母親の摩耶夫人が「ルムピニーの森」で休憩中に産気づいて右脇から生誕された釈尊は、その直後に独力で七歩ほど歩いて立ち止まり、右手で天を指し、左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と宣われたとか・・・(上下写真)

 

葬式の時だけ仏教徒の僕は、「天上天下唯我独尊」(意味:この世で一番尊いのは唯一僕だけだ」と宣うなんて、随分と傍若無人な赤子だなと思ったのですが・・・

 

撮影:タイ国ソンクラーム県ジュラーマニー寺院(วัดจุฬามณื)

 

それは僕の誤訳であって、正しくは「誰にも変わることのできない人間として生まれた」と言う意味のようですね。

 

他説として、釈尊が生誕される遥か以前に存在していた「七仏陀の最初の仏陀」が誕生時に宣った言葉だとする説もあるようですが・・・いずれにしても生れ落ちた直後の赤ちゃんの仕儀とはとても思えませんね。

 

次なる仏像は、タイ国で最も多いとされる「降魔仏」です。(下写真)

 

撮影:タイ国スパンブリー県アムパワー寺(วัดอัมพวา)


降魔仏」とは、35歳の釈尊が現在のインド・ブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開く直前直後の瞬間を表現した姿と言われています。(上写真)

 

右手の指先を大地に接する姿は、「成道」(大吾)を邪魔をする妖怪魔を地下に沈めて消し去る降魔印として伝えられています。

 

下掲写真は、煩悩の炎が消えて入滅された釈尊の涅槃像です。

 

撮影:タイ国スパンブリー県プラノーン寺院  วัดพระนอน

 

35歳で成道(大吾)してから諸国を説法して行脚された釈尊は、80歳になられ時に古代マガダ国首都のラージャグリハ(王舎城)の霊鷲山から故郷のカビラバストゥに向けて最後の旅に出られます。

 

古代ラージャグリハ(王舎城)の霊鷲山頂は、ガンジス川中流域のインド・ビハール州ナーランダ県にありました。(下写真2枚)

 

撮影:ラージャグリハ(王舎城)の霊鷲山の山頂

撮影:霊鷲山の山頂で祈るインド人女性仏教徒

 

ラージャグリハの霊鷲山頂での説法を終えてから故郷のカビラバストゥに向かわれた釈尊は、その途中に立ち寄られたマツラ国のパーパで、敬虔な仏教徒が料理したスーカラ・マッダヴァ(キノコ料理?)を馳走になられた後に酷い食中毒を患って入滅、地元の仏教徒によって荼毘に付されます。(下写真) 

 

撮影:タイ国寺院 荼毘に付される釈尊の棺

 

釈尊の遺骨は、八個のストゥパーに入れられて八部族に分与されたそうですが、その後、インドのアショーカ王によって八個四千個のストゥパーに分与されて諸国に配られたそうです。(下写真)

 

インドに現存する紀元前構築のストゥーパ

 

釈尊が病臥して入滅に至るまでの時間的経緯は、涅槃像として表現されています。

 

その形態には、(例外的形態は除く)、両目の開いた姿や閉じた姿、右手の位置が後頭部や胸の前に置かれた姿、そして力なく床上に投げ出された姿があり、更に、仰向けになった2形態を含めて、九形態の涅槃像が存在します。

 

涅槃仏の追っかけをしたことのある僕は、九形態の涅槃仏を探し求めて、タイ国内の東西南北を車で駆け廻りました。

 

きっとタイ生活の良き思い出になるだろうと思っています。