原始仏教の開祖である釈迦牟尼の入滅後、釈尊を仏像(偶像)で表わすことが憚られた「無仏時代」が約500年間に亘って続くことになるのですが・・・

 

釈尊を心から敬う信徒達は、生前の釈尊を象徴する「仏舎利塔」、「仏足石」、「菩提樹」、「法輪」を造って礼拝するようになった・・・ことを前回までのブログで書いてきました。

 

釈尊を象徴する法輪を礼拝する信徒(WEBより拝借)

 

上写真は、紀元前50年-紀元前20年頃に彫られた仏舎利塔・サンチ-第1塔西門横梁の浮彫です。

 

この頃になると、釈尊を象徴する生前の行いを象徴する浮き彫りが塔門や欄楯の梁等に施されるようになりますが・・・人間の姿をした釈尊が表現されることはありませんでした。

 

仏教を保護したカニシカ一世 (WEBより拝借)

 

釈迦牟尼が人間の姿をした最初の単体仏像(ガンダーラの仏像)として出現するのは、クシャーナ朝四代目のカニシカ一世の時代(紀元後1世紀後半から2世紀頃)まで待つことになる・・・ことは承知していたつもりだったのですが・・・

 

釈迦牟尼(仏陀)が人間の姿で登場する「祇園布施」の仏伝図浮彫が紀元一世紀中頃にガンダーラ地方で出土されている事実を知って吃驚しました。(下写真)


仏伝図浮彫・祇園布施(カラチ博物館) WEBより拝借

 

上写真の「祇園布施」の左端には、阿羅漢(弟子)のアーナンダ(阿難)一人を従えた釈迦牟尼(仏陀)が右手を胸前に挙げて、信徒4人からの布施の申し出を受けている姿が表現されています。(上写真)


仏伝図浮彫・菩提座の準備 (英国個人蔵) WEBより拝借

 

上写真は、「菩提座の準備」として知られる仏伝図浮彫ですが、中央に位置する釈迦牟尼(仏陀)だけが際だって大きく表現されています。

 

釈迦牟尼(仏陀)を人間の姿として捉えつつも、普通の人間とは明らかに異なる畏敬の存在と信じた当時の仏教徒の気持ちがストレートに現われているように見えます。

 

民衆の中に偉大なる聖人として登場した釈迦牟尼(仏陀)ですが・・・最初の単独仏像として登場することになる紀元120~130年の時代がヒタヒタと迫って来ます。

 

ここまで書いたところで、都下の市役所広場で行われる三回目のコロナ接種の時間が迫ってきました。

 

続きは次回としたいと思います。