先週と今週にかけて、千葉県山武郡芝山町と山梨県笛吹市の博物館を訪れて、縄文時代の埴輪や土器を見学しました。

 

コロナ禍を警戒して電車を避けて自家用車で訪れたのですが、博物館内は閑散としていて、コロナを気にすることなく、存分に古に思いを巡らせることが出来ました。

 

異彩を放つ人物埴輪(レプリカ)

 

博物館には、大量の縄文時代の発掘物が展示されていましたが、本日は、その中で異彩をはなっていた人物埴輪(上写真)について触れてみたいと思います。

 

倭人を模した埴輪(レプリカ)

 

上写真は、僕がイメージしていた通りの縄文時代の人物埴輪ですが・・・

 

衝撃の姿形をした異相の人物埴輪と比較すると、同時代に同一場所で一緒に生活していた人とは思えない程の違いがあります。

 

縄文時代後期の外国人の埴輪

 

これから先は、上掲写真の異相の人物埴輪の数々に焦点を絞って進めることにします。

 

縄文時代後期の外国人の埴輪

 

ユダヤ人を思わせる縄文時代後期の埴輪

 

上掲複数写真のトンガリ帽子、立派な長い顎髭、豊かな長いもみあげ、背高の身体は、僕が今まで見慣れた縄文時代の人物埴輪(下写真)とは明らかに違うのが判ります。

 

縄文時代後期の倭人らしき埴輪

 

際だった容姿の人物埴輪を形象学・遺伝子学・文献学の観点から研究している考古学者によると・・・

 

これらの異相の埴輪は、古墳時代後期の日本列島に新たな文化をもたらした渡来人・コーカソイド (Caucasoid)の混成集団の中にいた「ユダヤ人」を模した可能性が極めて高い・・・のだそうです。

 

長いもみあげと顎髭はユダヤ人?

 

紀元前930年頃、イスラエルは北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した・・・と教わったことを朧気ながら思い出しました。

 

顔つきも倭人と違う人物埴輪

 

その後、北のイスラエル王国は紀元前722年頃にアッシリア帝国に征服されたために、多くの人がアジアを含む東方の場所へと離散していったらしいのですが・・・

 

別の書籍を読むと、それ以前からユダヤ人の世界各地への離散が始まっていたとの研究もありました。

 

ユダヤの老人

 

そっくりだと思いませんか? (WEBより拝借)

 

今に伝わる日本の古代神話の中に、ギリシャ神話との共通性があると言われますが、縄文時代後期にユダヤ人を含む大量の渡来集団・コーカソイド (Caucasoid)が日本列島にやってきた事と繋がっているのかもしれませんね。

 


ユダヤ人の若者?

 

ユダヤ人を含むコーカソイド (Caucasoid)は、日本列島に渡来する前には、当時肥沃だった中央アジアの地に、約800年に亘って住んでいたとの説もありますね。

 

鼻高の彼女もコーカソイドの1人?

 

ところが、紀元前2世紀から紀元2世紀頃のころの地球規模の気候変動(乾燥化)を嫌った十部族の一部が更に東方の地へ向かって旅立ったと言うのです。

 

彼らの一部は、中国南部(漢時代の河南省)の開封に定着して独自の伝統と習慣を保持していたそうですが、中国人は彼らのことを「開封のユダヤ人」と呼んでいたそうです。

 

彼もコーカソイドの1人なのでしょうか?

 

その後は、漢民族、回族、満州族、ミャオ族などとの結婚による同化が進んだために、中国開封のユダヤ民族は、東洋人的な風貌に変わっていったのだそうです。今もその子孫が500人前後生存しているようですね。

 

中国ではなく、ペルシャやキルギス方面に移住していたユダヤ民族も、当地のモンゴロイド系民族との結婚を重ねることにより、いつしかモンゴロイド的な容貌に変化していったとする考証が為されているようです。

 

馬埴輪とユダヤ人?

 

日本の房総半島に定借したユダヤ民族もまた、太陽を崇拝し、馬に乗り、鉄器を使って開墾し、稲を栽培する術を伝授するなどして、やがて倭人世界に同化していったのではないでしょうか。(上写真)

 

勉強不足ではありますが、遙かなる古代から現代に繋がる悠久の世界にひたる事の出来たひとときでありました。