古い町並みの社寺の境内の片隅に残る道祖神と庚申塚(塔)を求めて歩き回りました。その昔は古道の路傍で、村人や旅人を優しく見守っていたのでしょうが、その後の時代の波に追われて、今は社寺境内の隅っこに移されてひっそりと生き永らえています。
ブラブラ歩きで見た道祖神と庚申塚(塔)には、興味をそそられるものが少なくないのですが、その中でも印象に残ったのは、板状石に刻まれた居眠りポーズの石仏(下写真)でした。 右膝を立てて右掌を頬にあてる『思惟手』(しゅいしゅ)の印相から想像すると、『如意輪観音』のようにも思えるのですが、石塊のどこを捜しても仏名を示す文字は見当たりません。
右膝を立てて右掌で頬杖をつく石仏
『如意輪観音』とは、思うままに福徳をもたらす『宝殊』と煩悩を打ち砕く『法輪』を持ち、多くの衆の要望に即応できる『六つの手』を持つ観音菩薩だそうですが・・・此の石仏には『法殊も法輪も六本の手』もありません。
比較的小サイズの『珠と輪』は風雨に晒されて消えてしまった可能性も考えられますが、六手の内の四手だけが自然現象によって消失するなんてあまりにも理不尽です・・・・と言う事は・・・この石仏は、真の如意輪観音を刻む腕前のない未熟な石工が刻んだ似非観音なのでしょうか?
疑問はまだ続きます。 此の石仏は庚申塚(塔)なのでしょうか? それとも道祖神なのでしょうか? はたまた、名もなき路傍の石仏の一つに過ぎないのでしょうか?
間違った解釈かもしれませんが、『道祖神』とは、“その昔の旅人や村人の安全を守り、子孫繁栄や夫婦和合を念じる古き良き時代の日本の路傍の神”であり、『庚申塚』とは、“中国伝来の庚申信仰から変化した江戸時代の神仏習合”、つまり、仏教(密教)、神道、修験道、呪術、土地神などが絡み合った日本独特のハイブリット信仰によって造られた石塚(塔)・・・・と言うのが僕の勝手な認識レベルです。
僕の思いから推測すると、神奈川県茅ヶ崎の旧鎌倉街道近くの社寺境内で出会ったアンニュイな石仏は、その昔の旅人や村人を守った路傍の神の『道祖神』だったのでは?・・・との勝手な思いを強くしている今日この頃であります。