今日のブログ予定稿は、神風特攻隊員の第一号としてフィリピン東沖で散った関行男海軍中佐の話のつもりでしたが、なんとなく気分が沈んでタイプする指先の運びが思わしくないために、四日の日曜日に眺めた花の中から『沙羅の花』をご紹介する事にしました。勝手な変更で申し訳ありません。

 

久しぶりに花を眺めたくなって、バンコク都心から外に出かけてみました。残念ながら、乾季(寒季)なので、開花は少なく、咲き方も色艶が弱くて小ぶりな花が大半だったのですが・・・それでも久しぶりに接した自然の空気を満喫することが出来ました。

 

久しぶりに見た沙羅の花弁と蕾

 

沙羅の花を見た時、貴方は何を思い浮かべますか?

敬虔な仏教徒のタイ人ならば、釈迦牟尼が入滅の直前に沙羅双樹の下で説かれたパーリ語のお詞と沙羅の花を思い浮かべて合掌し、いつにもまして真摯に読経するのではないでしょうか。

 

涅槃経  (sabbe sankhara anicca)

anicca vata sa◻khara   (諸行無常)

uppadavayadhammino   (是生滅法)  

 uppajjitva nirujjhanti    (生滅滅已 ) 

tesa◻vupasamo sukho   (寂滅為楽)

 

頭を枕、右手を床上・入滅直後の釈迦牟尼

 

多くの日本人は、僕もそうなのですが、中学校時代に歴史か国語の授業で教わった平家物語の冒頭に出て来る無常観あふれる詞を思い出されるのではないでしょうか。

 

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす、おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし、猛き者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ

 

沙羅花と棘の多い太枝木になる砲丸果実

 

最近の僕は、もう一つ別の詞を思う浮かべます。それは小学校高学年の頃に教わった『いろは歌』なのですが、子供心に御神歌のような独特の節回しが面白くて、よく口ずさんでいました。 

 

この詞もまた、仏教の根本思想である『諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽』を表していると知ったのは、お粗末ながら随分と齢いを重ねてからでした。

 

見るからに南国の花らしい沙羅の花

 

以前のブログでも書いた事がありますが、釈迦牟尼が降誕された時と入滅された時、(タイでは、両方とも陰暦六月の満月の日)、その傍らで見守るように咲いていたのが沙羅双樹の花だったそうです。

 

経典によりますと、80歳の釈迦牟尼がインド北東のクシナガルで入滅された時、頭と足の傍らの沙羅双樹の花蕾が一斉に白く咲き揃い、釈迦牟尼の亡骸を飾るかのように舞散って降りそそいだとあります。

 

一度見たら忘れられない沙羅の花

 

日本の気候では、南国のサガリバナ科・ホウガンボク属の沙羅の木は育たないことから、当時の日本仏教界は、経典の『白い花』の記述から、ツバキ科・ツバキ属の夏椿を沙羅の花と定めたようですね。

 

しかし、タイで多く見る沙羅の木の花(トン・サ-ラ・ランカー)は、御覧の通り、誰がどう見ても『白花』には見えません。

 

古のタイには、トン・サ-ラ・インディア(意味:インドを原産地とする沙羅木)とトン・サ-ラ・ランカー(意味:スリランカを原産地とする沙羅木)の聖木を彼方此方で見ることが出来たそうです。しかし現在、トン・サ-ラ・インディアは、殆ど生滅して見ることが出来なくなりました。

砲丸果実を付けた沙羅の高木(15m~20m)

和名:砲丸木、英名:Canon ball、タイ名:サ-ラ・ランカー

 

ひょっとすると、生滅したインド原産の沙羅の花が『白色』だった可能性もある訳ですが・・・・・植物好きのタイ人ブログを読むと、『トン・サ-ラ・ランカ-=トン・サ-ラ・インディア』とする記述が大勢を占めていて、僕の念願である白花説の確認を得る情報がありません。

 

あれから何年も経過したと言うのに、沙羅の白花説に関しては、何も確認出来ないまま現在に至っています。日本に本帰国するであろう数年後までには、なんとかして結論を得たいのですが・・・・どうなりますことやら・・・・