巨大な涅槃仏が完成したらしいと伝え聞くバンコク隣県の寺院を訪れて、その新涅槃仏の記事を投稿するつもりだったのですが、重く垂れ込める雨雲に恐れ慄いて、遠出する気持ちがすっかり失せてしまいました。

 

その代わりの穴埋め記事として、数年前にバンコクの寺院境内で見つけた青黒色の六手観音像をご紹介することにします。

 

日本にも読み方の難しい寺院名がありますが、タイの寺院にも長くて読み難い名前が少なくありません。当該寺院名の ว้ดปทุมวนารามราชวรวิหาน は、『ワット・パトムワナーラームラーチャウオラウイハーン』と読むのだろうと思いますが、 僕は勝手に『パトム寺院』と省略して呼んでいます。

 

                      パトム寺院の青黒色の六手観音自在菩薩

 

寺院境内の僕の立ち寄り先は、本堂や礼拝堂に鎮座ましますタイ上座部仏教の釈迦如来像ではなく、簡素な屋根はあるものの、周囲を取り巻く壁もない吹き晒しの一隅に鎮座まします大乗仏教の六手観音自在菩薩です

 

タイ上座部仏教の御本尊の95%以上は釈迦如来仏です。従って、大乗仏教の日本の寺院で見かける大日如来、阿弥陀如来、観音自在菩薩等などの仏像にお目に掛かることは滅多にありません。

 

『パトム寺院』のタイ語説明を見ると、此の観音自在菩薩は、タイ上座仏教(南伝仏教)の仏像ではなく、中国から朝鮮半島を経由して伝わった北伝仏教、つまり『大乗仏教の観音自在菩薩』(พระโพธิสัตว์อรโลกิเตศวร)である旨、親切丁寧に記されています。

 

                    青黒色の六手観音自在菩薩像の御顔

 

数年前に、インドのエローラ石窟群を旅行した時、其処の遺跡から観音菩薩像が発掘されたとの記述に触れたことを思い出しました。観音菩薩の起源は、中国よりも更に古い歴史を持つインドまで遡る可能性が大きいようです。

 

観音菩薩は、『一切の衆生の一切の願いを聞き入れる』ために、三十三変化身となって現れるのだとか。三十三変化身の姿形を知るには、四国三十三所観音霊場を歩けば分かるのでしょうが・・・信心の薄い僕には遠い話のようです。

 

パトム寺院境内の『観音自在菩薩』は、千手観音ではなく、六手観音です。『千手』とは、衆生の誰一人として漏らすことなく救うと言う強い意志の表現だろうと推測していたのですが、『六手』は何を意味するのでしょうか? まさか修行不足の新人の観音様ってことはないですよね?

 

或る方の説明によると、当初は、衆生を救う強い意志を込めて千手観音像が造られたようですが、後世になると、千手を塑像する製法技術の問題とデザイン的おさまりの難しさから、千手と同じ意味合いの四十手観音像や六手観音像が作られるようになったらしい・・とありました。

 

                 青黒色の六手観音自在菩薩像の左斜め顔

 

悟りを得て仏陀(如来)となった釈迦牟尼は、一切の装飾品を身に付けず、薄布切れの法衣だけを纏われていますが、如来になるために修行中の観音菩薩、弥勒菩薩、虚空蔵菩薩、文殊菩薩等々は、(地蔵菩薩を除けば)、純金細工の装飾品を身に纏っています。此の貴族的スタイルの菩薩像の起源は、妻子持ちの釈迦牟尼がシャーキ族の王家の王子だった当時の姿を模していると伝えられています。

 

六手観音菩薩の性別は、青黒色の精悍な身体からして男性だろうと思うのですが、微笑みの浮かぶ柔和なお顔を拝見していると、えも言われぬ女性の美しさが漂っていることに気付かされます。

 

観音経に『婦女身得度者 即現婦女身而為説法』との一節があります。つまり、女性信者には、女性に変身して説法されたようですので、然もありなんと、独り合点しています。

 

タイ・スコータイ時代(13世紀)に創造された『遊行仏』は、悟りを得て仏陀となった釈迦牟尼が、最初の説法に出かけるために半歩踏み出した瞬間の動作を切り取って表現したものだと伝えられています。

 

 

                    スコータイ王朝時代に想像された釈迦牟尼の遊行仏

 

酒友で旅友でもある友人のK氏が、スコータイで『遊行仏』の姿態を観た時、『釈迦は女性だったのか』と独り呟いた感受性に、新鮮な感動を受けたことを今でも覚えています。

 

僕がパトム寺院の青黒色の六手観音に興味を覚えるのは、えも言われぬ女性的微笑みを浮かべる変化身の表情にあるのだろうと思います。