バンコク都心からチャオプラヤー川を越えてトンブリー・バンコクヤイ運河奥の3ヶ所の寺院巡りをして来ました。何れの寺院にも涅槃仏が安置されていることは事前調査済なのですが、此の日の僕の最大目的は、Wat Rachakhru Worawihan(寺院)に安置されている荼毘に臥される直前の仰臥した『究極の涅槃仏』(9形態目の涅槃仏)を観ることです。

涅槃仏には9種類の姿形があり、1形態目から7形態目は右脇臥の涅槃仏。 8形態目から9形態目が仰臥した涅槃仏ですが、8形態目の両手をお腹の上に重ねて仰臥した涅槃仏は、既に僕自身の足と目で確認済です。

しかし、9形態目の涅槃仏は、日本の高野山金剛峯寺の涅槃絵図の複写を見た事はありますが、彫塑された涅槃仏となると、今まで一度もお目に掛かったことがありません。


高野山金剛峯寺の涅槃絵図 (平安後期の絵図だそうです)

正調・涅槃仏には9形態があり、第1形態目から第6形態目は、釈迦牟尼の存命中の姿形であり、7形態目から9形態目は、釈迦牟尼が入滅(死去)された後の姿形であることは再三再四触れてまいりました。

タイ語では、入滅した後の7形態目~9形態の涅槃仏の共通の呼称として、พระพุทธปางเสด็จดับขันธปรินิพพาน(Phraphutha pang sadet dapkhan parinippan) と言う尊名が付けられています。共通呼称の中にある ปรินิพพาน(parinippan)は、釈迦牟尼と阿羅漢の死だけを意味する仏教語と聞き及びます。

7形態~9形態のそぞれの区別は、語尾に付帯された ปางที่ ๑(姿-1)、ปางที่ ๒(姿ー2)、 ปางที่ ๓(姿-3)として表現されています。


7形態目 ปางเสด็จดับขันธปรินิพพาน (ปางที่ ๑)・・・入滅直後の右脇臥の涅槃仏
8形態目 ปางเสด็จดับขันธปรินิพพาน (ปางที่ ๒)・・・弔問を受ける仰臥の涅槃仏
9形態目 ปางเสด็จดับขันธปรินิพพาน (ปางที่ ๓)・・・荼毘に付される直前の仰臥の涅槃仏


此の日に訪問した3寺院の内、第9形態目の涅槃仏が安置されているのは、วัดราชคฤวรวิหาร Wat Rachakhru Worawihan だけです。

他の2寺院の涅槃仏の姿形は、タイの涅槃仏の殆どを占める ปางโปรดอสุรินทราหู 、つまり、世界の夜叉王を統括する阿修羅の副王に慈悲を与える釈迦牟尼の姿形です。有名なワット・ポー寺院の涅槃仏と同じスタイルですね。


幼少の頃の僕は、大好物は最後に食べるような性格だったようですが、老い先の短くなった今の僕にそんな余裕はありません。いの一番に9形態目の涅槃仏を安置する下欄①のWat Rachakhru Worawihanを訪れました。

備忘録:僕の訪問した3寺院名と安置されている涅槃仏の形態 
①วัดราชคฤวรวิหาร Wat Rachakhru Worawihan, ปางเสด็จดับขันธปรินิพพาน (ปางที่ ๓)
②วัดนางชี Wat Nangchi, ปางโปรดอสุรินทราหู・・・・工事中により撮影不可
③วัดราชโอรสารามราชวรวิหาร Wat Racha Orasaram Rachaworarihan, ปางโปรดอสุรินทราหู



ปางเสด็จดับขันธปรินิพพาน (ปางที่ ๓) วัดราชคฤวรวิหาร 
Wat Rachakhue Worawihan に安置されていた荼毘に付される直前の究極の涅槃仏


9形態目の涅槃仏が仰臥される部屋に入ると、釈迦牟尼が最も信頼していた直弟子の頭陀第一の พระมหากัสสปะ Phura Mahakassapa が釈牟尼の足元に座して荼毘に付する直前の祈りを捧げているところでした。頭陀第一の Phura Mahakassapaの存在は知っていましたが、彫像を拝観したのは初めてです!


พระมหากัสสปะยืนถวายบังคมอยู่เบื้องพระบาท
釈迦牟尼の足元で、荼毘に付する直前の祈りを捧げる頭陀第一の Phura Mahakassapa

ところが、悲しいかな、肝心の涅槃仏の全身は黄色い布で覆われていて、最大の特徴である両脇に伸びている筈の左右の腕の状態を確認することが出来ません。

無宗教で仏像だけに興味のある罰当たりな僕の勝手な思いであることは重々分かっているのですが・・・それでも、仏像の細部を隅々まで観たい僕としては、まことに残念至極であります。




諦めきれずに、釈迦牟尼の頭の位置に回り込み、肩の隙間から覗き込むのですが・・・ご丁寧にも二枚の布できっちりと被われていて、内部を覗き見る隙間すらもありません。

いくら宗教心の乏しい僕であっても、黄布を捲って覗き見るような不埒なことは出来ません。タイの敬虔な仏教信者の行う黄色い掛け布の寄進行為を恨めしく思いながらも、心を平静にして合掌させて戴きました。



涅槃の世界に入られた釈迦牟尼のやすらかな横顔

涅槃堂内の椅子に腰掛けて、初めてお目に掛かった9形態目の涅槃仏をしげしげと見入っていると、一組の観光客らしい老夫婦が入って来られました。

何気なく白髪老女の手元の古びた冊子の開かれた頁を見遣ると・・・あらら! 此の涅槃仏の写真が掲載されているではありませんか。しかも黄布が被されていない本来の姿形です。 丁重にお願いしてその頁の写真を撮らして頂きました。



老女が持参されていた冊子に掲載されていた第9形態目の涅槃仏の写真

老女持参の写真と僕の持参した第9形態目の涅槃仏のタイ語解説文(下記)を見比べても、目の前の仰臥仏が第9形態目の究極の涅槃仏であることに相違ありません。

変化点と言えば、足元に跪いて祈りを捧げる釈迦牟尼の頭陀第一の直弟子だった พระมหากัสสปะ Phura Mahakassapa の姿形が、現在は漆黒の像になっているのですが、その昔は涅槃仏と同じように金箔が貼り付けられていたことくらいでしょうか。


(下記は僕の備忘録ですのですっ飛ばしてください)
ปางเสด็จดับขันธปรินิพพาน (ปางที่ 3) ・・・9形態目の涅槃仏の特徴
พระพุทธรูปปางนี้แสดงอิริยาบถประทับนอนหงาย พระองค์ทอดยาว พระบาทเหยียดขนาบกันทั้งสองข้าง พระหัตถ์วางทาบยาวขนาบพระวรกาย (両手は体を挟んで伸びいている)พระมหากัสสปะยืนถวายบังคมอยู่เบื้องพระบาท(頭陀第一の直弟子が釈迦牟尼お足元で祈りを捧げている) เพื่อรำลึกถึงพุทธประวัติเมื่อครั้งงานถวายพระเพลิงพระบรมศพ ซึ่งเพลิงไม่ลุกไหม้ต่อเมื่อพระมหากัสสปะ พระเถระผู้ใหญ่เดินทางมาถึง เพลิงก็ลุกไหม้เป็นที่อัศจรรย์

白髪の老女に僕の感謝の気持ちを縷縷申し上げると、彼女も自分の事のように喜びを表しながらも、唐突な質問が戻ってきました。

『ところで、貴方のお顔は随分とお若く見えるけれども、頭髪は私と同じ総白髪ね。お歳は幾つなの?』

唐突な質問とは言っても、此処タイでは、日本と違って、初対面の相手から年齢を訊ねられる事は決して珍しいことではありません。正直に答えると・・・

『あら嘘でしょ!私と同じじゃないの!日本人って若く見えるのね!羨ましい!』と言われてしまいました。

正直に言いますと、彼女は僕よりも十才くらい年上だろうと思っていたのですが、その気持ちをぐっと飲み込んで、あらためて同年としてのエール交換をさせて頂きました。

此の日は随分と佳き日でありました。