≪6月21日付 ③ポーツマス港 =東郷平八郎の留学先を探す=の続きです≫
当時中学1年生(13歳)だった僕は、英国に関する歴史知識は皆無に等しかったのですが、トラファルガー海戦(1805年10月21日=江戸・文化2年)の英国の旗艦・ヴィクトリー号に座乗したネルソン提督(提督)の存在については、故郷の県立図書館で読んだ歴史本である程度のことは知っていました。
とは言っても、トラファルガー海戦の歴史的意味合いに興味を抱いていたわけではなく、ナポレオン麾下のフランスとスペインの連合艦隊(33隻)を相手に、英国海軍の旗艦ヴィクトリー号を操るネルソン提督の勇猛果敢な活躍に小さな胸を躍らせていただけだったような気がします

左:世界三大提督の1人・英国王室海軍のネルソン提督(1758年生-1805年戦死)
右:トラファルガー海戦でネルソンが座乗した英国海軍の旗艦ヴィクトリー号(ポーツマス港で撮影)
特に、モールス符号も発明されていなかった時代に、ネルソン提督が国際海上信号旗
(international maritime signal flags)を利用して味方の艦隊(27隻)を鼓舞した有名な文言(下記)の伝達システムに強い驚きと不思議な思いを抱いていたことを覚えています。
『 England expects that every man will do his duty 』
“ 英国は各員がその義務を尽くすことを期待する ”
此の文言を示す旗旒信号(flag Signalling)、つまり、信号開始と信号終了の旗各1枚を含む合計14セット33枚の信号旗(参照:下図)が旗艦ヴィクトリー号の中央マストに翩翻と翻ったそうです。 当時の海戦記録絵画を見ると、信号旗の枚数が多かったことから連続
12回に分けて順次掲揚したことが見て取れます。

『 England expects that every man will do his duty 』 を伝える信号旗 (ウイキペディアより拝借)
上記には起信旗(1枚)と終信旗(1枚)は含まれていません。
それにしても、33枚もの信号旗を12回に分けて連続掲揚するのですから、その旗旒信号の意味する文言を迅速正確に読み取らなければならないネルソン提督麾下の艦隊(27隻)の通信将校は大変だったことでしょう。
若かりし頃、東郷さんや服部潜蔵さんの後輩になるべく英国ウースター商船学校(日本語呼称)へ留学する妄想を抱いて果たせなかった僕ですが、日本の学校で航海術の教育を受ける傍ら、国際&和文モールス符号、国際&和文の手旗信号、国際信号旗による旗旒信号の訓練を受けた僕は、悪条件の重なる洋上で信号を解読する難しさを自分なりに想像することができます。
トラファルガー海戦(1805年)から約70年後の1873年(明治6年)に英国ウースター商船学校(注)に入学した東郷さんも、ネルソン提督が麾下の艦隊(27隻)に発した旗旒信号の事は当然としても、国際信号旗の発信と解読について徹底的に教え込まれたに違いありません。
後年のロシアとの日本海海戦(1905年)に於いて、東郷提督の座乗する旗艦・三笠艦上に翻った信号旗(Z旗)に託された文言(下記)は、多くの日本国民によって今の世でも語り継がれていますね。

左:日本海軍連合艦隊司令長官 東郷平八郎 元帥海軍大将
右:東郷平八郎海軍大将が座乗した日本海軍連合艦隊旗艦の三笠
司馬遼太郎氏の 『 坂の上の雲 』 (運命の海) に次のような一節があります。
秋山真之・・・・・先刻の(Z旗)信号整へり。 直ちに掲揚すべきか?
東郷平八郎・・・・黙って頷く東郷
秋山真之・・・・・信号長へ素早く合図を送る秋山
やがて、信号手によって、四色からなるZ旗が飄風のなかに舞い上がる。
『 皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ 』
The destiny of our empire depends upon this action.
You are all expected to do your utmost.
この有名な名文は、連合艦隊参謀の秋山真之の作だとされていますが、この文言の趣旨の発案者は、ネルソン提督の文言を英国ウースター商船学校で学んだ東郷平八郎に違いないと僕は思っています。

第一列中央:東郷平八郎連合艦隊司令長官、第一列右端:連合艦隊参謀・秋山真之
ネルソンの文言 『 英国は各員がその義務を果たすことを期待する 』
England expects that every man will do his duty
東郷提督の文言 『 皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ 』
The destiny of our empire depends upon this action.
You are all expected to do your utmost.
東郷平八郎の文言の半分は、明らかにネルソン提督の文言に倣って日本語的表現に置き換えたものだと思いますが・・・だからと言って、東郷さんがネルソン提督の遣り方をそのまま踏襲したわけでは決してありません。其処には時代の変遷による技術の進歩がありました。
東郷さんが麾下の艦隊に上記の文言を伝達するためにマストに掲揚した国際信号旗は、僅か一枚の 『 Z旗 』 だけだったのです。ネルソン提督が14セット33枚の国際信号旗を12回にも分けて順次掲揚したのに比べると、実にシンプル且つユニークですね!

旗艦の三笠に翩翻と翻る1枚のZ旗(写真左上)と東郷連合艦隊司令長官(中央)
国際信号旗の意味を定めた国際信号書(International Code of Signals)によると、『 Z旗 』 の一枚の意味は、『 本船(艦)は曳き船を望む 』 、『 本漁船は投網中である 』 の二つの意味しか設定してありません。
国際信号書の何処を探しても、『 皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ 』 と言う意味は全く存在しないのです。
しかし、東郷さんは、誰からも勝ち目が全く無いと言われた大国ロシアとの海上決戦に際して、此の海戦に敗れると日本国は消失してしまうと考えて、国際旗旒信号のアルファベットの最後の文字となる 『 Z旗 』 に 『 不退転の決意 』 を込めて掲揚することを命じたのだろうと思います。
但し、先述したように、この当時の国際信号書の 『 Z旗 』 に勝利祈願の意味は設定して無いのですから、東郷さんが此の旗に託した文言は、日本海軍が事前に態々設定した暗号の類だったのではないでしょうか?
秋山真之参謀が東郷さんに問い質した・・『 先刻の(Z旗)信号整へり。 直ちに掲揚すべきか? 』 は、事前に打ち合わせ済みの暗号旗の掲揚の最終確認だったのだと思います。
日本海戦の時代(1905年)は、電信によるモールス符号(1844年送信実験成功)の普及も進んでいたと思われますから、 『 Z旗 』 掲揚と同時に東郷提督麾下の全艦船に 『 皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ 』 のモールス符号が一斉に打電されたに違いありません。当然のことながら、肉眼や双眼鏡によって視認できる範囲では、日本海軍式の手旗信号(1883年考案)も併用されたと思われます。
それ以降、旧日本帝国海軍は、乾坤一擲となる海戦となると、勝利の祈願を込めて
『 Z旗 』を掲揚するのが慣例となります。
真珠湾攻撃へ向かった第一航空艦隊の旗艦・赤城(航空母艦)のマストには 『 Z旗 』 は翻るがえっていなかったと言う人がいますが、『 Z旗 』と全く同じ意味を持つ 『 D旗+G旗 』 の組み合わせ信号旗が掲揚されていたそうです。
国際信号旗としての 『 Z旗 』 には、現在も前述した2つの意味(曳き船を望むと魚網を投網中)しかありませんが、世界の海戦史においては、艦隊を鼓舞する特別の旗として広く認知されているようです。
無線電信(モルース符号)も海上用手旗信号も考案されていなかった時代のネルソン提督は、艦隊の士気を鼓舞するのに、合計14セット33枚の信号旗を必要としましたが、それから100年後の日本海戦でネルソン提督に倣った東郷平八郎提督は、通信手段の飛躍的進歩に援けられて 『 Z旗 』 一枚で艦隊の士気を鼓舞できたと言うわけです。
しかしながら、今から将来にかけて、海戦の勝利を祈願する 『 Z旗 』 が二度と翻らないこと祈りたいと思います。
当時中学1年生(13歳)だった僕は、英国に関する歴史知識は皆無に等しかったのですが、トラファルガー海戦(1805年10月21日=江戸・文化2年)の英国の旗艦・ヴィクトリー号に座乗したネルソン提督(提督)の存在については、故郷の県立図書館で読んだ歴史本である程度のことは知っていました。
とは言っても、トラファルガー海戦の歴史的意味合いに興味を抱いていたわけではなく、ナポレオン麾下のフランスとスペインの連合艦隊(33隻)を相手に、英国海軍の旗艦ヴィクトリー号を操るネルソン提督の勇猛果敢な活躍に小さな胸を躍らせていただけだったような気がします


左:世界三大提督の1人・英国王室海軍のネルソン提督(1758年生-1805年戦死)
右:トラファルガー海戦でネルソンが座乗した英国海軍の旗艦ヴィクトリー号(ポーツマス港で撮影)
特に、モールス符号も発明されていなかった時代に、ネルソン提督が国際海上信号旗
(international maritime signal flags)を利用して味方の艦隊(27隻)を鼓舞した有名な文言(下記)の伝達システムに強い驚きと不思議な思いを抱いていたことを覚えています。
『 England expects that every man will do his duty 』
“ 英国は各員がその義務を尽くすことを期待する ”
此の文言を示す旗旒信号(flag Signalling)、つまり、信号開始と信号終了の旗各1枚を含む合計14セット33枚の信号旗(参照:下図)が旗艦ヴィクトリー号の中央マストに翩翻と翻ったそうです。 当時の海戦記録絵画を見ると、信号旗の枚数が多かったことから連続
12回に分けて順次掲揚したことが見て取れます。

『 England expects that every man will do his duty 』 を伝える信号旗 (ウイキペディアより拝借)
上記には起信旗(1枚)と終信旗(1枚)は含まれていません。
それにしても、33枚もの信号旗を12回に分けて連続掲揚するのですから、その旗旒信号の意味する文言を迅速正確に読み取らなければならないネルソン提督麾下の艦隊(27隻)の通信将校は大変だったことでしょう。
若かりし頃、東郷さんや服部潜蔵さんの後輩になるべく英国ウースター商船学校(日本語呼称)へ留学する妄想を抱いて果たせなかった僕ですが、日本の学校で航海術の教育を受ける傍ら、国際&和文モールス符号、国際&和文の手旗信号、国際信号旗による旗旒信号の訓練を受けた僕は、悪条件の重なる洋上で信号を解読する難しさを自分なりに想像することができます。
トラファルガー海戦(1805年)から約70年後の1873年(明治6年)に英国ウースター商船学校(注)に入学した東郷さんも、ネルソン提督が麾下の艦隊(27隻)に発した旗旒信号の事は当然としても、国際信号旗の発信と解読について徹底的に教え込まれたに違いありません。
後年のロシアとの日本海海戦(1905年)に於いて、東郷提督の座乗する旗艦・三笠艦上に翻った信号旗(Z旗)に託された文言(下記)は、多くの日本国民によって今の世でも語り継がれていますね。


左:日本海軍連合艦隊司令長官 東郷平八郎 元帥海軍大将
右:東郷平八郎海軍大将が座乗した日本海軍連合艦隊旗艦の三笠
司馬遼太郎氏の 『 坂の上の雲 』 (運命の海) に次のような一節があります。
秋山真之・・・・・先刻の(Z旗)信号整へり。 直ちに掲揚すべきか?
東郷平八郎・・・・黙って頷く東郷
秋山真之・・・・・信号長へ素早く合図を送る秋山
やがて、信号手によって、四色からなるZ旗が飄風のなかに舞い上がる。
『 皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ 』
The destiny of our empire depends upon this action.
You are all expected to do your utmost.
この有名な名文は、連合艦隊参謀の秋山真之の作だとされていますが、この文言の趣旨の発案者は、ネルソン提督の文言を英国ウースター商船学校で学んだ東郷平八郎に違いないと僕は思っています。

第一列中央:東郷平八郎連合艦隊司令長官、第一列右端:連合艦隊参謀・秋山真之
ネルソンの文言 『 英国は各員がその義務を果たすことを期待する 』
England expects that every man will do his duty
東郷提督の文言 『 皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ 』
The destiny of our empire depends upon this action.
You are all expected to do your utmost.
東郷平八郎の文言の半分は、明らかにネルソン提督の文言に倣って日本語的表現に置き換えたものだと思いますが・・・だからと言って、東郷さんがネルソン提督の遣り方をそのまま踏襲したわけでは決してありません。其処には時代の変遷による技術の進歩がありました。
東郷さんが麾下の艦隊に上記の文言を伝達するためにマストに掲揚した国際信号旗は、僅か一枚の 『 Z旗 』 だけだったのです。ネルソン提督が14セット33枚の国際信号旗を12回にも分けて順次掲揚したのに比べると、実にシンプル且つユニークですね!

旗艦の三笠に翩翻と翻る1枚のZ旗(写真左上)と東郷連合艦隊司令長官(中央)
国際信号旗の意味を定めた国際信号書(International Code of Signals)によると、『 Z旗 』 の一枚の意味は、『 本船(艦)は曳き船を望む 』 、『 本漁船は投網中である 』 の二つの意味しか設定してありません。
国際信号書の何処を探しても、『 皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ 』 と言う意味は全く存在しないのです。
しかし、東郷さんは、誰からも勝ち目が全く無いと言われた大国ロシアとの海上決戦に際して、此の海戦に敗れると日本国は消失してしまうと考えて、国際旗旒信号のアルファベットの最後の文字となる 『 Z旗 』 に 『 不退転の決意 』 を込めて掲揚することを命じたのだろうと思います。
但し、先述したように、この当時の国際信号書の 『 Z旗 』 に勝利祈願の意味は設定して無いのですから、東郷さんが此の旗に託した文言は、日本海軍が事前に態々設定した暗号の類だったのではないでしょうか?
秋山真之参謀が東郷さんに問い質した・・『 先刻の(Z旗)信号整へり。 直ちに掲揚すべきか? 』 は、事前に打ち合わせ済みの暗号旗の掲揚の最終確認だったのだと思います。
日本海戦の時代(1905年)は、電信によるモールス符号(1844年送信実験成功)の普及も進んでいたと思われますから、 『 Z旗 』 掲揚と同時に東郷提督麾下の全艦船に 『 皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ 』 のモールス符号が一斉に打電されたに違いありません。当然のことながら、肉眼や双眼鏡によって視認できる範囲では、日本海軍式の手旗信号(1883年考案)も併用されたと思われます。
それ以降、旧日本帝国海軍は、乾坤一擲となる海戦となると、勝利の祈願を込めて
『 Z旗 』を掲揚するのが慣例となります。
真珠湾攻撃へ向かった第一航空艦隊の旗艦・赤城(航空母艦)のマストには 『 Z旗 』 は翻るがえっていなかったと言う人がいますが、『 Z旗 』と全く同じ意味を持つ 『 D旗+G旗 』 の組み合わせ信号旗が掲揚されていたそうです。
国際信号旗としての 『 Z旗 』 には、現在も前述した2つの意味(曳き船を望むと魚網を投網中)しかありませんが、世界の海戦史においては、艦隊を鼓舞する特別の旗として広く認知されているようです。
無線電信(モルース符号)も海上用手旗信号も考案されていなかった時代のネルソン提督は、艦隊の士気を鼓舞するのに、合計14セット33枚の信号旗を必要としましたが、それから100年後の日本海戦でネルソン提督に倣った東郷平八郎提督は、通信手段の飛躍的進歩に援けられて 『 Z旗 』 一枚で艦隊の士気を鼓舞できたと言うわけです。
しかしながら、今から将来にかけて、海戦の勝利を祈願する 『 Z旗 』 が二度と翻らないこと祈りたいと思います。