ヴェルサイユ宮殿の鏡の回廊で行われた歴史に残る儀式といえば、前回ブログで触れたルイ16世とマリーアントワネットの婚礼以外にも、『統一ドイツ帝国の建国宣言』 と 『第一次世界大戦の講和条約調印式 』 がありました。  

ヴェルサイユ宮殿の回廊に佇んだ時、戦中生まれの野暮天Gちゃんの石頭に一等最初に
浮かんだのは、中学で教わった 『 統一ドイツ帝国の建国宣言とドイツ皇帝戴冠式 』 、二番目に浮かんだのが、『 第一次世界大戦後の講和条約となったヴェルサイユ条約 』、そして、最後の最後に浮かんだのが 『 ルイ16世とマリーアントワネット 』 でした。 


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大理石の中庭から見たヴェルサイユ宮殿の東側正面  (Photo ウイキペディア)
中央凹形の2階に王の寝室、その奥に鏡の回廊があります。


今思い返せば、日本人観光ガイドの説明は、最初から最後まで 『 ルイ16世とマリーアントワネット 』 の話題ばかりだったのですが、それでも、日本人観光客は大満足の様子でした。 

きっと、池田理代子氏の漫画と宝塚歌劇団の 『 ベルサイユの薔薇 』、 或いは、シュテファン・ツヴァイクの原作を映画化したソフィア・コッポラ監督の 『 マリー・アントワネット 』 の影響を受けた方が多かったのでしょう。 


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鏡の回廊の天井を埋め尽くす『ルイ14世の栄光の歴史』を描いた30点の構図絵

悲しいかな歳の差による発想の違いを感じます・・・と言いたいところですが、正直に申せば、年老いた僕の頭の中には、『 統一ドイツ帝国の建国とヴィルヘルム1世の戴冠式の経緯 』 に関する知識など何も残っていないのです。 

本日は、前々から気になっていたのに、一度も調べようとしなかった 『 ドイツ帝国の建国宣言とヴィルヘルム1世の皇帝戴冠式が、どうして、フランスのヴェルサイユ宮殿の鏡の間で執り行なわれたのか? 』 について、近世史の頁を少しばかり辿って見ることにしました。

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1871年1月18日、ヴェルサイユ宮殿鏡の回廊で行われた『 統一ドイツ帝国の建国宣言 』
左側に初代ドイツ帝国皇帝に即位したヴィルヘルム1世、右側に抜刀して雄叫びを上げる将校


自分なりに思いついた答えは下記の五項目、『 下手な鉄砲も数打てば当たる 』 ではありませんが・・・・それでも、かなりピン・ポンに近い答えもあるのでは・・・皆さんの採点は如何でしょうか?

  『 ドイツ同盟軍が独仏戦争の勝利者であることをフランスに誇示するため! 』   
  『 ドイツ同盟軍がフランス第二帝政を終焉させたことを誇示するため! 』           
  『 ドイツ同盟軍が第二帝政後の臨時政府を一蹴したことを誇示するため!
  『 統一ドイツ帝国の建国宣言を、これ見よがしにフランス国民に見せ付けるため! 』 


歴史書によっては、『独仏戦争』(1870年~1871年)のことを、『普仏戦争』、『1870年戦争』、或いは、『プロイセン=フランス戦争』 などと記していますが、僕が中学で教わった教科書には 『プロイセン VS フランス戦争』 と書かれていように思います。 

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『プロイセン VS フランス戦争』を描いた絵画 

独仏戦争』 とは、スペイン王位継承問題が縺れて、フランス第二帝政政府がプロイセン王のヴィルヘルム1世に宣戦布告(1870年)して始まった戦争でした。 ところが、フランスの思わくが外れて、北ドイツ連邦、南部ドイツのバーデン大公国、ヴュルテンベルク王国、バイエルン王国のドイツ諸邦がプロイセン王国の側に付いてフランスに挑みかかる結果とり、フランス軍は完膚なきまで叩きのめされ、皇帝ナポレオン3世も捕虜となってしまいます。 

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『プロイセン VS フランス戦争』の勝者(右:ビスマルク)と敗者(左:ナポレオン3世)の会談

崩壊したフランス第二帝政政府に代わって興った第三共和政政府の臨時政府も、プロイセン王のヴィルヘルム1世の軍隊によって首都パリを占領されてしまい、和平交渉に入ることを承知させられてしまいます。

そして、その時が到来します!                       
あろうことか、和平交渉が始まる前日の1871年1月18日、プロイセン王ヴィルヘルム1世は、フランスの象徴とも言うべきヴェルサイユ宮殿の鏡の回廊で、突如として、統一ドイツ帝国の建国を高らかに宣言するとともに、ドイツ帝国の皇帝戴冠式を挙行、自らが初代ドイツ皇帝として即位します。


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左:初代統一ドイツ帝国皇帝のヴィルエルム1世   右:初代統一ドイツ帝国宰相のビスマルク

ドイツ帝国の初代宰相に就任したのは、『賢者は歴史に学び、愚か者は体験に学ぶ』 、『鉄と血が、運命を決定する』 の語録で有名なビスマルクでした。中学生だった僕の脳裏に強烈な印象を残した統一ドイツ帝国の鉄血宰相です。

敗戦国フランスに与えられた屈辱は、フランスの象徴であるヴェルサイユ宮殿で振舞われたドイツの暴虐行為だけではありませんでした。フランス東部のドイツ人が多く住んでいたアルザス、ロレーヌ地方を割譲させられた上に、戦争賠償金50億フランをドイツに支払うことまで義務付けられたのです。 

誉れ高い先進のフランスは、腸が煮えくり返るほどの口惜しさを憶え、近い将来の臥薪嘗胆を期したに違いありません。


そして、第一次世界大戦後の講和条約に於いて、フランスは、かって統一ドイツ帝国から受けた積年の怨みつらみを、同じ場所のヴェルサイユ宮殿で果たすことになるのですが・・・その話は次回以降のブログに譲りたいと思います。