エッフェル塔のパンフレットには、『 エッフェル塔(La tour Eiffel)の設計者は、フランス人のエッフェル氏(Alexandre Gustave Eiffel)である 』 と記載されていたのですが・・・・・・
別の資料に目を通すと、フランス人のソーヴェストル氏、或いは、ソーヴェストル氏や
エミール・ヌジェール(Emile Nougier)を設計者とする意味深な記述もありました。

上左:エッフェル社の創業者で代表者の Mr.アレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェル
上中: Mr.モーリス・ケクランの描いたイメージ・スケッチ
上右:後にエッフェル社の後継者となる Mr.モーリス・ケクラン(Maurice Koechlin)
不思議に思って少しばかり調べてみると、エッフェル氏は、パートナーと一緒になって創業したエッフェル社(建設施工会社)の代表者であり、Mr.ソーヴェストル(Stephan Suavestre)は同社の建築部長、ケクラン氏も同社の鉄骨構造物研究部長、そして、エミール・ヌジェールも同じ会社の技術者でした。

①エッフェル社の提案したイメージ図面 ②1887年頭にセ-ヌ河畔で工事開始
これは僕の想像ですが、エッフェル塔の名誉ある設計者としての地位をめぐって彼らが骨肉の争いをしたと云うことではなく、パリ万博(1889年)のシンボルとなる建築物のコンペティションに、エッフェル氏が応募プロジェクトの提出責任者となって参画。 配下の優秀な技術者(3名)が現場の責任者として辣腕を揮った結果、コンペティション第一位の栄冠を獲得することが出来たのだろうと思います。

① 四本の脚部の組み立て ②1階展望台の組み立て(中央は脚部ではなく作業用の架台)
エッフェル塔は、1万8038個もの練鉄部品と250万個のリベットで組み立てられ、それらを網羅する設計図は5,300枚以上にものぼったとか。しかるに、建設重機の乏しい時代にも拘わらず、エッフェル氏発案によるプレハブ工法が功を奏して、完成(1889年)までに要した工事日数が僅か2年2ケ月だったと云うのですから吃驚仰天です。 (ハイテクを駆使した東京タワーの工事日数は16ケ月でした)

③ 2階展望台の組立 ④ 垂直エレベーター部分の組立 ⑤ 3階展望台と最頂部の組立完了
エッフェル社の創業経営者のエッフェル氏は、高層建造物の構造学と空気力学の専門家でもあったことから、パリのエッフェル塔に止まらず、欧州各地に鉄を構造物にした橋梁も多く手懸けているという話は容易に理解できるとしても・・・米国のニューヨークにある自由の女神像とセーヌ川の縮小版の自由の女神像の建造にも深く携わっていたと聞いて、思わず自分の耳を疑ってしまいました。。
エッフェル塔の展望台から南西方向に見えるセーヌ川の真ん中に 『白鳥の小径』 と呼ばれる細長い島があります。 その西端のグルネル橋の袂に、フランスから米国に贈った自由の女神像 (高:33.86m、重:2254ton) の縮小版 (高:11.5m、重:14ton) が置かれています。

セーヌ川の真ん中の「白鳥の小径」の西端(黄色矢印)に自由の女神像の縮小版があります。
米国に贈呈された自由の女神像(1886年完成)、そして、セーヌ川の自由の女神像(1889年除幕式)は、いづれも著名なフランス人彫刻家の Mr.フレデリク・オーギュスト・バルトルディ ( Frédéric Auguste Bartholdi ) の作品です。
バルトルディ氏は、米国の巨大な自由の女神像とセーヌ川の縮小版の自由の女神像を建造するにあたって、エッフェル氏の先進的な鉄骨構造技術が必要不可欠と考え、先ずは米国向けの女神像の内部構造設計を依頼。 続いて、パリのセーヌ川の女神像の内部設計もエッフェル氏に依頼していたのです。

上左:米国ニューヨーク・マンハッタン・リバティ島の自由の女神像 (1886年完成)
(正式名称は、「世界を照らす白由の女神」 Liberty Enlightening the World)
中央:自由の女神像の作者:フレデリク・オーギュスト・バルトルディ (1834年生-1904年没)
上右:1889年除幕式が行われたパリ・セーヌ川グルネル橋の袂に置かれた縮小版の自由の女神像
米国に向けて自由の女神像を搬出する直前(1884年)に、エッフェル氏がパリで仮組みした内部構図を写した写真がありました。 台座上から女神の頭までの高さが33.86m、松明までの高さが46.05mトル、台座の高さを含めると93mもある銅製の女神像(重量:225ton)を支える内部構造物ですから、外観の女神像からはとても想像できないほど、武骨で荒々しい鉄の骨組みです。

米国向け「自由の女神像」を支える内部構造。松明を掲げる腕を支える鉄骨が見えます。
エフェル氏に関する資料を更に読み進むと、エッフェル氏が関与したという意外な記述を見つけました。 衣服がずり落ちるのを防ぐ 「靴下止め」、「ズボン止め」、「腕止め」 として利用されるガーター・ベルト(Garter belt)の原型の発案者が、こともあろうに、鉄骨構造設計者のエッフェル氏だと言うのですから驚いてしまいました。

上左:ガーター・ベルト 中央:カナダの Leth Bridge Viaduct 橋 上右:進化したガーター・ベルト

エッフェル氏設計(1877年)のトレッスル・ガーター工法のマリア・ピア鉄道橋(ポルトガル)
つまり、エッフェル氏は、鋼材で橋梁を組み立てるトレッスル・ガーター(Trestle Garter )の構造理論からヒントを得て、「靴下止め」などを身体の一部に締め付けて止める方式ではなく、橋梁の架台(トレッスル)に相当するベルトを腰部に装着、其処から下方向に垂らした伸縮性に富んだクリップで靴下の上端を挟むことによって靴下のずり落ちを防ぐ提案をしたと言うのです。
そのように言われてみれば、上写真のトレッスル・ガーター工法のマリア・ピア鉄道橋の形は、最近の女性用のガーターの形と実によく似ていると思いません?
英国のガーター勲章(The Most Noble Order of the Garter)は、中世の貴婦人の靴下止めをデザインした勲章として知られていますね。伝説によると、エドワード3世王とダンスをしていた貴婦人が、当時は肌着の一部と考えられていた靴下止めを床上に落としてしまい、周りの紳士淑女のひんしゅくを買う事件が起こります。
しかし、エドワード3世王は、貴婦人を庇ってさり気無く靴下止めを拾い上げ、彼女を蔑んだ多くの紳士淑女をたしなめる言葉を残したと伝わります。
その後、エドワード3世王によって創始された英国最高勲章のガーター勲章の表面には、その時のエドワード3世の言葉が次のように刻まれているそうです。
『 思い邪なる者に災いあれ 』 (Honi soit qui maly pense)

英国のガーター勲章(The Most Noble Order of the Garter)
上写真の最上部のガーター勲章のデザインを見ると、まさに、太腿を一本のベルトで締め付ける旧式の靴下止めですね。19世紀の女性は、エッフェル氏が橋梁工事のトレッスル工法からヒントを得て新しく考案したトレッスル・ガーター (Trestle Garter ) に大感激したのではないでしょうか!?
本日は、思いがけなくも、いつになく色っぽい〆(?)になってしまいましたが、決して hiro-1 が 『思い邪なる者』 になったわけではありません。エッフェル氏の功績に触れてみたかっただけなのです。
失礼を致しました。
別の資料に目を通すと、フランス人のソーヴェストル氏、或いは、ソーヴェストル氏や
エミール・ヌジェール(Emile Nougier)を設計者とする意味深な記述もありました。

上左:エッフェル社の創業者で代表者の Mr.アレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェル
上中: Mr.モーリス・ケクランの描いたイメージ・スケッチ
上右:後にエッフェル社の後継者となる Mr.モーリス・ケクラン(Maurice Koechlin)
不思議に思って少しばかり調べてみると、エッフェル氏は、パートナーと一緒になって創業したエッフェル社(建設施工会社)の代表者であり、Mr.ソーヴェストル(Stephan Suavestre)は同社の建築部長、ケクラン氏も同社の鉄骨構造物研究部長、そして、エミール・ヌジェールも同じ会社の技術者でした。

①エッフェル社の提案したイメージ図面 ②1887年頭にセ-ヌ河畔で工事開始
これは僕の想像ですが、エッフェル塔の名誉ある設計者としての地位をめぐって彼らが骨肉の争いをしたと云うことではなく、パリ万博(1889年)のシンボルとなる建築物のコンペティションに、エッフェル氏が応募プロジェクトの提出責任者となって参画。 配下の優秀な技術者(3名)が現場の責任者として辣腕を揮った結果、コンペティション第一位の栄冠を獲得することが出来たのだろうと思います。

① 四本の脚部の組み立て ②1階展望台の組み立て(中央は脚部ではなく作業用の架台)
エッフェル塔は、1万8038個もの練鉄部品と250万個のリベットで組み立てられ、それらを網羅する設計図は5,300枚以上にものぼったとか。しかるに、建設重機の乏しい時代にも拘わらず、エッフェル氏発案によるプレハブ工法が功を奏して、完成(1889年)までに要した工事日数が僅か2年2ケ月だったと云うのですから吃驚仰天です。 (ハイテクを駆使した東京タワーの工事日数は16ケ月でした)

③ 2階展望台の組立 ④ 垂直エレベーター部分の組立 ⑤ 3階展望台と最頂部の組立完了
エッフェル社の創業経営者のエッフェル氏は、高層建造物の構造学と空気力学の専門家でもあったことから、パリのエッフェル塔に止まらず、欧州各地に鉄を構造物にした橋梁も多く手懸けているという話は容易に理解できるとしても・・・米国のニューヨークにある自由の女神像とセーヌ川の縮小版の自由の女神像の建造にも深く携わっていたと聞いて、思わず自分の耳を疑ってしまいました。。
エッフェル塔の展望台から南西方向に見えるセーヌ川の真ん中に 『白鳥の小径』 と呼ばれる細長い島があります。 その西端のグルネル橋の袂に、フランスから米国に贈った自由の女神像 (高:33.86m、重:2254ton) の縮小版 (高:11.5m、重:14ton) が置かれています。

セーヌ川の真ん中の「白鳥の小径」の西端(黄色矢印)に自由の女神像の縮小版があります。
米国に贈呈された自由の女神像(1886年完成)、そして、セーヌ川の自由の女神像(1889年除幕式)は、いづれも著名なフランス人彫刻家の Mr.フレデリク・オーギュスト・バルトルディ ( Frédéric Auguste Bartholdi ) の作品です。
バルトルディ氏は、米国の巨大な自由の女神像とセーヌ川の縮小版の自由の女神像を建造するにあたって、エッフェル氏の先進的な鉄骨構造技術が必要不可欠と考え、先ずは米国向けの女神像の内部構造設計を依頼。 続いて、パリのセーヌ川の女神像の内部設計もエッフェル氏に依頼していたのです。

上左:米国ニューヨーク・マンハッタン・リバティ島の自由の女神像 (1886年完成)
(正式名称は、「世界を照らす白由の女神」 Liberty Enlightening the World)
中央:自由の女神像の作者:フレデリク・オーギュスト・バルトルディ (1834年生-1904年没)
上右:1889年除幕式が行われたパリ・セーヌ川グルネル橋の袂に置かれた縮小版の自由の女神像
米国に向けて自由の女神像を搬出する直前(1884年)に、エッフェル氏がパリで仮組みした内部構図を写した写真がありました。 台座上から女神の頭までの高さが33.86m、松明までの高さが46.05mトル、台座の高さを含めると93mもある銅製の女神像(重量:225ton)を支える内部構造物ですから、外観の女神像からはとても想像できないほど、武骨で荒々しい鉄の骨組みです。

米国向け「自由の女神像」を支える内部構造。松明を掲げる腕を支える鉄骨が見えます。
エフェル氏に関する資料を更に読み進むと、エッフェル氏が関与したという意外な記述を見つけました。 衣服がずり落ちるのを防ぐ 「靴下止め」、「ズボン止め」、「腕止め」 として利用されるガーター・ベルト(Garter belt)の原型の発案者が、こともあろうに、鉄骨構造設計者のエッフェル氏だと言うのですから驚いてしまいました。

上左:ガーター・ベルト 中央:カナダの Leth Bridge Viaduct 橋 上右:進化したガーター・ベルト

エッフェル氏設計(1877年)のトレッスル・ガーター工法のマリア・ピア鉄道橋(ポルトガル)
つまり、エッフェル氏は、鋼材で橋梁を組み立てるトレッスル・ガーター(Trestle Garter )の構造理論からヒントを得て、「靴下止め」などを身体の一部に締め付けて止める方式ではなく、橋梁の架台(トレッスル)に相当するベルトを腰部に装着、其処から下方向に垂らした伸縮性に富んだクリップで靴下の上端を挟むことによって靴下のずり落ちを防ぐ提案をしたと言うのです。
そのように言われてみれば、上写真のトレッスル・ガーター工法のマリア・ピア鉄道橋の形は、最近の女性用のガーターの形と実によく似ていると思いません?
英国のガーター勲章(The Most Noble Order of the Garter)は、中世の貴婦人の靴下止めをデザインした勲章として知られていますね。伝説によると、エドワード3世王とダンスをしていた貴婦人が、当時は肌着の一部と考えられていた靴下止めを床上に落としてしまい、周りの紳士淑女のひんしゅくを買う事件が起こります。
しかし、エドワード3世王は、貴婦人を庇ってさり気無く靴下止めを拾い上げ、彼女を蔑んだ多くの紳士淑女をたしなめる言葉を残したと伝わります。
その後、エドワード3世王によって創始された英国最高勲章のガーター勲章の表面には、その時のエドワード3世の言葉が次のように刻まれているそうです。
『 思い邪なる者に災いあれ 』 (Honi soit qui maly pense)

英国のガーター勲章(The Most Noble Order of the Garter)
上写真の最上部のガーター勲章のデザインを見ると、まさに、太腿を一本のベルトで締め付ける旧式の靴下止めですね。19世紀の女性は、エッフェル氏が橋梁工事のトレッスル工法からヒントを得て新しく考案したトレッスル・ガーター (Trestle Garter ) に大感激したのではないでしょうか!?
本日は、思いがけなくも、いつになく色っぽい〆(?)になってしまいましたが、決して hiro-1 が 『思い邪なる者』 になったわけではありません。エッフェル氏の功績に触れてみたかっただけなのです。
失礼を致しました。