前回ブログでは本題を大きく逸れてしまいました。
話を本筋に戻すことにします。

アユタヤ王朝の “ 象局 ” ( クロム・コッチャガム ครมคชกรรม ) は、
二つの部門に分かれていました。

      ① 王様がお乗りになる白象 ( チャーン・プアック ช้างเเผือก )を管理するお召し部門
    ② 実戦を担う戦象( チャーン・スック ช้างศึก )の育成と用象の訓練をする外象部門


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① “ お召し象 ” と呼ばれる王様の乗る白象を管理監督するセクション
( 象を初めて見た西洋画家が描いたなんとも稚拙な白象の絵 )


象局に属する象部隊は、
インドとカンボジアから伝わった象学 ( コッチャ・ サーツ คชศาสตร์ ) に網羅されている
象相学 ( コッチャ・ラクサー คขลักษาณ์ ) と用象学 ( コッチャ・ガム คชกรรม ) に従って
部隊編成が組まれ、実戦に即した厳しい訓練が繰り返し行われていました。


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② “ 外象 ” と呼ばれる実戦を担う戦象( チャーン・スック ช้างศึก )の訓練を行うセクション
( タイ東北部のスリン県で撮影 )

象学の中の用象学を拾い読みしてみると、
王様の乗る白象と普通の戦象を合わせた約20頭以上の象で
10段構えの象部隊を編成(下記御参照)していたように思われます。
 
        ① 先鋒象(1頭) ② 司令官が乗る戦象(1頭) ③ 側衛象(2頭) ④ 近衛象(10頭) 
        ⑤外衛象(1頭) ⑥ 仏像を安置した象(1頭) ⑦ 王様が乗って戦うお召し象(1頭)
        ⑧ 後衛象(1頭) ⑨ 遊軍象(1頭) ⑩ 王様が休息する玉座象(1頭) ⑪ 拘束象


仏像を安置した “ 仏像守護象 ” が編成に組み込まれているところは、
仏教王国の象部隊の面目躍如たるものがありますね。


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先方象、後衛象、司令官の戦象、王様の戦象の背中に乗る人員構成は三名
( タイ中央部のアユタヤで撮影 )

象の首根に跨るのは、王様、副王、司令官、戦闘士官のいずれかです。
中央の椅子には、王様や戦闘指揮官に武器を手渡す役割の中乗りが座ります。

象の尻に乗るのは “ 象使い ” ですが、後方からの攻撃を防ぐ役割も担っていました。
但し、遊軍象には象の尻に乗る象使いは乗っていなかったようです。

( 上写真 )

戦象の背中の椅子には、ナギナタ2本、長槍2本、刀身2本が装備され、
その椅子に座る中乗り役は、象の首根に跨る王様や戦闘士官に武器を手渡します。

王様の乗るお召し象(白像)の中乗り役は、宮廷の武器局長が務め、
王様の命令を、孔雀羽を両手に持って全部隊に伝える役割も併せ持ちました。


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象の弱点とされる四本の足を護る歩兵は8人~4人。
( タイ西部のスパンブリー県で撮影 )

王様の乗るお召し象(白像)の足を護る歩兵は象の足1本当たり2名。
外側の1名は長槍、内側の1名は刀によって弱点の足への攻撃を防ぎました。

お召し象の足を守護する歩兵は、忠誠心が高くて格闘技に優れた兵隊が選抜され、
戦闘で顕著な手柄のあった兵隊には報奨が与えられ、士官への登用の道があったとか。

( 上写真 )

第二次世界大戦で威力を発揮した戦車軍団も、
弱点のキャタピラを護るべく、歩兵が周囲を固めましたが、
戦象は、正に、古代における戦車と同じ位置づけだったようです。


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ビルマと戦うアユタヤ王朝のナレースワン大王が乗る白像のお召し象
( タイの大作映画・ナレースワン大王からの複写写真 )


お召し象の前方に “ 甲冑に身を固めた日本の武士 ” の姿が見えますね。
1590年代に行われたナレースワン大王とビルマ王朝との戦闘では、
500人の日本の武士団が参戦したと伝わっています。

タイ映画では、山田長政が参戦したことになっていましたが、
日本の歴史家の纏めた年譜史料を検討する限りでは、
長政がこの世に生を受ける以前の戦争だったと思われます。


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ビルマ副王とアユタヤ王が白象に乗って繰り広げる一騎打ち場面の再現ショー
( タイ中央部のアユタヤで撮影 )

上掲写真は、1592年にスパンブリーのノーンサライで行われた
アユタヤのナレースワン大王とビルマの王太子・ミンチット・スラとの
白象による一騎打ちを再現した野外のナイトショーで撮影したものです。

ナレースワン大王はこの一騎打ちでビルマの王太子を討ち取り、
ビルマの傀儡国家だったアユタヤに独立をもたらす訳ですが、
その経緯は、今迄のブログで触れましたので割愛します。 


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王様が戦場で休憩するための玉座象 (だろうと思います)
( タイ東北部のスリン県で撮影 )

戦闘時には、“ お召し象 ” ( 戦象 ) の首に跨る王様ですが、
戦闘の合い間には、“ 玉座象 ”に乗り移って休憩したのだそうです。

( 上写真 )

戦争が終わり、平和が訪れた時には、
中乗りの武器局長が座っていた背中の武器籠は取り払われ、
象の首に王様が跨り、背中の椅子に王様の家族、象の尻には象使いが乗り、
家族団欒を楽しんだり、地方行幸を行ったと思われます。

( 下写真 )

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家族団欒を楽しむ王室一家。白象の足元の歩兵は4人に減り、軍楽隊が音楽を奏でています。
( タイ西部のスパンブリー県で撮影 )

白象のタイ語は “ チャーン・プアック ” ช้างเเผือก(注)ですが、
その意味合いは、“ タロイモの色に似た肌の象 ” であって、
決して、日本語訳の “ 白色の象 ” ではありません。


(注)チャーン = ช้า ง= 象  、  プアック = เผือก = タロイモ

タイの象学宝典では、
チャーン・プアック(白像)の定義を次のように定めています。


最も秀でた重要な象( チャーン・サムカン ช้างสำคาร )とは、
目、口蓋、爪、体毛、尻尾の毛がタロイモの色であり、
皮膚と陰のうが白黒黄緑紅紫雲の七種の色と吉相を持っていること。


その最も秀でた重要な象 ( チャーン・サムカン ช้างสำคาร ) を、
更に、下記の三種類に分けています。

      ① 第一級の チャーン・プアック (白像)= 皮膚が巻貝色 or 金色の象 = 国家の象徴
      ② 第二級の チャーン・プアック (白像)= 皮膚が桃紫色の紅蓮象 = 吉兆象で戦象に適す
      ③ 第三級の チャーン・プアック (白像)= 皮膚が干したバナナの葉先色


つまり、アユタヤ王が乗る チャーン・プアック (白像)とは、
たとえ第一級のチャーン・プアック (白像)であっても、
その肌色は、“ 巻貝やタロイモに似た色 ” であって、
決して白ペンキを塗ったような白象ではないのです。

  
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