タイ北部のチェンマイ県を訪れた時、
“ なでしこ ” の花が咲いているのを見つけて吃驚しました。
“ なでしこ ” は、日本のような温帯域に咲く花で、
熱帯域のタイでは咲かない花だと勝手に思い込んでいたのです。
20数年ぶりに “ なでしこ ” の花を見て、
万葉歌人の山上憶良が詠んだ “ 秋の七草 ” を思い出しました。
萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 女郎花 また 藤袴 朝貌の花
はぎのはな おばな くずはな なでしこのはな おみなえし また ふじばかま あさがおのはな
(注) 瞿麦の花 = 撫子 ( なでしこ ) の花

吉田兼好の徒然草にもありました。
草は山吹、藤、杜若、撫子。池には蓮。秋の草は萩、薄、桔梗、萩、女郎花・・・
いづれもいと高からず、ささやかなる垣にしげからぬよし。
万葉集の時代から、平安時代、鎌倉時代を通じて、
古の日本人に愛された野草の “ 撫子 ” ( なでしこ ) が、
南国のタイの花園で健気に咲いているなんて余りにも意外!
とてつもなく嬉しくなってしまいました。

“ 撫子 ” ( なでしこ ) の本来の意味は、
“ 撫でるが如く可愛がっている子 ” だろうと思うのですが、
大友家持と従妹(?)の大友池主が交わした意味深な歌を見ると、
お互いに “ 撫子 = 恋しい人 ” の意味として詠んでいることが分かります。
《 大友池主(女性)から大友家持(男性)に宛てた歌 》
うら恋し わが背の君は 撫子が 花にもが もな 朝な朝な見む
「 私の恋しいあの方が 撫子の花ならば 毎朝見られるのに 」
《 大友家持(男性)から大友池主(女性)に宛てた歌 》
吾が屋外に 蒔きし瞿麦(撫子) 何時しかも 花に咲きなむ なそへつつ見む
「 自宅の庭に撒いた撫子の花はいつ咲くのだろうか、貴女と見比べながら見たいな 」

平安時代に入って、隣国の唐から撫子に似た “ 石竹 ” が持ち込まれた時、
平安の宮廷人や文化人は、
石竹を唐撫子(からなでしこ)、日本原産種を大和撫子(やまとなでしこ)
と区別化して呼ぶようになります。
清少納言の枕草子(六四段)にその様子を窺える記述がありました。
草の花は撫子、唐のはさらなり、大和のも、いとめでたし・・・
そして、いつ頃からでしょうか、“ 大和撫子 ” という言葉は、
愛らしくて清楚で慎ましやかな日本女性の美祢辞として定着することになります。

ところが、なんとしたことでしょう、
さらに時代を経た現在の日本では、
日本女性の美祢辞としての “ 大和撫子 ” なる言葉は、
男尊女卑の最たる表現とされ、今や死語となってしまったようです。
聞くところによると、最近の日本の花屋さんの中には、
和名の撫子ではなく、ダイアンサス の外来語で売る所もあるとか!?
なんだが、どうしょうもなく寂しい気分になってしまいます。
男女共同参画社会に異を唱える僕ではありませんが、
せめて、日本特有の花の名前くらいは、
“ 撫子、河原撫子、大和撫子 ”
のような美しい日本語を残して欲しいと思う今日この頃です。
学名 : Dianthus superbus ( 気高いジュピターの花 )
科名 : なでしこ科 Caryophyllaceae
属名 : ナデシコ属 Dianthus chinensis L..
タイ語名 : ドーク・ピー・スア ดอกผีเสื้อ ( 蝶々のような花 )
日本語名 : 撫子、河原撫子、大和撫子
英語名 : China Pink
