アユタヤ王朝時代(1350年~1767年)の417年間に建てられた7棟の王宮は、
1767年のビルマ王朝軍の攻撃によって完膚なきまで破壊されてしまい、
現在は、崩れ落ちた宮殿の基壇だけしかありません。
しかし、10月14日付の拙ブログで触れた如く、
アユタヤ王朝の崩壊まで319年間に渡って存続したサンペット宮殿(1448年建)は、
幸いにして、サムット・プラカーン県の遺跡公園内に復元宮殿として蘇えり、
在りし日の秀麗な姿形を偲ぶことができるようになりました。
今日から、数回に分けて、
復元されたサンペット宮殿の内部の様子を紹介することに致します。

池の端に聳える復元されたアユタヤ王朝のサンペット宮殿
豪華な大型帆船を髣髴とさせるようなサンペット宮殿の外観。
屋根は錫で覆われ、金箔が貼られた尖塔部分と屋根飾りが、
陽光に映えて眩しく光り輝いていたとか。


アユタヤ王が外交使節との謁見や王としての即位式で使用した王座
サンペット宮殿において、
欧州やインドシナ諸国の外交使節との謁見が行われたことは
10月14日の拙ブログで既に触れましたが、
注目すべきは、1511年に行われたポルトガル外交使節との謁見です。
ポルトガル人が日本(種子島)に鉄砲を伝えたのは1543年、
それよりも32年前に、両国は正式に国交を樹立し、
アユタヤには、最新式の銃器を具備した鉄砲部隊が存在していました。