久し振りに、アユタヤ王朝の王宮跡の話題です。

アユタヤ時代(1350-1767)の寺院遺跡には、引きも切らず観光客が訪れますが、
三つの仏塔が聳えるプラスィー・サンペット寺院の北側に在る
アユタヤ王朝の王宮跡まで足を延ばす人となると、極端に少なくなります。

南国の熱気で噎せ返るような草むらに残る王宮跡、それも基壇だけの廃墟を
汗ぐっしょりになって散策する人なんて、よほどの変わり者なのかも知れません。


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アユタヤ王宮の北側に残る城壁の一部

変わり者の一人かも知れない僕は、
廃墟のまま放置された王宮跡のレンガの基壇を巡り歩きながら、
過ぎ去りし時代の奔流の中で、激しい権謀術策を戦わしたであろう歴史上の人物に
思いを馳せるのが大好きです。

王宮跡には、六箇所の宮殿の基壇が残されていますが、
僕が最も興味を抱いているのは、下写真のサンペット宮殿(1448年建設)です。

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アユタヤ王宮の北東区域に基壇だけが残るサンペット宮殿の遺跡

歴史書によると、
アユタヤ王朝の初代のウートン王から7代目王の時代までは、
プラスィー・サンペット寺院 ( 下絵の① ) の地に
建てられた木造宮殿で執務を行ったようです。

その後、8代目のトライ・ローカナート王 ( 即位: 1448 )の時代に、
サンペット寺院の北側のスペース( 下絵の② ) に
サンペット宮殿を新築、移転したとあります。


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アユタヤ王宮の東半分の復元図 (左が北方向、右が南方向)

 上の復元図に当時の宮殿名を当て込むと下記のようになります。

   1353年 ① 木造の王宮を建設 ラマティボディー王 ( 即位:1350-1369 ) 
   1448年 ② サンペット宮殿を建設(移転) トライ・ローカナート王 ( 即位: 1448 )
   1632年 ③ チャクラワット・パイチャヨン宮殿建設  
   1643年 ④ ウイハーン・ソムデット宮殿を建設
            ③と④はプラサート・トーン王の建設( 即位 1630-1655 )

現在残されている宮殿の廃墟を眺めているだけでは、
かっての華やかな宮殿の佇まいを想像することは不可能に近かったのですが、
最近は復元図や模型を通して具体的な姿形を見ることが出来るようになりました。

更に、バンコクの東隣・サムット・プラカーン県にある遺跡公園の中に、
実物大よりは僅かに小さいのですが、
アユタヤ王朝のサンペット宮殿が復元(下写真)されたのです。


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バンコク東隣県・サムット・プラカーン県の遺跡公園内に復元されたサンペット宮殿

遺跡公園内に復元されたサンペット宮殿は、
アユタヤ王宮跡の中で一番最初に建設された最古の宮殿であり、
アユタヤ王朝417年の栄枯盛衰がギッシリと詰め込まれた宮殿でもあります。

トライ・ローカナート王の即位式や王族の元服儀式を行う場所、
そして、欧州やインドシナ諸国との外交折衝を行う場所でもありました。

        1511年 ラマティボディー2世王によるポルトガル使節の謁見 
        1685年 ナーライ大王によるフランス使節の謁見王 
        1688年 ペトラーチャ王によるカンボジア使節の謁見 
        1749年 ボラマコート王によるラオス使節の謁見  
        1751年 ボラマコート王によるスリランカ使節の謁見   

アユタヤ王朝で軍務を司る一等官にまで上り詰めた日本人(注)
が出入りした宮殿も、時代背景から見て、この宮殿だったに違いありません。


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