昨日のBLOGでは、東京都下の空き家同然の留守宅の荒庭に咲いていたバラの花(下写真)の幾つかを御覧頂きました。実は、そのバラの根元には強靭な雑草が繁茂していたのですが、なんと! その雑草の合間を掻い潜るかのように、数種類の小さくて可憐な花が頭を擡げていたのです。

このバラの花の根元に小さくて可憐な幾種もの花が生き長らえていました。
バンコクで留守番をしている家内に電話すると、これらの小さな花も、バラの花(上記写真)と同じように、20年もの間、殆ど手入れされることなく放置されたままになっているのだと言います。
小さくて虚弱な花に見えるのですが、生い茂る雑草の猛威をものともせずに健気に生き長らえている様相は、なかなか、どうして、見上げた根性花です。本日のBLOGでは、こんな小さな花たちをとり上げて見たいと思います。
僕の目に先ず飛び込んできた花は、雑草の中に楚々と咲いていた小さくて可憐な “ 都忘れ ” です(下写真)。“ 都忘れ ” とは、何とも奥ゆかしい響きを持った意味深な名前ですが、随分と古の時代の伝説から来ていることが分かりました。

高さ1m余りのバラの根元に生き残っていた “ 都忘れの花 ”
鎌倉時代の承久の乱で北条氏に敗れて佐渡島へ流罪となった順徳天皇が、寂しくも侘しい生活を過ごしていた時、宿所の庭の片隅にひっそりと咲いていた小さな白い花を見て、“ この小さな白い花を見ていると、ほんのひと時だけでも、都を忘れることが出来る ” と呟いた一言から、“ 都忘れ ” と呼ばれるようになったのだとか。
“ 都忘れ ” の傍らには、“ 沖縄月見草 ” とも呼ばる “ 桃色昼咲き月見草 ” が咲いていました(下写真)。元々は北米大陸の原野に咲いていた野生種らしいのですが、沖縄が米国に統治されている時代に持ち込まれ、沖縄国内にあった米軍の練兵場に根付いた花なのだそうです。

“ 都忘れの花 ”の直ぐ傍らに咲いていた “ 沖縄月見草 ”
我が家の “ 沖縄月見草 ” も、バラの花と同じ頃に植えられた花なのだそうですが、雑草駆除をして適度の肥料を与えていた20年前には、我が家の庭を取り巻くフェンスに沿って群生していたのだそうです。
長期間に渡って放置された現在は、過っての群生とは程遠い状態ですが、それでも、フェンス際に沿ってポツポツと咲いていて、野生花の出身らしい強靭な生命力の一端を見ることが出来ました。
“ 沖縄月見草 ” の並びに、“ 皐月躑躅 ” (さつき・つつじ) も僅かに咲いていました。その傍らに、最盛期を過ぎた普通の躑躅(つつじ)もあるのですが、“ 皐月躑躅 ” (下写真)の開花時期は、普通の躑躅(つつじ)が最盛期を過ぎた頃から咲き始めることを、今回の一時帰国で初めて知ることが出来ました。

一本の木から生えた異なる枝に咲いていた白花の皐月躑躅と桃色の皐月躑躅
それと、普通の躑躅(つつじ)は、折からの五月雨(さみだれ)に打たれれると、いとも簡単に萎んでしまったのですが、“ 皐月躑躅 ” (さつき・つつじ)は、雨に打たれ強い花らしく、二度や三度の五月雨に怯むことはなく、凛として咲き誇っていたのが印象的でした。
更に、一本の木から咲いている花にも拘わらず、枝によって色や形の異なる花が混じって咲いているのにチョット驚いてしまいました(上写真)。これって、ひょっとして、“ 枝変わり ” の現象なのでしょうか?

石鹸カービングで造られたかのような “ 花月夜 ” の花
“ 沖縄月見草 ” の根元に “ 花月夜 ”(上写真)らしきものが繁茂していました。多肉種の如き植物は、普通は鉢植えだと思うのですが、我が家の荒庭では、庭土にしっかりと根付いて繁茂していました。多分、その昔、鉢植えしていた花月夜の葉が庭土の上に零れ落ち、それから根が出て繁茂したに違いありません。
“ 花月夜 ” という花は、見れば見るほど、タイで盛んな“ 石鹸カービング ” で造られた花を思わせるような、なんとも風変わりな花でした。
空き家同然の我が家の庭で放置されているにも拘わらず、健気にも留守番役を務めてくれていた小さな花たちがとても愛しく思われる一時帰国でした。

このバラの花の根元に小さくて可憐な幾種もの花が生き長らえていました。
バンコクで留守番をしている家内に電話すると、これらの小さな花も、バラの花(上記写真)と同じように、20年もの間、殆ど手入れされることなく放置されたままになっているのだと言います。
小さくて虚弱な花に見えるのですが、生い茂る雑草の猛威をものともせずに健気に生き長らえている様相は、なかなか、どうして、見上げた根性花です。本日のBLOGでは、こんな小さな花たちをとり上げて見たいと思います。
僕の目に先ず飛び込んできた花は、雑草の中に楚々と咲いていた小さくて可憐な “ 都忘れ ” です(下写真)。“ 都忘れ ” とは、何とも奥ゆかしい響きを持った意味深な名前ですが、随分と古の時代の伝説から来ていることが分かりました。

高さ1m余りのバラの根元に生き残っていた “ 都忘れの花 ”
鎌倉時代の承久の乱で北条氏に敗れて佐渡島へ流罪となった順徳天皇が、寂しくも侘しい生活を過ごしていた時、宿所の庭の片隅にひっそりと咲いていた小さな白い花を見て、“ この小さな白い花を見ていると、ほんのひと時だけでも、都を忘れることが出来る ” と呟いた一言から、“ 都忘れ ” と呼ばれるようになったのだとか。
“ 都忘れ ” の傍らには、“ 沖縄月見草 ” とも呼ばる “ 桃色昼咲き月見草 ” が咲いていました(下写真)。元々は北米大陸の原野に咲いていた野生種らしいのですが、沖縄が米国に統治されている時代に持ち込まれ、沖縄国内にあった米軍の練兵場に根付いた花なのだそうです。

“ 都忘れの花 ”の直ぐ傍らに咲いていた “ 沖縄月見草 ”
我が家の “ 沖縄月見草 ” も、バラの花と同じ頃に植えられた花なのだそうですが、雑草駆除をして適度の肥料を与えていた20年前には、我が家の庭を取り巻くフェンスに沿って群生していたのだそうです。
長期間に渡って放置された現在は、過っての群生とは程遠い状態ですが、それでも、フェンス際に沿ってポツポツと咲いていて、野生花の出身らしい強靭な生命力の一端を見ることが出来ました。
“ 沖縄月見草 ” の並びに、“ 皐月躑躅 ” (さつき・つつじ) も僅かに咲いていました。その傍らに、最盛期を過ぎた普通の躑躅(つつじ)もあるのですが、“ 皐月躑躅 ” (下写真)の開花時期は、普通の躑躅(つつじ)が最盛期を過ぎた頃から咲き始めることを、今回の一時帰国で初めて知ることが出来ました。

一本の木から生えた異なる枝に咲いていた白花の皐月躑躅と桃色の皐月躑躅
それと、普通の躑躅(つつじ)は、折からの五月雨(さみだれ)に打たれれると、いとも簡単に萎んでしまったのですが、“ 皐月躑躅 ” (さつき・つつじ)は、雨に打たれ強い花らしく、二度や三度の五月雨に怯むことはなく、凛として咲き誇っていたのが印象的でした。
更に、一本の木から咲いている花にも拘わらず、枝によって色や形の異なる花が混じって咲いているのにチョット驚いてしまいました(上写真)。これって、ひょっとして、“ 枝変わり ” の現象なのでしょうか?

石鹸カービングで造られたかのような “ 花月夜 ” の花
“ 沖縄月見草 ” の根元に “ 花月夜 ”(上写真)らしきものが繁茂していました。多肉種の如き植物は、普通は鉢植えだと思うのですが、我が家の荒庭では、庭土にしっかりと根付いて繁茂していました。多分、その昔、鉢植えしていた花月夜の葉が庭土の上に零れ落ち、それから根が出て繁茂したに違いありません。
“ 花月夜 ” という花は、見れば見るほど、タイで盛んな“ 石鹸カービング ” で造られた花を思わせるような、なんとも風変わりな花でした。
空き家同然の我が家の庭で放置されているにも拘わらず、健気にも留守番役を務めてくれていた小さな花たちがとても愛しく思われる一時帰国でした。