5月21日から、急な所用で、日本に一時帰国することになりました。
タイへの戻りは6月15日の予定ですが、極力早期に所要を片付けて、早めにタイに戻りたいと思っています。
今回の日本帰国がもう少し早く分っていれば、BLOG予約記事を書き溜めて置く対応も取れたのですが・・・止むを得ないので、今まで訪れたタイの遺跡写真を穴埋めとして予約掲載することにしました。
本日の写真も、前回BLOGに続いて、スコ-タイ王朝時代(13世紀)の三大重要衛星都市の一つ、“ スィーサッチャナーライ ” ศรีสัชชนาลัย に遺された寺院遺跡です。
本日の写真の寺院名は “ ワット・ジャオ・ジャン ” วัดเจ้าจันทร์ です。その意味合いは、恐らく “ 偉大なる月 ” だろうと思うのですが、残念ながら適切な意訳と言えるかどうか・・・余り自信がありません。
“ ジャオ・ジャン寺院 ”วัดเจ้าจันทร์ の在る場所は、遺跡公園内ではなく、東から西に向かって流れるヨム川の左岸(チャリエン地域)にあるのですが、その仏塔スタイルは、スコータイ様式(南方上座部仏教)とは異なり、典型的なクメール様式(大乗仏教)とされる尖塔形式の仏塔です。

クメール族のジャヴァルマン7世の統治時代に建立された大乗仏教のジャオ・ジャン寺院
“ ジャオ・ジャン寺院 ”が建てられたチャリエン地域は、スコータイ王朝が建国される以前の
13世紀前後、現在のタイを支配していたクメール族のジャヴァルマン7世王 ( 大乗仏教徒 ) の出城が設置されていた場所です。
ジャヴァルマン7世王(在位: 1181年-1201年)と言えば、第三アンコール期(アンコール・トム)を興隆し、ピラミッド型仏教寺院のバイヨンを建造した敬虔な大乗仏教徒ですので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
スコータイ県のスィ-サッチャナーライ遺跡公園に遺された仏塔を見ていると、大乗仏教徒のクメール族の支配を受けていたタイ民族が、クメール族の支配から脱して、タイ民族最初の国家であるスコータイ王朝を興すまでの過程、そして、大乗仏教を一掃して、南方上座部仏教(旧称: 小乗仏教)へと転換して行く過程を、目の当たりにすることが出来ます。
それにしても、日本民族の大乗仏教寺院とクメール民族の大乗仏教寺院のスタイルの違いの大きさ! 同じ大乗仏教とはとても思えない佇まいですね。
遺跡って、本当に素晴らしい!
タイへの戻りは6月15日の予定ですが、極力早期に所要を片付けて、早めにタイに戻りたいと思っています。
今回の日本帰国がもう少し早く分っていれば、BLOG予約記事を書き溜めて置く対応も取れたのですが・・・止むを得ないので、今まで訪れたタイの遺跡写真を穴埋めとして予約掲載することにしました。
本日の写真も、前回BLOGに続いて、スコ-タイ王朝時代(13世紀)の三大重要衛星都市の一つ、“ スィーサッチャナーライ ” ศรีสัชชนาลัย に遺された寺院遺跡です。
本日の写真の寺院名は “ ワット・ジャオ・ジャン ” วัดเจ้าจันทร์ です。その意味合いは、恐らく “ 偉大なる月 ” だろうと思うのですが、残念ながら適切な意訳と言えるかどうか・・・余り自信がありません。
“ ジャオ・ジャン寺院 ”วัดเจ้าจันทร์ の在る場所は、遺跡公園内ではなく、東から西に向かって流れるヨム川の左岸(チャリエン地域)にあるのですが、その仏塔スタイルは、スコータイ様式(南方上座部仏教)とは異なり、典型的なクメール様式(大乗仏教)とされる尖塔形式の仏塔です。

クメール族のジャヴァルマン7世の統治時代に建立された大乗仏教のジャオ・ジャン寺院
“ ジャオ・ジャン寺院 ”が建てられたチャリエン地域は、スコータイ王朝が建国される以前の
13世紀前後、現在のタイを支配していたクメール族のジャヴァルマン7世王 ( 大乗仏教徒 ) の出城が設置されていた場所です。
ジャヴァルマン7世王(在位: 1181年-1201年)と言えば、第三アンコール期(アンコール・トム)を興隆し、ピラミッド型仏教寺院のバイヨンを建造した敬虔な大乗仏教徒ですので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
スコータイ県のスィ-サッチャナーライ遺跡公園に遺された仏塔を見ていると、大乗仏教徒のクメール族の支配を受けていたタイ民族が、クメール族の支配から脱して、タイ民族最初の国家であるスコータイ王朝を興すまでの過程、そして、大乗仏教を一掃して、南方上座部仏教(旧称: 小乗仏教)へと転換して行く過程を、目の当たりにすることが出来ます。
それにしても、日本民族の大乗仏教寺院とクメール民族の大乗仏教寺院のスタイルの違いの大きさ! 同じ大乗仏教とはとても思えない佇まいですね。
遺跡って、本当に素晴らしい!