《 前回BLOG・インド・アジャンタ石窟の3屈法の続きです 》

アジャンタの第26聖壇窟に刻まれたトリバンガの仏像(下写真)を眺めていた英国観光団の男性二人が小声で囁きあっていました。  

男性A 『 くねった腰つきが妖しいね
男性B 『 モンローの腰つきならぬ、ブッダの腰つきだね


タイに魅せられてロングステイタイに魅せられてロングステイ
左側:首、腰、右腿を右側に屈した観音菩薩と混交した豊饒神のヤクシャ像 (アジャンタ第26聖壇窟)
右側:首、腰、左腿を左側に屈した釈迦如来の立像 (アジャンタ第26聖壇窟)

異教徒の英国人が囁く怪しからぬ声を小耳に挟みながら、実は、僕も 『 タイのスコータイの仏陀はもっと艶めかしいぞ 』 などと罰当たりなことを呟きながら、タイの古都・スコータイ県 จ.สุโขทัย で目にした女性的な遊行仏の姿を思い起こしていました。

スコータイ県 จ.สุโขทัย は、クメール(カンボジア)の支配下から脱したタイ系諸民族が、初めての自前国家であるスコ-タイ王朝 ( 意味:幸福の曙光 )を建国(1238年)した場所です。1238年の日本といえば、浄土真宗や曹洞宗などの新宗教が次々と興った鎌倉時代(1192-1333)に当たります。

タイ民族が興したスコ-タイ王朝は、クメールから政治的な独立を果たしただけではなく、インドからスリランカへ伝来した南方上座部仏教(旧称:小乗仏教)を採り入れることにより、クメール支配下時代の大乗仏教と袂を分かつ動きに出ます。これを契機にして、スコータイ王朝の仏教美術は、インドのバラモン、ヒンドゥー、そして仏教の影響を受け、クメールが遺した文化の一部とも融合しつつ、現在のタイ独特の仏教美術を育むことになります。


タイに魅せられてロングステイ
タイのスコータイ王朝が生み出した “ 歩きながら礼拝する173人の阿羅漢像 ”。顔は一人ずつ異なります。

スコータイ王朝時代に造られた仏像の姿形は、インドからスリランカ経由で伝来した南方上座部仏教(旧称:小乗仏教)の流れを汲んだ立像、坐像、涅槃像などの静止した仏像を主体としつつも、スコータイ王朝が独自の発想で創造した “ 動作の瞬間を表現した仏像 ” (上写真)もユニーク極まりないものとして進化して行く事になります。

僕の個人的な見解ですが、スコータイ王朝の王室寺院 ( ワット・マハータート วัดมหาธาตุ ) の仏塔基部に浮き彫りされた “ 礼拝する173人の阿羅漢像 ” (上写真)は、その走りとなる浮き彫りではないでしょうか?

そして、それらの完成した姿形が、スコータイの王室寺院から少し離れたワット・トラパン・グーン วัดตระพังเงิน( 銀の池の寺院 )の “ 煉瓦製の釈迦遊行仏 ”(下左写真)、そして、極め付きは、サスィー寺院 วัดสระศรี の境内に置かれた青銅製の黒っぽい“ 釈迦遊行仏 ” (下右写真)だと思います。


タイに魅せられてロングステイタイに魅せられてロングステイ
左側: スコータイ王朝の寺院遺跡 ( ワット・トラパン・グーン วัดตระพังเงิน ) 境内の煉瓦製の釈迦遊行仏(レプリカ)
右側: スコータイ王朝の寺院遺跡 ( ワット・サスィー วัดสระศรี ) 境内に置かれた究極の釈迦遊行仏(レプリカ)

スコータイ王朝で誕生したタイ独自の “ 遊行仏 ” は、タイ語で “ 優雅に歩く仏陀 ”という意味のプラ・リーラー พระลีลา (注)の名前で呼ばれていますが、英語では WALKING BUDDHA という何とも味気ない呼称が付けられています。
(注)正式名:プラ・プッタ・ループ・パーン・リーラー พระพุทธรูปปางลีลา

タイに魅せられてロングステイタイに魅せられてロングステイ
左側: タイのスコータイ寺院 ( ワット・トラパーン・トーン วัดตระพังทอง ) に遺る崩落した遊行仏の両足
右側: タイのスコータイの王室寺院 ( ワット・マハー・タート วัดมหาธาตุ ) に遺る初期の遊行仏

数年前にバンコクの某国立大学の社会学部歴史学科でスコータイ王朝とアユタヤ王朝の歴史を1年間だけ齧ったことがあります。残念ながら、寄る年波の所為で教わった内容はドンドン忘却の彼方へと消えて行くのですが、釈迦遊行仏の講義を担当した女性准教授の授業は、どうしたことなのか、妙に記憶に残っているから不思議です。

『 遊行仏はスコータイ文化が独自に創出した誇るべき仏像 』
『 釈迦如来仏の優雅な尊顔(面長、鷲鼻、曲線的な目元、口元、そして眉 』
『 優美に曲線を描いて伸びる施願印を結ぶ右手と人々の恐れを取り除く施無畏印を結ぶ左手 』
『 流れるような丸みの線を帯びた身体の線と美的な腰のくねり 』
『 透き通るような薄い衣がひるがえる足元 』


講義の最後に、『 スコータイ文化が生み出した遊行仏とは、大衆の説法と自己修養のために地方行脚に出かけようとして、正にその第一歩を踏み出そうとする釈尊の御姿なのです 』 と説いた女性准教授の誇らしそうな表情を今でも憶えています。

タイ人女性准教授の言い張りたい気持ちは分かるにしても、インドのアジャンタ石窟でトリバンガ(三屈法)の仏像を幾つも見た現在の僕は、タイ・スコータイの遊行仏の原点は、“ インド・アジャンタ石窟のトリバンガにあり ” と思えて仕方ありません。