第26番窟は、馬蹄型のワゴーラ峡谷に沿って拡がるアジャンタ石窟の最深部にある紀元5世紀末の聖壇窟です。規模としては前回BLOGで掲載した第19番窟(紀元5世紀開屈)よりも大きくて新しい聖壇窟(チャイティア)なのですが・・・
正面入口の二階部分のポーチが崩落していて、第19番聖壇窟のような建築の均衡美は既に喪失しています。前面の岩盤に浮き彫りされた仏像群の配置も、華美さは残るものの、左右のバランス感が乏しく、心に訴える印象が薄いような気がします。タイに戻ってファサード(正面ゲート)の写真を捜したのですが・・・やはり気分が乗らなかったのでしょう、一枚も撮っていませんでした。

第26番窟の左方向に第27番と28番の未完成の僧院窟がありますが、現在は2つとも立入禁止
後になって発見された第29番窟は20番21番の間、第30番(15Aと呼称)は15番と16番の間にあります。
第26番窟のファサードには特筆すべきものは少なかったのですが、聖壇窟の中に足を踏み入れると、其処には、紀元5世紀初頭の大乗仏教(第19番窟)とは異なった新しい大乗仏教(紀元6世紀初頭)の世界が拡がっていました。
奥行21m、全幅11m、高さ10mの大広間の奥に鎮座まします “ ストゥーパと仏陀の一体化 ” を御本尊とする考え方は、紀元5世初頭の大乗仏教と同じですが、紀元6世紀初頭に開窟された第26番窟では、ストゥーパの仏龕(ぶつがん)に刻まれた仏陀の姿が、今までの立像から椅子に坐る倚坐像に変化しています。更に、仏陀の足下には小さな獅子と象侍の両脇侍が加えられていました。(下右写真)
そして、ストゥーパのスタイルも、天空をイメージした半球形状の覆鉢は小さくなり、その分だけ高さが増した円形基盤内に仏龕(ぶつがん)が設けられ、その周囲にも仏陀像がビッシリと浮き彫りされていました。(下左写真)


左側: 紀元6世紀初頭に出現した大乗仏教の御本尊(ストゥーパ+仏陀の倚坐像)
右側: ストゥーパのアーチ型の仏龕(ぶつがん)に浮き彫りされた仏陀の倚坐像
第26番の聖壇窟内には、中央廊と側廊を仕切る28本の列柱が立ち並び、その列柱表面には仏陀を表す浮彫が装飾されています。高さ10mの天井を支えるように巡らされた上部壁面にも隙間なく装飾が浮き彫りされています。(上左写真)
聖壇窟の天井模様は、第19番の聖壇窟と同じように、木造寺院の垂木の天井構造を再現するかのように、岩盤を削り取って木造の雰囲気を表現しています。その技術度は、紀元前2世紀から紀元後1世紀当時の大乗仏教の聖壇窟よりは格段に進歩していることが分かります。(上左写真)

左廊に立ち並ぶ装飾された列柱と仏陀像が浮き彫りされた壁面
第26番窟のもう一つの特徴は、側廊の壁面や天井を支える上方の壁面に刻まれた仏陀の姿形に、“ 大地に両足を着けた姿勢で椅子に坐る姿 ” が大変多いことです。
初期仏教時代(上座部仏教)には、遺骨を納めた土饅頭(ストゥーパ)が御本尊でしたが、紀元5世初頭の大乗仏教期になってからは、“ ストゥーパと仏陀の立像が一体化した御本尊 ” となり、紀元6世紀初頭になると、“ ストゥーパーの仏龕(ぶつがん)の中に安置された仏陀の倚坐像が御本尊 ” となる3段階の過程を見ることが出来ました。
想像ですが、この倚坐像スタイルが、後の世に “ 蓮華座 ” となり、やがては、現在のタイの御本尊で最も多い形と思われる “ 半蓮華座 ” に変化して行くのでしょうか?

左廊の壁面に浮き彫りされた三尊形式の “ 大地に両足を着けて椅子に坐る仏陀像 ”
ファサードの明り取りの窓に近い左廊の端に、穏やかな顔立ちの仏陀の涅槃像(全長7.3m)がありました。アジャンタにある唯一最大の涅槃像だそうです。涅槃像の右手の位置は多種多様ですが、それぞれの右手の位置が入滅に至るまでの時間経過を示すと聞いています。それによると、アジャンタの涅槃像の右手の位置は、正に涅槃に入る直前のスタイルと云うことになります。(下写真)

第26番窟に横たわっていた7.3mの涅槃像
第26番窟に刻まれた仏陀像で最も多いのは、三尊形式の椅子に坐る仏陀ですが、それ以外にも多様なスタイルがありました。
次回に続きます。
正面入口の二階部分のポーチが崩落していて、第19番聖壇窟のような建築の均衡美は既に喪失しています。前面の岩盤に浮き彫りされた仏像群の配置も、華美さは残るものの、左右のバランス感が乏しく、心に訴える印象が薄いような気がします。タイに戻ってファサード(正面ゲート)の写真を捜したのですが・・・やはり気分が乗らなかったのでしょう、一枚も撮っていませんでした。

第26番窟の左方向に第27番と28番の未完成の僧院窟がありますが、現在は2つとも立入禁止
後になって発見された第29番窟は20番21番の間、第30番(15Aと呼称)は15番と16番の間にあります。
第26番窟のファサードには特筆すべきものは少なかったのですが、聖壇窟の中に足を踏み入れると、其処には、紀元5世紀初頭の大乗仏教(第19番窟)とは異なった新しい大乗仏教(紀元6世紀初頭)の世界が拡がっていました。
奥行21m、全幅11m、高さ10mの大広間の奥に鎮座まします “ ストゥーパと仏陀の一体化 ” を御本尊とする考え方は、紀元5世初頭の大乗仏教と同じですが、紀元6世紀初頭に開窟された第26番窟では、ストゥーパの仏龕(ぶつがん)に刻まれた仏陀の姿が、今までの立像から椅子に坐る倚坐像に変化しています。更に、仏陀の足下には小さな獅子と象侍の両脇侍が加えられていました。(下右写真)
そして、ストゥーパのスタイルも、天空をイメージした半球形状の覆鉢は小さくなり、その分だけ高さが増した円形基盤内に仏龕(ぶつがん)が設けられ、その周囲にも仏陀像がビッシリと浮き彫りされていました。(下左写真)


左側: 紀元6世紀初頭に出現した大乗仏教の御本尊(ストゥーパ+仏陀の倚坐像)
右側: ストゥーパのアーチ型の仏龕(ぶつがん)に浮き彫りされた仏陀の倚坐像
第26番の聖壇窟内には、中央廊と側廊を仕切る28本の列柱が立ち並び、その列柱表面には仏陀を表す浮彫が装飾されています。高さ10mの天井を支えるように巡らされた上部壁面にも隙間なく装飾が浮き彫りされています。(上左写真)
聖壇窟の天井模様は、第19番の聖壇窟と同じように、木造寺院の垂木の天井構造を再現するかのように、岩盤を削り取って木造の雰囲気を表現しています。その技術度は、紀元前2世紀から紀元後1世紀当時の大乗仏教の聖壇窟よりは格段に進歩していることが分かります。(上左写真)

左廊に立ち並ぶ装飾された列柱と仏陀像が浮き彫りされた壁面
第26番窟のもう一つの特徴は、側廊の壁面や天井を支える上方の壁面に刻まれた仏陀の姿形に、“ 大地に両足を着けた姿勢で椅子に坐る姿 ” が大変多いことです。
初期仏教時代(上座部仏教)には、遺骨を納めた土饅頭(ストゥーパ)が御本尊でしたが、紀元5世初頭の大乗仏教期になってからは、“ ストゥーパと仏陀の立像が一体化した御本尊 ” となり、紀元6世紀初頭になると、“ ストゥーパーの仏龕(ぶつがん)の中に安置された仏陀の倚坐像が御本尊 ” となる3段階の過程を見ることが出来ました。
想像ですが、この倚坐像スタイルが、後の世に “ 蓮華座 ” となり、やがては、現在のタイの御本尊で最も多い形と思われる “ 半蓮華座 ” に変化して行くのでしょうか?

左廊の壁面に浮き彫りされた三尊形式の “ 大地に両足を着けて椅子に坐る仏陀像 ”
ファサードの明り取りの窓に近い左廊の端に、穏やかな顔立ちの仏陀の涅槃像(全長7.3m)がありました。アジャンタにある唯一最大の涅槃像だそうです。涅槃像の右手の位置は多種多様ですが、それぞれの右手の位置が入滅に至るまでの時間経過を示すと聞いています。それによると、アジャンタの涅槃像の右手の位置は、正に涅槃に入る直前のスタイルと云うことになります。(下写真)

第26番窟に横たわっていた7.3mの涅槃像
第26番窟に刻まれた仏陀像で最も多いのは、三尊形式の椅子に坐る仏陀ですが、それ以外にも多様なスタイルがありました。
次回に続きます。