第19番の聖壇窟の正面ゲート(ファサード)の前に佇んだ時、この端正なデザインが本当に紀元後5世紀の時代に造られたの!? という驚きと感激で暫し息を呑む思いがしました。
紀元前2世紀から紀元後1世紀の初期仏教時代(上座部仏教)に造られた第9番と第10番の正面ゲートの様式にも甚く感服させられましたが、後期仏教時代(大乗仏教)に造られた第19番窟に浮き彫りされた精緻を極めた仏像装飾は、僕のような無宗教者の心も捉えて離さないほど素晴らしいものでした。(下写真)

紀元後5世紀の大乗仏教期に最初に造営された第19番窟(聖壇窟)の正面ゲート
第19番聖壇窟の馬蹄形窓の左右に浮き彫りされた彫像は、この石窟の守門神を務める “ ヤクシャ ”( YakshaーBodhisattva )だと教えられたのですが、その時はどのような神なのか全く理解できませんでした。
バンコクに戻って調べると、向かって左側のヤクシャ像は “ 観音菩薩 ” と混交した像、右側のヤクシャ像は “ 弥勒菩薩 ” と混交した仏像だと判ったのですが、日本で見覚えのある観音菩薩や弥勒菩薩の面影とは似ても似つかない厳つい風貌の菩薩様でした。(上写真)
上の写真には写っていませんが、ヤクシャの足元にはクベーラという財宝神と北方守護神を司る神が刻まれています。 左壁の下方を見遣ると、其処には片膝を立てて坐る龍王に寄り添う龍妃の像、その上方には、サルナート様式と言われる優美な仏陀像などなど・・・
初期仏教(上座部仏教)の時代には、その姿すら無かった仏像が、後期仏教(大乗仏教)の時代になると、岩盤の壁面の隅から隅まで埋め尽くし、我が世の春とばかりに生き生きと台頭して来ます。

第19番の聖壇窟の正面横壁に浮彫りされたサルナート様式の仏陀像
紀元後5世紀の後期仏教(大乗仏教)に入ると、紀元前2世紀から紀元後1世紀にかけて崇められていた御本尊のストゥーパ(土饅頭の仏塔)に代わって、仏陀像を御本尊として祀る聖壇窟や僧院窟が次から次と造営されるようになり、釈尊が固く禁じていた偶像崇拝の時代へと移ることになります。
上写真は、第19番窟の正面左横壁の上方に浮き彫りにされたユニークな仏陀立像です。普通の人間の右手よりは長くて大きな掌が右膝頭の下まで垂れ下がり、その掌は与願印を結ぶかのように、“ 貴方の願いは私の掌の中にありますよ ” とばかりに僕たちに向かって開かれています。
そして、左肩から左足首にかけて垂れ下がった見るかに薄い衣の裾が、右足首の辺りに纏わり付く様は、力強い中にも何とも表現し難い優美さが感じられます。
このような裸に近い仏像が生まれたのは、釈尊入滅された500年後の紀元後1世紀頃、デリー南方のマトーラ地方(マトーラ仏)だとする説があります。その後、グプタ朝の影響を取り入れてグブタ仏となり、更に、初転法輪の地で有名なサルナートで薄い衣に肉体の曲線を露わにしたスタイルとして完成することになります。
19番聖壇窟の内部は次回に続きます。
紀元前2世紀から紀元後1世紀の初期仏教時代(上座部仏教)に造られた第9番と第10番の正面ゲートの様式にも甚く感服させられましたが、後期仏教時代(大乗仏教)に造られた第19番窟に浮き彫りされた精緻を極めた仏像装飾は、僕のような無宗教者の心も捉えて離さないほど素晴らしいものでした。(下写真)

紀元後5世紀の大乗仏教期に最初に造営された第19番窟(聖壇窟)の正面ゲート
第19番聖壇窟の馬蹄形窓の左右に浮き彫りされた彫像は、この石窟の守門神を務める “ ヤクシャ ”( YakshaーBodhisattva )だと教えられたのですが、その時はどのような神なのか全く理解できませんでした。
バンコクに戻って調べると、向かって左側のヤクシャ像は “ 観音菩薩 ” と混交した像、右側のヤクシャ像は “ 弥勒菩薩 ” と混交した仏像だと判ったのですが、日本で見覚えのある観音菩薩や弥勒菩薩の面影とは似ても似つかない厳つい風貌の菩薩様でした。(上写真)
上の写真には写っていませんが、ヤクシャの足元にはクベーラという財宝神と北方守護神を司る神が刻まれています。 左壁の下方を見遣ると、其処には片膝を立てて坐る龍王に寄り添う龍妃の像、その上方には、サルナート様式と言われる優美な仏陀像などなど・・・
初期仏教(上座部仏教)の時代には、その姿すら無かった仏像が、後期仏教(大乗仏教)の時代になると、岩盤の壁面の隅から隅まで埋め尽くし、我が世の春とばかりに生き生きと台頭して来ます。

第19番の聖壇窟の正面横壁に浮彫りされたサルナート様式の仏陀像
紀元後5世紀の後期仏教(大乗仏教)に入ると、紀元前2世紀から紀元後1世紀にかけて崇められていた御本尊のストゥーパ(土饅頭の仏塔)に代わって、仏陀像を御本尊として祀る聖壇窟や僧院窟が次から次と造営されるようになり、釈尊が固く禁じていた偶像崇拝の時代へと移ることになります。
上写真は、第19番窟の正面左横壁の上方に浮き彫りにされたユニークな仏陀立像です。普通の人間の右手よりは長くて大きな掌が右膝頭の下まで垂れ下がり、その掌は与願印を結ぶかのように、“ 貴方の願いは私の掌の中にありますよ ” とばかりに僕たちに向かって開かれています。
そして、左肩から左足首にかけて垂れ下がった見るかに薄い衣の裾が、右足首の辺りに纏わり付く様は、力強い中にも何とも表現し難い優美さが感じられます。
このような裸に近い仏像が生まれたのは、釈尊入滅された500年後の紀元後1世紀頃、デリー南方のマトーラ地方(マトーラ仏)だとする説があります。その後、グプタ朝の影響を取り入れてグブタ仏となり、更に、初転法輪の地で有名なサルナートで薄い衣に肉体の曲線を露わにしたスタイルとして完成することになります。
19番聖壇窟の内部は次回に続きます。