《前回BLOGの虎の洞窟寺の続きです》
“ 虎の洞窟寺 ” の看板を見て、生きた虎を15頭を飼っている寺院に違いないと思い込んで訪ねたところが、セメント製の等身大の虎を飾った寺院だったとは・・・それにしても、紛らわしい名前の寺院でした。
タイ人ガイドがいれば間違うこともないのでしょうが、僕のように単独行を好む方々のために、今一度、二つの寺名を併記して置きましょう。
●セメント製の虎がいる寺院のタイ語名は、ワット・タム・スア วัดถ้ำเสือ ( 虎の洞窟寺 )。
●生きた虎がいる寺院のタイ語名は、ワット・パー・ルアン・ター・ブア วัดป่าหลวงตาบัว ญาณสัมปันโน 。
後者の英語通称名は、“ タイガー・テンプル ” だそうですが、僕にその寺院に行くように奨めてくれた給油スタンドのタイ人男性は、タイ語の長ったらしい寺院名を略して วัดป่าหลวงตาบัว と言っていました。
残念ながら、15頭の生きた虎と寝そべったりすることが出来る “ タイガー・テンプル ” には行けなかったのですが、生きた虎と接することに興味があるかも知れない読者の方々のために、“ タイガー・テンプル ” とは別の場所ですが、2頭の生きた虎の尻尾を握り締める僕の息子家族の写真をUPしておきます。

バンコク隣県の象の実演会場の中に、生きた虎と写真を撮れるコーナーがありました。(有料)
冒頭から話が横道に逸れてしまいました。ワット・タム・スア วัดถ้ำเสือ ( 虎の洞窟寺 ) の話に戻りましょう。
この丘の上の狭いスペースには、前回BLOGでも触れましたが、二つの異質な仏教寺院が軒を並べています。一つは、中国系大乗仏教寺院のワット・タム・カオノイ(小さな山の洞窟寺院)、もう一つは、南方上座部仏教(旧小乗仏教)の流れを汲むタイ仏教 วัดถ้ำเสือ ( 虎の洞窟寺 )です。

南方上座部仏教(旧小乗仏教)流れを汲むタイ仏教寺院のワット・タム・スアの境内
・写真内左側: タイ仏教の黄金仏塔
・写真内中央: タイ仏教の黄金尖塔(礼拝堂を兼ねたモーンドップ)
・写真内中央: 低い屋根はタイ仏教の布薩堂(本堂)
・写真内右手: 半球屋根はタイ仏教が崇める釈迦如来像が安置された仏堂
写真内中央: 白い多重塔は中国系大乗仏教寺院のワット・タム・カオノイの仏塔
中国系大乗仏教寺院のワット・タム・カオノイ(小さな山の洞窟寺院)には、中国寺院特有のドギツイ色彩の御堂や鐘楼、そして、照普光佛などが安置されていると聞いたのですが・・・中国系大乗仏教が感覚的に合わない僕としては、失礼ながら参拝を遠慮させて頂きました。 過っては中国(北京)に駐在していたこともある僕ですが・・如何としても親しみが湧かないのです。我がままな僕をお許し下さい。
生きた虎を飼っている寺院と思い込んで訪問した僕達に、“ がっかりしないで、ワット・タム・スアを見学して行って下さいね ” と宣ったタイ女性の人柄に絆されて、タイ仏教寺院のワット・タム・スア(虎の洞寺院)だけを一回りすることにしました。

半球形状の仏堂に安置されていた釈迦如来像(?)
ワット・タム・スア(虎の洞窟寺)の境内の真ん中に設えられた半球形状の仏堂内に巨大な黄金の釈迦如来(?)が安置されていました。残念ながら、大きさを示す具体的な数値は聞き漏らしてしまいましたが、上写真左下隅で合掌する信徒の大きさを見れば、その巨大さをお分かり頂けると思います。
実は、僕は勝手に “ 釈迦如来像 ” と書いてしまったのですが・・・その理由は、タイ仏教で崇められる仏像は、大乗仏教系の中国や日本と違って、唯一 “ 釈迦仏 ” だけだと思っているからなのですが・・・この仏像の手が結ぶ 印相 の“ 上品下生 ” ( じょうぼん・げしょう )” を眺めている内に自信がぐら付き始めてしまいました・・・


左写真: 右胸の位置にある右手の親指と人差し指が丸い輪になっています。上品(じょうぼん)
右写真: 親指と人差し指が丸い輪になった左手が左膝の上にあります。下生(げしょう)
“ 上品下生 ” の印相は、阿弥陀如来が極楽浄土から迎えに来る時の九つの印相 ( 九品来迎印・くぼんらいごういん ) の一つだと聞いたことがあります。だとすると、この巨大な黄金仏は、“ 釈迦如来 ” ではなく、“ 阿弥陀如来 ” ということになるのでしょうか???
歴史的に考えても、紀元前とはいえ、現実に此の世に存在した御仁は “ 釈迦如来 ” だけであって、“ 阿弥陀如来 ” や “ 薬師如来 ” は、人間の存在する世界で生存した御方ではありません。不敬を承知で言えば、“ フィクションの世界 ” に存在した御方ですよね。
無宗教の僕ではありますが、タイ仏教(南方上座部仏教系)が崇める仏像が、唯一、人間世界に存在した “ 釈迦如来 ” だけであることに関して、どこか心に通ずるものを感じています。そんな僕としては、この巨大な黄金仏は、やはり “ 釈迦如来 ” であって欲しいと願うのですが・・・余りにも得手勝手な方便というものでしょうか?
“ 虎の洞窟寺 ” の看板を見て、生きた虎を15頭を飼っている寺院に違いないと思い込んで訪ねたところが、セメント製の等身大の虎を飾った寺院だったとは・・・それにしても、紛らわしい名前の寺院でした。
タイ人ガイドがいれば間違うこともないのでしょうが、僕のように単独行を好む方々のために、今一度、二つの寺名を併記して置きましょう。
●セメント製の虎がいる寺院のタイ語名は、ワット・タム・スア วัดถ้ำเสือ ( 虎の洞窟寺 )。
●生きた虎がいる寺院のタイ語名は、ワット・パー・ルアン・ター・ブア วัดป่าหลวงตาบัว ญาณสัมปันโน 。
後者の英語通称名は、“ タイガー・テンプル ” だそうですが、僕にその寺院に行くように奨めてくれた給油スタンドのタイ人男性は、タイ語の長ったらしい寺院名を略して วัดป่าหลวงตาบัว と言っていました。
残念ながら、15頭の生きた虎と寝そべったりすることが出来る “ タイガー・テンプル ” には行けなかったのですが、生きた虎と接することに興味があるかも知れない読者の方々のために、“ タイガー・テンプル ” とは別の場所ですが、2頭の生きた虎の尻尾を握り締める僕の息子家族の写真をUPしておきます。

バンコク隣県の象の実演会場の中に、生きた虎と写真を撮れるコーナーがありました。(有料)
冒頭から話が横道に逸れてしまいました。ワット・タム・スア วัดถ้ำเสือ ( 虎の洞窟寺 ) の話に戻りましょう。
この丘の上の狭いスペースには、前回BLOGでも触れましたが、二つの異質な仏教寺院が軒を並べています。一つは、中国系大乗仏教寺院のワット・タム・カオノイ(小さな山の洞窟寺院)、もう一つは、南方上座部仏教(旧小乗仏教)の流れを汲むタイ仏教 วัดถ้ำเสือ ( 虎の洞窟寺 )です。

南方上座部仏教(旧小乗仏教)流れを汲むタイ仏教寺院のワット・タム・スアの境内
・写真内左側: タイ仏教の黄金仏塔
・写真内中央: タイ仏教の黄金尖塔(礼拝堂を兼ねたモーンドップ)
・写真内中央: 低い屋根はタイ仏教の布薩堂(本堂)
・写真内右手: 半球屋根はタイ仏教が崇める釈迦如来像が安置された仏堂
写真内中央: 白い多重塔は中国系大乗仏教寺院のワット・タム・カオノイの仏塔
中国系大乗仏教寺院のワット・タム・カオノイ(小さな山の洞窟寺院)には、中国寺院特有のドギツイ色彩の御堂や鐘楼、そして、照普光佛などが安置されていると聞いたのですが・・・中国系大乗仏教が感覚的に合わない僕としては、失礼ながら参拝を遠慮させて頂きました。 過っては中国(北京)に駐在していたこともある僕ですが・・如何としても親しみが湧かないのです。我がままな僕をお許し下さい。
生きた虎を飼っている寺院と思い込んで訪問した僕達に、“ がっかりしないで、ワット・タム・スアを見学して行って下さいね ” と宣ったタイ女性の人柄に絆されて、タイ仏教寺院のワット・タム・スア(虎の洞寺院)だけを一回りすることにしました。

半球形状の仏堂に安置されていた釈迦如来像(?)
ワット・タム・スア(虎の洞窟寺)の境内の真ん中に設えられた半球形状の仏堂内に巨大な黄金の釈迦如来(?)が安置されていました。残念ながら、大きさを示す具体的な数値は聞き漏らしてしまいましたが、上写真左下隅で合掌する信徒の大きさを見れば、その巨大さをお分かり頂けると思います。
実は、僕は勝手に “ 釈迦如来像 ” と書いてしまったのですが・・・その理由は、タイ仏教で崇められる仏像は、大乗仏教系の中国や日本と違って、唯一 “ 釈迦仏 ” だけだと思っているからなのですが・・・この仏像の手が結ぶ 印相 の“ 上品下生 ” ( じょうぼん・げしょう )” を眺めている内に自信がぐら付き始めてしまいました・・・


左写真: 右胸の位置にある右手の親指と人差し指が丸い輪になっています。上品(じょうぼん)
右写真: 親指と人差し指が丸い輪になった左手が左膝の上にあります。下生(げしょう)
“ 上品下生 ” の印相は、阿弥陀如来が極楽浄土から迎えに来る時の九つの印相 ( 九品来迎印・くぼんらいごういん ) の一つだと聞いたことがあります。だとすると、この巨大な黄金仏は、“ 釈迦如来 ” ではなく、“ 阿弥陀如来 ” ということになるのでしょうか???
歴史的に考えても、紀元前とはいえ、現実に此の世に存在した御仁は “ 釈迦如来 ” だけであって、“ 阿弥陀如来 ” や “ 薬師如来 ” は、人間の存在する世界で生存した御方ではありません。不敬を承知で言えば、“ フィクションの世界 ” に存在した御方ですよね。
無宗教の僕ではありますが、タイ仏教(南方上座部仏教系)が崇める仏像が、唯一、人間世界に存在した “ 釈迦如来 ” だけであることに関して、どこか心に通ずるものを感じています。そんな僕としては、この巨大な黄金仏は、やはり “ 釈迦如来 ” であって欲しいと願うのですが・・・余りにも得手勝手な方便というものでしょうか?