《 仏陀が法華経を説いた霊鷲山へ向けて 》
ブッダガヤを見学した後の僕は、実は、西方向のサールナート(初転法輪の地)には向かわずに、北方向のパトナーへ向けて旅立ったのですが・・・ブッダガヤ(成道の地)からサールナート(初転法輪の地)へ直行した仏陀(釈迦牟尼)の足跡の順路に敬意を表して、敢えて、サールナート編を6回に渡って差し挟みました。 今日から、再び僕の旅の順路に戻って、インド紀行を続けたいと思います。
ブッダガヤ(釈尊の成道の地)の大菩提寺見学を終えた僕は、当初予定では、ガヤ駅発の深夜特急列車の二段寝台でパトナー(マガダ国の首都)へ直行。其処を拠点にして、ラージギル(第一回仏教会議の地)、ナーランダー(古代の仏教大学址)、ヴァイシャーリ(第二回仏教会議の地)を見て回ることになっていたのですが・・・
ブッダガヤの宿泊先のインド人マネージャヤーの巧みな話術に乗せられて急遽予定変更。軽自動車に毛が生えたような乗用車(スズキ)に乗せられ、途轍もない悪路を6時間近くも揺られ、途中の二箇所の仏跡地に立ち寄りながら、この日の宿泊地と定めたパトナーへと向かうことになりました。

インド北東部の地図
地図上部の黒線の北は中国、南はネパール。上部から二番目の黒線の南はインド
仏陀の誕生地のルムピニーは、現在はネパ-ル国内にあります。
最初の目的地は、ブッダガヤの北東方向81kmのラージギルです。ところが、その道中半ばで緊急事態発生。友人2名の腹具合が急激に悪化、七転八倒の状態に陥ってしまったのです。此処はインドの “ ど田舎 ”、ドライブ・インなんて在ろう筈もありません。
ウンも尽きたかと思ったその時・・・泥と埃にまみれた背高の雑草が生い茂る畦道を発見! 二人は脱兎の如く車を飛び出して雑草の中に飛び込みました! これ以降、ラージギルに到着するまでの数時間、背高の雑草を見つける都度に、まるでパブロフの条件反射の如く、同じ行動を何度も繰り返す2人でした。
悪路と人間の生理現象に苦しめられながら、漸くにして、ラージギル(王舎城)のグリッドラクータ山(霊鷲山)とラトナギリ山(多宝山)の麓に到着しました。建物の体裁を整えた公衆トイレを目聡く見つけた友人2名は・・・またまた駆け込んで行きました。
山麓には、日本山妙法寺のあるラトナギリ山(多宝山)に通じる簡便なケーブル・カーがありますが、僕の目的地である霊鷲山(グリッドラクータ山)へ行くには、延々と続く坂道を40分前後かけて登らなければならないようです。
ところが、我らの運転手君曰く、ケーブル・カーで多宝山に登り、其処から右に折れる下りの坂道を利用すれば、楽々で霊鷲山(グリッドラクータ山)へ到達することが出来ると言うのです。そうと聞けば、ケーブル・カー以外の選択肢はありません。

日本のスキー場で見かけるような簡易型の一人乗りリフト
前方のケーブルカーの赤い箱から中高年の女性と思しき奇声が聞こえて来ました。耳を欹てると、『 怖い! 』( ナーグルア น่ากลัว ) とうタイ語です。怖いもの知らずで肝っ玉の座ったタイ小母さんに似つかわしくない小娘のような甲高い声です。
インドの仏跡地では、多くの面白可笑しいタイ人観光客と出会うことが出来ましたが、若し、もう一度、インドの仏跡地を訪れる機会があるならば、その時は、今回のような個人旅行ではなく、仏教徒のタイ人観光ツアーに仲間入りして、愉しい逸話を聞きながら旅行して見たいと思います。
ケーブル・カーを飛び降りると、多宝山(ラトナギリ山)の山頂に聳える=日本山妙法寺に通じる道が続いています。観光客の殆どは、多宝山に向かって真っ直ぐに進むのですが、法華経誕生の地の霊鷲山(グリッドラクータ山)を目指す僕は、山道の途中から右に下る坂道を捜さねばなりません。

多宝山(ラトナギリ山)の山頂に聳える日本山妙法寺の白亜の仏塔
今回の旅行ではスキップした “ 日本山妙法寺 ”(上写真) ですが、後で聞いたところによると、日蓮宗系の出家者グループによって創設された仏教寺院なのだそうです。妻帯禁止で檀家も持たず、南無妙法蓮華を唱えて世界平和と非暴力を願い、世界に仏舎利塔を建立する宗派なのだとか。
日本仏教の僧侶が妻帯できる事を知らないタイ人は、それが事実だと知ると例外なく驚きの声を発しますが、日本にも妻帯を認めない仏教の宗派があったのですね。迂闊にも知りませんでした。
僕がまだ子供だった頃、冬が到来すると、団扇太鼓を撥で叩きながら南無妙法蓮華を唱えて各家庭を回る修行僧の団体がいましたが・・・あの宗派とは違いますよね?
暫し坂道を登ると、真っ直ぐ登ると多宝山、右へ下ると霊鷲山の標識がありました。多宝山へ向かう人々と別れて右へ下る急な坂道をドンドン下ると・・・前方の谷間の向こうに四角形に構築された小さな城郭のような遺跡が見えて来ました(下写真)。姿形からして、仏陀が多くの弟子に法華経を説いたとされる霊鷲山(グリッドラクータ山)の山頂に違いありません。

仏陀が法華経を説いたとされる霊鷲山(グリッドラクータ山)
次回に続きます。
ブッダガヤを見学した後の僕は、実は、西方向のサールナート(初転法輪の地)には向かわずに、北方向のパトナーへ向けて旅立ったのですが・・・ブッダガヤ(成道の地)からサールナート(初転法輪の地)へ直行した仏陀(釈迦牟尼)の足跡の順路に敬意を表して、敢えて、サールナート編を6回に渡って差し挟みました。 今日から、再び僕の旅の順路に戻って、インド紀行を続けたいと思います。
ブッダガヤ(釈尊の成道の地)の大菩提寺見学を終えた僕は、当初予定では、ガヤ駅発の深夜特急列車の二段寝台でパトナー(マガダ国の首都)へ直行。其処を拠点にして、ラージギル(第一回仏教会議の地)、ナーランダー(古代の仏教大学址)、ヴァイシャーリ(第二回仏教会議の地)を見て回ることになっていたのですが・・・
ブッダガヤの宿泊先のインド人マネージャヤーの巧みな話術に乗せられて急遽予定変更。軽自動車に毛が生えたような乗用車(スズキ)に乗せられ、途轍もない悪路を6時間近くも揺られ、途中の二箇所の仏跡地に立ち寄りながら、この日の宿泊地と定めたパトナーへと向かうことになりました。

インド北東部の地図
地図上部の黒線の北は中国、南はネパール。上部から二番目の黒線の南はインド
仏陀の誕生地のルムピニーは、現在はネパ-ル国内にあります。
最初の目的地は、ブッダガヤの北東方向81kmのラージギルです。ところが、その道中半ばで緊急事態発生。友人2名の腹具合が急激に悪化、七転八倒の状態に陥ってしまったのです。此処はインドの “ ど田舎 ”、ドライブ・インなんて在ろう筈もありません。
ウンも尽きたかと思ったその時・・・泥と埃にまみれた背高の雑草が生い茂る畦道を発見! 二人は脱兎の如く車を飛び出して雑草の中に飛び込みました! これ以降、ラージギルに到着するまでの数時間、背高の雑草を見つける都度に、まるでパブロフの条件反射の如く、同じ行動を何度も繰り返す2人でした。
悪路と人間の生理現象に苦しめられながら、漸くにして、ラージギル(王舎城)のグリッドラクータ山(霊鷲山)とラトナギリ山(多宝山)の麓に到着しました。建物の体裁を整えた公衆トイレを目聡く見つけた友人2名は・・・またまた駆け込んで行きました。
山麓には、日本山妙法寺のあるラトナギリ山(多宝山)に通じる簡便なケーブル・カーがありますが、僕の目的地である霊鷲山(グリッドラクータ山)へ行くには、延々と続く坂道を40分前後かけて登らなければならないようです。
ところが、我らの運転手君曰く、ケーブル・カーで多宝山に登り、其処から右に折れる下りの坂道を利用すれば、楽々で霊鷲山(グリッドラクータ山)へ到達することが出来ると言うのです。そうと聞けば、ケーブル・カー以外の選択肢はありません。

日本のスキー場で見かけるような簡易型の一人乗りリフト
前方のケーブルカーの赤い箱から中高年の女性と思しき奇声が聞こえて来ました。耳を欹てると、『 怖い! 』( ナーグルア น่ากลัว ) とうタイ語です。怖いもの知らずで肝っ玉の座ったタイ小母さんに似つかわしくない小娘のような甲高い声です。
インドの仏跡地では、多くの面白可笑しいタイ人観光客と出会うことが出来ましたが、若し、もう一度、インドの仏跡地を訪れる機会があるならば、その時は、今回のような個人旅行ではなく、仏教徒のタイ人観光ツアーに仲間入りして、愉しい逸話を聞きながら旅行して見たいと思います。
ケーブル・カーを飛び降りると、多宝山(ラトナギリ山)の山頂に聳える=日本山妙法寺に通じる道が続いています。観光客の殆どは、多宝山に向かって真っ直ぐに進むのですが、法華経誕生の地の霊鷲山(グリッドラクータ山)を目指す僕は、山道の途中から右に下る坂道を捜さねばなりません。

多宝山(ラトナギリ山)の山頂に聳える日本山妙法寺の白亜の仏塔
今回の旅行ではスキップした “ 日本山妙法寺 ”(上写真) ですが、後で聞いたところによると、日蓮宗系の出家者グループによって創設された仏教寺院なのだそうです。妻帯禁止で檀家も持たず、南無妙法蓮華を唱えて世界平和と非暴力を願い、世界に仏舎利塔を建立する宗派なのだとか。
日本仏教の僧侶が妻帯できる事を知らないタイ人は、それが事実だと知ると例外なく驚きの声を発しますが、日本にも妻帯を認めない仏教の宗派があったのですね。迂闊にも知りませんでした。
僕がまだ子供だった頃、冬が到来すると、団扇太鼓を撥で叩きながら南無妙法蓮華を唱えて各家庭を回る修行僧の団体がいましたが・・・あの宗派とは違いますよね?
暫し坂道を登ると、真っ直ぐ登ると多宝山、右へ下ると霊鷲山の標識がありました。多宝山へ向かう人々と別れて右へ下る急な坂道をドンドン下ると・・・前方の谷間の向こうに四角形に構築された小さな城郭のような遺跡が見えて来ました(下写真)。姿形からして、仏陀が多くの弟子に法華経を説いたとされる霊鷲山(グリッドラクータ山)の山頂に違いありません。

仏陀が法華経を説いたとされる霊鷲山(グリッドラクータ山)
次回に続きます。