《 ヒンドゥーの聖地から仏教の聖地へ向かう 》

ヴァーラーナスィのガンジス河畔(ガンガ)で見聞したことばかりに気が取られ、その他の場所について全く触れていないことに気付きました。このヒンドゥー教の聖地を去るにあたっての最低限の礼儀として、数枚の写真を掲載して置きたいと思います。

お世辞にも綺麗とは言い難いバンコクに居住している僕が、『 こんなに汚くて煩い町を見たことがない 』 と吃驚するほど、ヴァーラーナスィの凄まじさは際立っていましたが、一箇所だけ、それなりに清潔で静寂な地域がありました。広大な緑のキャンパスを有するヴァーラーナスィー・ヒンドゥー大学です。

異教徒の立ち入りを許可していないヒンドゥ-寺院が多い中、この大学構内にあるヴィシュワナート寺院(下左写真)は、僕のような異教徒の入場を認めている数少ない寺院の一つです(下写真)。ガンジス河畔にも同名の寺院がありましたが、其処には小銃を小脇に構えた何人もの警察官がいて、異教徒の僕が門前に佇むことさえ許されませんでした。

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左: ヒンドゥー大学構内のヴィシュワナート寺院
右: ヴィシュワナート寺院内の白大理石に記されたヒンドゥー教叙事詩(?)の一部


ヒンドゥ-寺院の堂内(下写真)には、仏教寺院のようなゴテゴテした飾りは何もなく、整然とした広間があるだけでした。 堂内の周囲の壁には、インドの有名な叙事詩 “ ラーマーヤナ ” と思われる文言とイラストを刻んだ大理石板が何枚も嵌め込んであります(上右写真)。若しも “ ラーマーヤナ ” だとするならば、タイ国民の老若男女の誰もが愛する “ ラーマキアン ” のベースとなったインド叙事詩が目の前にあることになるのですが・・・ヒンドゥー語を識字できない僕には確かめようもありません。

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涼風が吹き抜ける構造になったヴィシュワナート寺院の堂内

生と死、聖と俗、虚と実、善と悪、なんでもありだったヒンドゥー教聖地のヴァーラーナスィーから、今度は、仏教の聖地が点在するブッダガヤへ向けて、深夜特急で移動する出発時間(午前01時45分)が近づきました。目的地のガヤ駅到着は、約5時間後の午前06:30分になる予定です。

定刻から遅れること30分余りで到着(インド鉄道にしては上出来)した深夜特急の2A寝台(エアコン付の二段式寝台)に乗り込みました。小さな非常灯だけが点る車内は薄暗く、既に就寝した乗客の軽い寝息が聞こえます。

すると、僕の隣の寝台の下段に寝ていた大柄なインド人が起き出して来て、唐突に、『 チップを頂きたい 』 と囁くではありませんか。 呆気に取られながらも、TIPの要請を頑なに拒否する僕に、相手は執念深く追い縋ります。 

僕 『 いい加減にしないと車掌を呼びますよ! 』
彼 『 車掌? 車掌は僕だよ 』
僕 『 ?!?! 』
彼 『 夜中にも拘わらず、貴方のために待機していたのです 』
僕  ( 眠っていたくせに!) 彼を睨み付ける僕
彼 『 TIPはサービスに対する当然の対価です』
僕 『 ?!?!』


そんな彼を相手にするのも馬鹿らしくなり、上段ベッドに這い上がった僕は、毛布で頭をスッポリ覆って眠りに就きました。 ガヤ駅に到着するまで約5時間もあるのですから。

就寝している合間を縫って、ヴァーラーナスィーで見学したチョット風変わりな建物の“ バーラト・マーター・マンディール ”(下写真)を紹介しましょう。 この建物の外観を漫然と見ると、インドの富貴な人の別荘のように見えるのですが・・・ 

“ バーラト・マーター・マンディール ”を英訳すると、“ Mother India Temple ”。日本語に意訳すると、“ 母なるインドの大地を崇め奉る寺院 ” とでもなるのでしょうか。これでも歴としたヒンドゥー教寺院なのだそうです。


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別荘と見間違うようなヒンドゥー教のバーラト・マーター寺院

名は体を表すではありませんが、この寺院の堂内のど真ん中に、大量の白大理石を削って積み重ねたインド大地の巨大な立体地形がありました。下の写真は立体地形の一部を俯瞰したものですが、半地下にある覗き窓から見ると、海抜ゼロ・メートルからのインド台地を目の当たりにすることが出来ます。まだ見ぬエベレストの急峻さ、これから訪れるブッダガヤとデカン高原の位置関係も手に取るように見ることが出来る優れものです。

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バーラト・マーター寺院内に造られた白大理石製のインド大地の立体地形

話を元に戻しましょう。

インドの列車は、列車遅延の説明は疎か、列車の出発案内、駅への到着案内もありません。いつの間にか出発し、いつの間にか到着するのです。 乗客が自分の目的地で正しく降車するには、到着駅ホームの駅名標識を見て確認するか、周りのインド人に確認するしかありません。いずれにしても、僅か三分程度の停車時間しかなく、慣れない外国人にとっては厄介なシステムです。

僕が目指すガヤ駅は、到着時間が早朝であること、ヒンドゥー教ではなく、仏教の聖地が点在する駅であることも手伝って、同じ列車の箱に乗り合わせた乗客のインド人の多くは、まだ睡眠の真っ最中です。深夜にTIPを要求して来た図々しい車掌のベッドを見ると・・・蛻抜けの殻でした。 

已むを得ず、乗り過ごさないようにと6時前から起床してスタンバイをしていると、ブッダガヤを初めて訪れるというモンゴルの仏教僧から英語で話かけられました。

僧 『 ガヤ駅はまだですか? 』
僕 『 まだのようですが、次の駅だと思います 』
僧 『 ガヤ駅に着いたら教えて下さい 』

僧 『 ス・モ・ウはお好きですか? 』
僕 『 好きですよ 』
僧 『 ハ・ク・ホ・ウを知っていますか? 』
僕 『 ハクホウ? アー、白鳳ですね、知っていますよ 』
僧 『 ア・マも知っていますか? 』
僕 『 安馬は大好きです! 朝青龍もいますね 』
僧 『 彼は行儀が良くないそうですが? 』


そんな取留めもない話をしていると、列車の制動装置が働く音がして、列車の速度が急速に落ちたようです。窓外を通り過ぎて行く標識物を凝視していると、《 GAYA 》 の文字が眼前を通り過ぎて行きました。

僕はヒンドゥー語を全く知らないのですが、ヒンドゥー文字の字体を何気なく見ていて、タイ文字の字体に近似した部分があることに気付きました。

GAYA をタイ語で書くと、งายา となりますが、ヒンドゥー文字は、タイ語の上端を直線で横方向に繋いだような字体になっていました。タイ語には、パーリ語サンスクリット語が多く含まれていることは知っていましたが、よくよく考えてみると、パーリ語もサンスクリット語(梵語)も、インド・アーリア語派に属する言葉ですから、文字の字体が近似していても何の不思議もありません。予想外の新発見でした。

モンゴルの仏教僧は、ガヤ駅からブッダガヤ(釈尊が成道した地)へ直行すると言います。 ガヤ駅から前正覚山(釈尊が初めて苦行した地)に向かう僕は、束の間の時間を一緒に過ごしたモンゴル僧と別離の合掌を交わし、予約していた前正覚山に向かう車に乗り込みました。

前正覚山(釈尊が初めて苦行した地)の話は、次回にUPする予定です。