《インド旅行記の再開》

12月16日付けBLOGで、ニューデリーからヒンドゥー教の聖地のインド・ヴァーラーナースィーまで、深夜特急で移動したことを書きました。僕にとって、初めてのインド13時間の鉄道旅行でした。

12月16日付けのBLOG http://ameblo.jp/hiro-1/entry-10177777914.html

ところが、翌日になってPCが突然ダウン、回復するのに7日余りも要してしまい、インド旅行記を中断する羽目に陥ったのですが・・・気を取り直して、本日より “ ヴァーラーナースィー編 ” を再開することにしました。

ヴァーラーナスィーと聞けば、殆どの人が、ガンガ(ガンジス河)の河畔に沿って拡がるヒンドゥー教の聖地を思い浮かべるようですが、仏教国のタイに住む僕としては、郊外の北に残る仏教の四大聖地の一つ、サールナートの “ 初転法輪の地 ” も見逃す訳にはいきません。
(サールナートについては後日に掲載する予定です)

ニューデリーを夕方に発った特急の深夜列車は、約一時間遅れの翌朝8時半頃、人混みでごった返すヴァナーラスィー駅 に到着しました。 駅前に屯する異常なまでに執拗で嘘吐師まがいのオート・リキシャ(殆どホテルと連んでいる)を袖にあしらいながら、ダシャーシュワメード・ガートに近い駐輪場に行ってくれる流しのオート・リキシャに乗り込みました。

ガンガ(ガンジス河)の河畔にあるゲスト・ハウスのアルカに泊れば、広いベランダからガンガの雄大な流れを眼下に見晴るかすことが出来ると聞いて3室(3人)の予約を入れたのですが・・・残念ながら満室でした。

やむなく、ガンガから徒歩で10分余り離れたゲスト・ハウスに向かい・・・屋上に上ってガンガ(ガンジス河)が流れている筈の東方を眺めたのですが・・・塵埃のような霞にすっぽりと蓋われて、聖なるガンガの雄姿を垣間見ることすら出来ません。(下写真)


タイに魅せられてロングステイ
ゲスト・ハウスの屋上から見えた荒涼たるヴァーラーナスィーの眺望
(眺望の奥にたなびく霞の下に聖なるガンジス河が流れている筈ですが・・・)

僕  『 エッ?! これがヴァーラーナスィーなの?』

僕の目に映った光景は、遥かなる昔に打ち捨てられたかのような廃墟の町並みでした。 20年前のバンコクにも、似たような貧相な建物が彼方此方にありましたが・・・それでも人間の活気が溢れ返っていたように思います・・・“ ヴァーラーナスィーには人の息吹がない ”・・・これが僕の偽らざる第一印象でした。

タイに魅せられてロングステイ
人影も見えない、翻る洗濯物すらもない、此処は死者の集る街なの?

先ずは、ガンガ(ガンジス河)を自分の眼で見ないことには何も始まりません。
入口も、出口も、方角さえも分からない阿弥陀くじのような迷路を左右に折れ曲がりながら進むと、インドらしい混沌とした通りに出ました。何とも表現し難い異臭が漂い、縦位置の写真しか撮れない程に狭くて薄汚い細道です。


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左写真: 午前9時過ぎにもかかわらず、電燈が点された侭の薄暗い細道
右写真: ガンジス河に近づくにつれて、細道に差し込み始めた上空からの薄明かり


行けども、進めども、阿弥陀くじのような路地は際限なく続きます。自転車とオートバイと人間が触れ合わんばかり往来する狭い路地にも 聖なる牛 が漫歩していました(下左写真)。この阿弥陀くじ小路に漂うえも言われない異臭は、路上に染み付いた牛体と牛糞の臭いでした。もっとも、ヒンドゥー教の人々にとっては、臭いではなく、神聖なる匂いなのでしょうが・・・

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左写真: 何処にいても邪魔者扱いされることのない聖なる牛
右写真: 階段、平坦路、坂道、何でもありのガンジス河に至る道


ヒンドゥー教徒の路上の牛に対する振る舞い(上左写真)を垣間見る機会に恵まれました。
① 牛の傍を通り過ぎる時に、右手でさり気無く牛の背中に軽く触れます。
② 牛の背中に触れた右手を、自分の額(おでこ)に当てて何やら祈りを捧げます


如何しても心から溶け込めそうもないと思いかけていたインド世界でしたが、牛と人間が、仲良く命を育むヒンドゥー世界の一端を垣間見た瞬間、思わず、絆されそうな心持ちになりかけてしまいました。

でも、冷静になって周りを振り返ると・・・牛の餌に集る数匹の犬を思いっきり木刀で殴打する輩がいました。 僕の袖口を引っ張ってお金を無心する乞食屋さんの母子もいます。 ガンジス河は直ぐ其処だと分かっているのに、ガンジス河に案内するからと法外なチップを執拗に要求する男性もいます。 

兎にも角にも、人を騙すのも、人を親切にするのも、行き着くところは全てお金の世界。 お金を持った外国人を虎視眈々と狙う人が、 聖なるガンジス河畔 の其処彼処にいるような・・・気がしてなりません。

 
僕の狭量な精神では計り知れない“ 聖と俗 ” が隅から隅まで蔓延っているのがインド世界・・・そんな心情から抜け切れない自分が情けなくなります。 

坂道の奥まった所からかなり急角度の階段(上左写真)を上り切ると、ヒンドゥー教徒が沐浴する ガート に通じる平坦路に出るのですが、クランク状になった路地の角を 聖なる牛 が塞いでいました。 やむなく、右手で牛の胴体の横を軽く押し、大きなお尻と石壁の間に生じた僅かな隙間を素早く通り抜けました。

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ガンジス河に通じる路地を塞ぐ聖なる牛

クランク状の路地を抜けると、其処には、雄大なガンガ(ガンジス河)が拡がり、数多い沐浴地の中の一つであるミール・ガートがありました。(下写真)

ガートとは、聖なるガンガ(ガンジス河)で祈りを捧げたり、沐浴をしたり、死者を火葬したりするために設けられた階段状の堤ですが、日中のガンガに居る人を観察すると、ガートに座りこんで何かを考えている人、遠くを見入っている人、洗濯をする人、洗濯物を乾かしている人、散髪をする人、牛糞を捏ねて丸形の燃料を作る人、木造ボートを洗い流している人など等、人々の姿態は正に千差万別です。

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65箇所以上もあるガートの一つのミール・ガート

ガンガ(ガンジス河)の対岸(上写真の対岸)は、何の構築物もない不毛の地が拡がっていました。 雨季になると、その殆どが川底に没してしまうので植物が育たないとする説があるかと思えば、不浄の地である故に何の構築物も建てないとする説もあったりするのですが・・・いずれにしても、この対岸の有様はガンガ特有の雰囲気を醸し出していると思います。

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ミール・ガートで洗濯をする洗濯屋さん

一方、不毛の地の手前の階段状のガートには、幾つものガート(堤)にへばり付くが如く、見るからに古そうな石造りの建物が密集しています。(下写真) 18世紀以降に隆盛を極めたインド各地のヒンドゥー教の王侯が競って構築したガンガの離宮なのだとか。

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ミール・ガートから南方向に連なるガート風景

ニューデリーを発つときに、宿泊先のマネージャーに言われたことを思い出しました。

母なるガンガ、聖なるガンガ、初めも終わりもなく永久に回り続ける世界を少しでも体得したいと思うのであれば、騙されたと思って、朝の太陽が照り輝くガンガの水面下に己の身体を沈めてみて下さい

翌朝の5時半、騙されたと思って、もう一度ミール・ガートを訪れることにしました。