《インド紀行の続きです》
好むと好まざるとに関わらず、アフリカを含む50ケ国以上の国を仕事で訪れたことのある僕は、どんな国であろうとも、それなりに対応できる耐力があると密かに自負していたのですが・・・インドに到着して僅か三日しか経っていないというのに、見たり聞いたりする何もかもが、想定以上の世界だったことを思い知らされました。
金銭を得るために、“ 人が人を騙す ”、“ 人が人に金銭を無心をする ”、それも、老若男女がこぞってあからさまに振舞う姿・・・仏教の誕生したインドの地で日常的に経験することになろうとは・・・チョット大袈裟かも知れませんがショックでした。
インド人のガイド曰く・・・
『 彼らは貧乏階級の人々です。彼らの生きる術はこれしかありません 』
『 でも、裕福な人も、人口の10%前後はいますよ 』
インドの人口は11億3千万人・・・インドの裕福な人が1億1千3百万人だとすると・・・日本の人口(1億28百万人)に迫る人々が裕福で・・・世界人口(67億人)の15%を占める人々が生活困窮者、もしくは恵まれない人とは・・・チンケな僕の頭では到底理解できない世界のような気がします。

歩道で生活する生活困窮者
中国(人口12億4千万人)に3年間駐在したことがありますが、あの何でもありの中国でも経験できなかった驚きを、僅か三日間のインド滞在で感じることになろうとは・・・僕の驚きの表情に窮したインド人ガイドの口癖は、肩をすぼめて両手を開き “ This is India ” でした。
このような事を書くつもりは無かったのですが、枕を振る積もりが、ついつい筆が滑ってしまいました。話を本題に戻すことにしましょう。
タージマハル墓廟とアグラ城の見学を終え、翌日のニューデリー発の夜汽車で、ヒンドゥ教の聖地であるガンガ(ガンジス河)のほとりにあるヴァナーラスィ(バナーラス)へ向かうために、再びデリーに戻って来ました。
相も変わらず、ニュー・デリーとオールド・デリーは、人、牛、リキシャー(輪タク)、オートリキシャー(自動三輪車)、牛車、オートバイ、四輪自動車などが渾然一体となり、凄まじいまでの騒音と塵埃を撒き散らしていました。
ベトナム戦争が終了した後のホーチミン市(サイゴン)の交通混乱も酷いものでしたが、インド・デリーの無秩序さは、それを遥かに上回るようにさえ見えます。 第二次大戦で敗れた日本の混沌とした交通事情(輪タク、三輪車、馬車、牛車も走っていました)も子供心に覚えていますが、それでも、デリーほどの混乱では無かったように思います。
このような交通状況を目の当たりにしますと、僕が机上で立案したインド旅行の時間配分案が果たして通用するのか否か?・・・チョット心配になってきました。 夕方の夜汽車が出発するニューデリー駅へ向かう道筋と時間配分を再検討する必要がありそうです。

旅行会社や中高級店が軒を並べるコンノート・プレイス
先ずは、道路混雑の酷いコンノート・プレイス(上写真)でリキシャー(輪タク)を捉まえて、ニューデリー駅への道程を予行演習して見ることにしました。
コンノート・プレイスは、その昔、インドを植民地化した英国人が切り開き、現在もブランド商品を販売する高級店が軒を並べる地域です。 しかし、直ぐ隣のネール・バザール<の路地に入ると(下写真)・・・其処は別世界! 人、牛、犬、山羊、リキシャー(輪タク)、オート・リキシャー(自動三輪車)、オートバイなどが渾然一体となった異様なゾーンが拡がっています。(下写真)

コンノート・プレイスからネール・バザールの路地に入ると・・・行く手を阻む聖なる牛
ネール・バザール通りを抜け、ニューデリー駅に通じるバハール・ガンジー通りに入っても、聖なる牛が、我がもの顔に闊歩し、リキシャー(輪タク)の行く手を阻みます。(下写真)

ニューデリ駅に通じるバハール・ガンジ通り


左:メイン・バザールになっているバハール・ガンジー通りの看板!看板!
右:オート・リキシャー(自動三輪車)の乗り入れが禁止されたバハール・ガンジー通り
ニューデリー駅が近づくと混雑は一層激しくなり、リキシャー(輪タク)も人の波に呑まれてしまって動きが取れません。 道路混雑を引き起こしている張本人が僕のような気がして、『 ここで降りるから停めて! 』 と叫ぶのですが、ニューデリー駅までの賃金契約をした運転者は、『 駅はもう直ぐだ! 』 と言って停めようとはしません。

ニューデリー駅の近くになればなるほど混雑を増すバハール・ガンジー通り
コンノート・プレイス ⇒ ネール・バザール ⇒ バハール・ガンジー通りを経てニューデリー駅に到達する最短距離を走った筈でしたが、人と牛がに阻まれて、なんと60分余りも費やしてしまいました。

日本の東京駅に相当するニューデリー駅
目の前に横たわるニューデリー駅の外観は、想像していたよりは簡素で小さな駅でした。(上写真) 駅構内で客待ちをしているのはオートリキシャー(自動三輪車)ばかり、リキシャーの姿は見えません。 夕方の夜汽車に乗る時は、『 急がば回れ! 』、最短距離の路地を走るリキシャー(輪タク)ではなく、幹線道路を走行するオートリキシャー(自動三輪車)を利用することにしました。
追伸
インドの首都・デリーのことを、心ならずも、“ 無秩序で混沌した町 ”、“ 物乞いの多い町 ” などと失礼なことを書いてしまいました。 インドを愛する方々から、“ 低次元極まりない思考 ” とお叱りを受けるに違いありませんが、インド初心者の僕が抱いた初印象ですので、何卒御容赦頂きたいと思います。
折を見てインドを再訪するつもりですが、訪問回数を重ねる毎に、僕の理解も徐々に増すのではないかと期待しています・・・
好むと好まざるとに関わらず、アフリカを含む50ケ国以上の国を仕事で訪れたことのある僕は、どんな国であろうとも、それなりに対応できる耐力があると密かに自負していたのですが・・・インドに到着して僅か三日しか経っていないというのに、見たり聞いたりする何もかもが、想定以上の世界だったことを思い知らされました。
金銭を得るために、“ 人が人を騙す ”、“ 人が人に金銭を無心をする ”、それも、老若男女がこぞってあからさまに振舞う姿・・・仏教の誕生したインドの地で日常的に経験することになろうとは・・・チョット大袈裟かも知れませんがショックでした。
インド人のガイド曰く・・・
『 彼らは貧乏階級の人々です。彼らの生きる術はこれしかありません 』
『 でも、裕福な人も、人口の10%前後はいますよ 』
インドの人口は11億3千万人・・・インドの裕福な人が1億1千3百万人だとすると・・・日本の人口(1億28百万人)に迫る人々が裕福で・・・世界人口(67億人)の15%を占める人々が生活困窮者、もしくは恵まれない人とは・・・チンケな僕の頭では到底理解できない世界のような気がします。

歩道で生活する生活困窮者
中国(人口12億4千万人)に3年間駐在したことがありますが、あの何でもありの中国でも経験できなかった驚きを、僅か三日間のインド滞在で感じることになろうとは・・・僕の驚きの表情に窮したインド人ガイドの口癖は、肩をすぼめて両手を開き “ This is India ” でした。
このような事を書くつもりは無かったのですが、枕を振る積もりが、ついつい筆が滑ってしまいました。話を本題に戻すことにしましょう。
タージマハル墓廟とアグラ城の見学を終え、翌日のニューデリー発の夜汽車で、ヒンドゥ教の聖地であるガンガ(ガンジス河)のほとりにあるヴァナーラスィ(バナーラス)へ向かうために、再びデリーに戻って来ました。
相も変わらず、ニュー・デリーとオールド・デリーは、人、牛、リキシャー(輪タク)、オートリキシャー(自動三輪車)、牛車、オートバイ、四輪自動車などが渾然一体となり、凄まじいまでの騒音と塵埃を撒き散らしていました。
ベトナム戦争が終了した後のホーチミン市(サイゴン)の交通混乱も酷いものでしたが、インド・デリーの無秩序さは、それを遥かに上回るようにさえ見えます。 第二次大戦で敗れた日本の混沌とした交通事情(輪タク、三輪車、馬車、牛車も走っていました)も子供心に覚えていますが、それでも、デリーほどの混乱では無かったように思います。
このような交通状況を目の当たりにしますと、僕が机上で立案したインド旅行の時間配分案が果たして通用するのか否か?・・・チョット心配になってきました。 夕方の夜汽車が出発するニューデリー駅へ向かう道筋と時間配分を再検討する必要がありそうです。

旅行会社や中高級店が軒を並べるコンノート・プレイス
先ずは、道路混雑の酷いコンノート・プレイス(上写真)でリキシャー(輪タク)を捉まえて、ニューデリー駅への道程を予行演習して見ることにしました。
コンノート・プレイスは、その昔、インドを植民地化した英国人が切り開き、現在もブランド商品を販売する高級店が軒を並べる地域です。 しかし、直ぐ隣のネール・バザール<の路地に入ると(下写真)・・・其処は別世界! 人、牛、犬、山羊、リキシャー(輪タク)、オート・リキシャー(自動三輪車)、オートバイなどが渾然一体となった異様なゾーンが拡がっています。(下写真)

コンノート・プレイスからネール・バザールの路地に入ると・・・行く手を阻む聖なる牛
ネール・バザール通りを抜け、ニューデリー駅に通じるバハール・ガンジー通りに入っても、聖なる牛が、我がもの顔に闊歩し、リキシャー(輪タク)の行く手を阻みます。(下写真)

ニューデリ駅に通じるバハール・ガンジ通り


左:メイン・バザールになっているバハール・ガンジー通りの看板!看板!
右:オート・リキシャー(自動三輪車)の乗り入れが禁止されたバハール・ガンジー通り
ニューデリー駅が近づくと混雑は一層激しくなり、リキシャー(輪タク)も人の波に呑まれてしまって動きが取れません。 道路混雑を引き起こしている張本人が僕のような気がして、『 ここで降りるから停めて! 』 と叫ぶのですが、ニューデリー駅までの賃金契約をした運転者は、『 駅はもう直ぐだ! 』 と言って停めようとはしません。

ニューデリー駅の近くになればなるほど混雑を増すバハール・ガンジー通り
コンノート・プレイス ⇒ ネール・バザール ⇒ バハール・ガンジー通りを経てニューデリー駅に到達する最短距離を走った筈でしたが、人と牛がに阻まれて、なんと60分余りも費やしてしまいました。

日本の東京駅に相当するニューデリー駅
目の前に横たわるニューデリー駅の外観は、想像していたよりは簡素で小さな駅でした。(上写真) 駅構内で客待ちをしているのはオートリキシャー(自動三輪車)ばかり、リキシャーの姿は見えません。 夕方の夜汽車に乗る時は、『 急がば回れ! 』、最短距離の路地を走るリキシャー(輪タク)ではなく、幹線道路を走行するオートリキシャー(自動三輪車)を利用することにしました。
追伸
インドの首都・デリーのことを、心ならずも、“ 無秩序で混沌した町 ”、“ 物乞いの多い町 ” などと失礼なことを書いてしまいました。 インドを愛する方々から、“ 低次元極まりない思考 ” とお叱りを受けるに違いありませんが、インド初心者の僕が抱いた初印象ですので、何卒御容赦頂きたいと思います。
折を見てインドを再訪するつもりですが、訪問回数を重ねる毎に、僕の理解も徐々に増すのではないかと期待しています・・・