日本へ一時帰国をしていた今年の9月22日と23日、レマさんのBLOGに触発されるかのように、京都一泊二日の弾丸旅行に出かけました。
大学病院で咽喉の内視鏡検査を受けた後、東京駅に直行して新幹線に乗車、夕方の17時30分には、京都駅中央口(烏丸口)の東西に伸びるコンコースを覆う巨大屋根の下(下写真)に佇んでいました。
高さ60mの天井を見上げて吃驚! 鉄の骨組構造をデザインとして取り込んだ巨大な天井でした。正に、超近代的な鉄骨美! いえいえ、近未来的な建築美の世界です。

ドーム状になった幾何学模様の巨大な天井構造
僕が京都を訪れたのは今回で三回目。初めての京都は、東京の大学で青春を謳歌していた1965年でした。その前年末に京都タワーが完成したばかりでした。
二回目の京都訪問は、山口県山口市で亡くなった実父の遺骨を、京都の大谷本廟に分骨した1989年(平成元年)でした。僕の記憶に残る当時の京都駅は、見るからに古めかしい建造物だったように思います。
聞くところによると、現在の京都駅(1997年完工)は四代目にあたるのだとか。建て替えにあたっては、当然のことながら、古都に相応しくない建物だとする強い反対意見もあったと思いますが・・・さすがに進取の精神に富んだ京都らしく、国際都市・京都に相応しい超近未来的なステーション・ターミナルだと思います。
京都の文化的歴史をおもんぱかると、東京よりも遥かに進取能力に優れた土地柄のような気がします。東京駅八重洲口の貧相なデザインを見ると、これが日本の首都の駅ビルなのかと悲しくなります。

東西に伸びる京都駅の大屋根と西側の開放空間
京都駅中央口ホールの左側(西側)を見遣ると、大屋根が途切れて開放された空間があります。天空に通じる空間に向かって、二段に分離したエスカレターと横に長い階段構造が、上空へ向かって伸びている光景を遠望できます。
近づいて見ると、まるで野球場のアルプス・スタンドのような階段席に、多くの観覧客が腰を降ろし、階段下の舞台で演じられている催しに見入っていました。(下写真)

京都駅の西側に設けられたイベント会場。
この会場は、室町小路広場という呼び名で、京都の人々から親しまれているのだそうです。京都を訪れる観光客相手だけのスペースなら、何の変哲もないイベント広場の名称で十分だと思うのですが、地元の人々が楽しめる広場という気持ちを込めて、室町小路広場という京都らしい名付けがされたに違いありません。

室町小路広場では、京都の大学生らしきブラスバンドのメンバーが、勇壮な吹奏楽を切れ目無く演奏しています。大きくて長い旗棒をまるでバトンのように巧みに扱いながら、吹奏楽曲に合わせて踊る女性陣も元気一杯です。
手作りの舞台上の看板には、“ 第26回吹奏楽の日、煌めくエネルギー、音楽を結ぶ熱い絆 ”と記されていました。(下写真)

若き吹奏楽団の学生さんに惜しみない拍手を送る京都の人々、それに応えるかのように左右にステップを踏んで演奏しながら会釈をする若者達に別れを告げた僕は、室町小路広場の上方に位置する大空広場へと登り、暫し京都の展望を楽しみます。
大空広場から、京都駅の北側を東西に一直線に伸びる地上45mの空中径路を散策しつつ、東側の端に位置する烏丸小路広場へと進みます。この場所は、賑やかで華やかな室町小路広場とは打って変わり、人の数も少なく、静かでのんびりとした雰囲気が漂っています。
京都駅の烏丸口を出てから予約したホテルへ向かう途中、ビルとビルの間の青空に、高さ131mの京都タワー(下左側写真)が聳えていました。43年前に訪れた時に展望台に登ったことがあります。
京都タワーの高さを131mにした理由は、当時の京都市の人口が131万人だったというのですが・・・本当なのでしょうか? タワーのデザインは、寺院の多い京都らしさ表現するために蝋燭(ろうそく)を模したと聞いていましたが・・・実は、紀伊半島突端の潮岬灯台をモデルにしたというのが本当なのだとか・・・


左写真:ホテルの近くから見えた京都タワー
右写真:ホテルの近くにあったキャンパス・プラザの斬新的なデザイン
44年前の建築物の京都タワー、10周年を迎えた京都駅、そして、宿泊するホテルの近くにあった真新しそうなキャンパス・プラザの斬新なデザイン(上写真右側)。どれもこれも、旺盛な進取の精神に富んだデザインのオン・パレードだと思いませんか。
古都・京都に数多くある古い名刹も、その時代、時代において、きっと燦然と輝く斬新なデザインだったに違いありません。
翌朝の午前8時半から夕方の6時半まで、愈々10時間を費やして京都市内の弾丸旅行を実践します。
続きは次回のBLOGとさせて頂きます。
大学病院で咽喉の内視鏡検査を受けた後、東京駅に直行して新幹線に乗車、夕方の17時30分には、京都駅中央口(烏丸口)の東西に伸びるコンコースを覆う巨大屋根の下(下写真)に佇んでいました。
高さ60mの天井を見上げて吃驚! 鉄の骨組構造をデザインとして取り込んだ巨大な天井でした。正に、超近代的な鉄骨美! いえいえ、近未来的な建築美の世界です。

ドーム状になった幾何学模様の巨大な天井構造
僕が京都を訪れたのは今回で三回目。初めての京都は、東京の大学で青春を謳歌していた1965年でした。その前年末に京都タワーが完成したばかりでした。
二回目の京都訪問は、山口県山口市で亡くなった実父の遺骨を、京都の大谷本廟に分骨した1989年(平成元年)でした。僕の記憶に残る当時の京都駅は、見るからに古めかしい建造物だったように思います。
聞くところによると、現在の京都駅(1997年完工)は四代目にあたるのだとか。建て替えにあたっては、当然のことながら、古都に相応しくない建物だとする強い反対意見もあったと思いますが・・・さすがに進取の精神に富んだ京都らしく、国際都市・京都に相応しい超近未来的なステーション・ターミナルだと思います。
京都の文化的歴史をおもんぱかると、東京よりも遥かに進取能力に優れた土地柄のような気がします。東京駅八重洲口の貧相なデザインを見ると、これが日本の首都の駅ビルなのかと悲しくなります。

東西に伸びる京都駅の大屋根と西側の開放空間
京都駅中央口ホールの左側(西側)を見遣ると、大屋根が途切れて開放された空間があります。天空に通じる空間に向かって、二段に分離したエスカレターと横に長い階段構造が、上空へ向かって伸びている光景を遠望できます。
近づいて見ると、まるで野球場のアルプス・スタンドのような階段席に、多くの観覧客が腰を降ろし、階段下の舞台で演じられている催しに見入っていました。(下写真)

京都駅の西側に設けられたイベント会場。
この会場は、室町小路広場という呼び名で、京都の人々から親しまれているのだそうです。京都を訪れる観光客相手だけのスペースなら、何の変哲もないイベント広場の名称で十分だと思うのですが、地元の人々が楽しめる広場という気持ちを込めて、室町小路広場という京都らしい名付けがされたに違いありません。

室町小路広場では、京都の大学生らしきブラスバンドのメンバーが、勇壮な吹奏楽を切れ目無く演奏しています。大きくて長い旗棒をまるでバトンのように巧みに扱いながら、吹奏楽曲に合わせて踊る女性陣も元気一杯です。
手作りの舞台上の看板には、“ 第26回吹奏楽の日、煌めくエネルギー、音楽を結ぶ熱い絆 ”と記されていました。(下写真)

若き吹奏楽団の学生さんに惜しみない拍手を送る京都の人々、それに応えるかのように左右にステップを踏んで演奏しながら会釈をする若者達に別れを告げた僕は、室町小路広場の上方に位置する大空広場へと登り、暫し京都の展望を楽しみます。
大空広場から、京都駅の北側を東西に一直線に伸びる地上45mの空中径路を散策しつつ、東側の端に位置する烏丸小路広場へと進みます。この場所は、賑やかで華やかな室町小路広場とは打って変わり、人の数も少なく、静かでのんびりとした雰囲気が漂っています。
京都駅の烏丸口を出てから予約したホテルへ向かう途中、ビルとビルの間の青空に、高さ131mの京都タワー(下左側写真)が聳えていました。43年前に訪れた時に展望台に登ったことがあります。
京都タワーの高さを131mにした理由は、当時の京都市の人口が131万人だったというのですが・・・本当なのでしょうか? タワーのデザインは、寺院の多い京都らしさ表現するために蝋燭(ろうそく)を模したと聞いていましたが・・・実は、紀伊半島突端の潮岬灯台をモデルにしたというのが本当なのだとか・・・


左写真:ホテルの近くから見えた京都タワー
右写真:ホテルの近くにあったキャンパス・プラザの斬新的なデザイン
44年前の建築物の京都タワー、10周年を迎えた京都駅、そして、宿泊するホテルの近くにあった真新しそうなキャンパス・プラザの斬新なデザイン(上写真右側)。どれもこれも、旺盛な進取の精神に富んだデザインのオン・パレードだと思いませんか。
古都・京都に数多くある古い名刹も、その時代、時代において、きっと燦然と輝く斬新なデザインだったに違いありません。
翌朝の午前8時半から夕方の6時半まで、愈々10時間を費やして京都市内の弾丸旅行を実践します。
続きは次回のBLOGとさせて頂きます。